文化祭のジンクス


「ねぇ。アンジェリーク。知ってた?」
「えっ? 何を?」
「お隣の男子校にね。ちょっと変わった人が編入してきたんですって。」
「何? その、ちょっと変わった人…って?」
 友の言葉にアンジェリークが聞き返す。
「あっ! 私、知ってるわよ。禁止されてるバイクを乗り回したり校内で煙草を吸ったりする人の事でしょう。嫌ね。不良よ。不良。怖いわ。」
 名門女子校で知られているスモルニィ女学院に幼年部の頃から通っている友達が不快そうに囁き合う。
 世間一般で考えればそう言う生徒がいても不思議ではないのだが、彼女達にとっては信じられない事なのだろう。
「ふーん。そんな人をよく学校側が受け入れたわね。」
 中等部途中から編入してきたアンジェリーク自身は彼女達ほどの捉え方はしていなかったが、二人にあわせるように疑問に思ったことを口に出してみた。
「詳しい事はよく判らないけど政府がらみの特別待遇らしいわよ? その人。私の彼が言ってたわ。授業中でも携帯電話の使用が許可されてて…電話がかかってくると授業途中でも帰っちゃったりするんですって。先生方もその事で特に注意したりしないって。」
 男子校に彼氏を持つ友がアンジェリークの問いに答える。
「嫌ね。学園祭が近いのに。そんな人のいるクラスが担当だったらどうしようかしらね。」
「そうね。でも…大丈夫よ。きっと。もし仮にそうなったとしても私達は二人きりにはならないんだもの。心配なのはむしろアンジェの方よ。」
「私? ………何で?」
 友の言葉にアンジェリークは自分を指さしてきょとんとした顔をする。
 スモルニィ女学院とお隣の男子校は姉妹校と言うこともあって毎年合同で学園祭を行っていた。
 しかも生徒側の意向で、両校共に二学年の内の一クラスが学園祭の全ての企画運営を行うことになっている。
 今年その栄誉を受けたのはアンジェリークのクラス。
 ホームルームで各担当を決めたばかりであった。
「んもうっ! アンジェったら。あなた後夜祭担当を立候補したじゃない。」
「そうよ。もしその不良の人が後夜祭担当だったらどうするの? 後夜祭担当は二人だけなのよ?」
「あ……………。」
 そうだった…とアンジェリークが思い出す。
 毎年、後夜祭の企画担当を希望する者は一人もいない。
 事実、今年もクラスの殆どが数人のグループになり一つの企画を担当しているのに対し、後夜祭の企画を担当するのはアンジェリークただ一人なのである。
 理由は両校に古くから伝わるジンクスにあった。
 曰く『学園祭で誕生したカップルは上手くいく。しかし後夜祭を担当した者は長続きしない』と言う、ごく一般的にありふれたジンクスであった。
 創立百年をゆうに超えている両校では毎年の学園祭で数多くのカップルが誕生していたが、数十年前から後夜祭を企画担当した者は何故か一組たりとも長続きをした試しがなかった。
 そんなことで自然と語り継がれてきたジンクスなのであるがその威力は絶大らしく、両校共に後夜祭の担当を希望する者が年々減っていった。
 立候補者が出なくなってしまった近年では仕方なく、それぞれのクラスから一名ずつを選出する事となっていた。
「あ。じゃないわよ。ホントに。でも…アンジェリークも偉いわよね。わざわざ自分から後夜祭担当を立候補するんですもの。」
「ホントよ。私だったら絶対やらないのに。」
「だって…折角、学園祭の企画当番に当たったんだもの。皆に凄く良かったって言って貰えるような学園祭にしたいじゃない。特に後夜祭は一番の思い出になるんだし。それにその不良の人。もしその人のクラスが当番になってても参加しないわよ。きっと。」
「そうね。授業ですら出ないような人なんだから学園祭にも参加しないわよね。……そう言えば明日よね。男子校のクラスの人達との打合わせ。」
「ええ。そうね。」
「うん。あっ! 私ここまでだから。ばいばい。二人共。」
「じゃあね。アンジェリーク。」
「気をつけてね。アンジェ。」
 交差点の角で立ち止まったアンジェリークは友達に笑顔を見せて脇道へと曲がっていった。


「………えっ!?」
 友達と別れたアンジェリークが細い路地を曲がったところで呆然と立ち尽くす。
 目の前で自分と同い年らしい複数の少年達が殴り合いのケンカをしていた。
『あの制服って…お隣の………。』
 背中を見せている制服姿の少年にアンジェリークが首を捻る。
 隣の男子校の生徒でケンカなどをする生徒はいないはずである。
『もしかしてあの人がさっき言ってた……。』
「……きゃっ!」
 たった一人で複数の相手をしている少年の姿を見ながらぼんやりと考えていたアンジェリークが足元近くに一人の少年が転がってきて悲鳴を上げる。
 そんなアンジェリークの悲鳴に少年達は一斉に動きを止めて視線を向けた。
 背中を向けていた少年も顔を半分だけ向けてアンジェリークに視線を寄こす。
『……ドクンッ!』
 少年の射るような赤い瞳にアンジェリークの鼓動が音を立てて止まった。
 少年もアンジェリークのエメラルドグリーンの瞳に吸い込まれたかのように全身の力を抜いた。
 バキッ!
「キャーッ!」
 身構えていた腕をゆっくりと降ろした少年が殴られアンジェリークの方へと吹き飛ばされる。
 と同時に、アンジェリークは大声で悲鳴を上げた。
「おい。」
「やばい。逃げるぞ。」
 アンジェリークの悲鳴を聞きつけて近所の家々から大人達が顔をだす気配に少年達は慌てて逃げ出し、しーんと静まり返った路地にはアンジェリークと殴られ地面に座り込んだままの赤い瞳の少年だけが残った。
「あ…あの。大丈夫………。」
「……………触んな。」
 アンジェリークは口のはしに血を滲ませる少年の目の前に膝をつきハンカチを差し出した。
 少年は掠れた声で短く呟くとそんなアンジェリークの手を払いのけて彼女を睨み付けた。
 そんな少年の赤い瞳の輝きのあまりの強さにアンジェリークの動きが止まる。
 少年はゆっくりと身体を起こすと動かなくなったアンジェリークをそのままに、少し離れたところに倒れているバイクにまたがって行ってしまった。
「……………あ。」
 アンジェリークが我に返ったのはそれからしばらくしてからだった。
「生徒…手帳? ……ゼフェル。あの人…ゼフェルって言うんだ。……………これ…どうしよう。」
 少年の座っていた所に落ちていた一冊の手帳を手に取ってパラパラとページをめくる。
 写真付きの生徒手帳を眺めていたアンジェリークは小さく呟いて少年の立ち去った方向をいつまでも見つめていた。


『……………どうして?』
 アンジェリークは自分の席に座ったまま何度も何度も心の中で同じ言葉を繰り返した。
 目の前には不機嫌そうな表情で座っている昨日の赤い瞳の少年。
 ふと横を見ると友人達が心配そうに自分を見ているのが判った。
 そんな友達を安心させるかのようににっこりと微笑んだアンジェリークは少年に声をかけることも出来ず俯いて黙って手元を見つめていた。
「……い。」
『どうしよう。』
「おい。」
『どうしてこの人が……。』
「おいっ!」
『どうしたら良いの?』
「おいっ! つってっだろ?」
「えっ?」
 突然の呼びかけに我に返ったアンジェリークが驚いて顔を上げる。
 目の前には苛立ったような少年の顔。
「いつまでだんまり決め込んでんだよ。俺はな。学祭なんてもんは出たことも見たこともねーんだよ。だからおめーが進めろよな。」
「えっ? あの………。」
「………おめーが決めろって言ってんだよ。」
「あの…でも、それじゃ……。あっ! じゃあ、図書室に行きませんか? 図書室には今までの学園祭の記録が残ってますから。それを参考にして………。」
 ガタンッ! といきなり立ち上がる少年にアンジェリークが言葉を失う。
「………何処にあんだよ。その図書室ってのはよ。」
「あ……。はい。こっちです。」
 二・三歩歩きかけた少年が動こうとしないアンジェリークを振り返る。
 不機嫌そのものな少年の言葉にアンジェリークは弾かれたように立ち上がった。
「ゼフェル。相手は女の子なんだからもう少し優しく喋れないの? ホントに乱暴なんだから。」
「っせーよ。マルセル。だったら担当代わりやがれ。面倒くせーもん人に押しつけやがって。」
「ホームルームさぼったゼフェルが悪いんだよ。……大丈夫だよ。言葉は乱暴だけど悪い奴じゃないから。」
 マルセルと呼ばれた少年が目の前を通り過ぎるゼフェルに抗議すると共にアンジェリークに笑顔を見せた。
「おう。さっさと案内しろよ。」
「は…はいっ!」
 声をかけられ足を止めていたアンジェリークは廊下を歩くゼフェルに促されて小走りに追いかけていった。


「やれやれ。…ったく。どいつもこいつも珍しいモンでも見るような目で人を見やがって。俺は動物園のサルかってんだ。……んだよ。何がおかしいんだよ。」
 大きく伸びをしたゼフェルがクスッと笑みを漏らすアンジェリークに赤い瞳を細くする。
「生粋のスモルニィの生徒には理解できないんですよ。きっと。ゼフェルさんみたいなタイプの人は。」
「……生粋ねぇ。おめーは違うのか?」
「はい。私も途中からの編入組です。えっと…ちょっと待ってて下さいね。すぐに出しますから……。あれ?」
 図書室内に設置されている視聴覚室の薄暗がりの中でアンジェリークがスライド映写機と格闘を始める。
「あれ? おかしいな。」
「………。」
「これで良いはずなんだけ……えー?」
「……………。」
「どうしてぇ〜?」
「寄こせっ!」
 なかなか映像が出せずに四苦八苦しているアンジェリークの姿をイライラとした様子で見ていたゼフェルがとうとう堪忍袋の尾を切って装置を奪い取る。
「何だってこんな簡単な操作が出来ねーんだよ。おめーは。………これか? 俺に見せようとしてたのはよ。」
 前面スクリーンに映った映像にゼフェルが呟く。
「あ…はい。そうです。これは一昨年の後夜祭の様子です。その前の…これが去年のです。去年は仮装大会だったんですよ。色々な格好の衣装を用意して………。」
「ふーん。」
 笑顔で説明するアンジェリークにゼフェルが気のない様な返事を返して映像を次々と変えていく。
「……………。」
「……で? おめーは何か考えがあんのか?」
 黙り込んでしまったアンジェリークにゼフェルが尋ねる。
「あの…実はやりたい事があるんです。」
「やりたい事?」
「はい。大分前にやっていた事なんですけど……。」
「大分前ねぇ。何年くらい前なんだ?」
「多分…二十年くらい前の……あっ! これですっ!」
 くるくると映像を変えていたゼフェルの指がアンジェリークの言葉に変えてしまった映像を戻す。
「…んだぁ。こりゃ?」
「立体ホログラフィの映像です。」
 映し出されたスライド映像にゼフェルが唖然と呟く。
 大勢の生徒達の周りを小さな妖精や一角獣といった空想の生き物が飛び回り歩き回っている様子だった。
「立体ホログラフィ?」
「はい。男子校の屋上にある天文ドームに映写装置があるんだそうです。」
「天文ドーム? ………あぁ。そういや映写機みてーなのがあったな。埃かぶって。」
 絶好のサボり場所となっている天文ドームの中に転がっている機械を思い出してゼフェルが呟いた。
「昔…壊れちゃったんだって聞いてます。私…この立体映像を使った後夜祭を復活させてみたいんです。」
「……どうやって? 転がってる装置を直すにゃかなりな金がかかるぜ?」
「そうなんですよね。壊れた翌年、直すためのカンパを募ったけど足りなくて別の企画をやったって話だし……。」
「………おめー。やけに詳しいな。」
 二十年近く前のことをすらすらと話すアンジェリークにゼフェルが感心する。
「昔、ここの学園祭を毎年見に来ていた母から教わりました。夢みたいな不思議な世界だったって。小さい頃から何度も聞いてて…一度で良いから見てみたいんです。」
「まず無理だな。」
 うっとりと話すアンジェリークにゼフェルがきっぱりと否定する。
「金を集めるにしても何十年も前の事じゃ装置のことを知らねー奴が殆どだ。そんな奴等が金を出すとは思えねー。それに直す技術者の手配も学生の俺らにゃ無理だ。別の方法を考えるんだな。………と。」
 突然鳴り出した携帯をゼフェルが慌てて取り出す。
「おう。……なんだ。ルヴァかよ。………あん? …んだって? 仕方ねーな。判った。すぐ行くから道具手配して待ってろ。………悪りぃな。ヤボ用が出来たんで俺りゃあ帰るぜ。他の奴等にはテキトーに言っといてくれ。じゃな。」
「そ…そんな……。ゼフェルさん!」
 切った携帯をポケットに押し込みながらゼフェルが背中を向ける。
 そんなゼフェルをアンジェリークは慌てて呼び止めた。
「それと! その『ゼフェルさん』なんて薄気味悪りぃ呼び方止めろっ! ゼフェルで良い。判ったか! えーと………。おめー。名前はなんてーんだ?」
「………アンジェリークです。」
 今更のように自分の名前を問うゼフェルにアンジェリークが頬を膨らませる。
「なんつー顔してんだよ。おめーは。とにかくっ! 学祭の準備はおめーに任せる。じゃな。」
「ゼフェルさん………。」
 背中を向けて歩き出したゼフェルがアンジェリークの呟きにもう一度振り返る。
「ゼフェル! だ。『さん』なんて付けんじゃねー。……おめーに任せるっつったろ? おめーの好きなようにやれよ。良いな。アンジェリーク。」
「私の好きなようにって。………良いわよ。だったら好きにやらせて貰うんだからっ! 私…絶対絶対! 諦めないんだからねっ!」
 歩き出したゼフェルの背中にアンジェリークが叫ぶ。
 しかしゼフェルが再び振り返ることは無かった。


「ゼフェルっ! こんな所にいたっ!」
「……んだよ。またおめーかよ。よく此処が判ったな。それにいくら学祭担当はフリーパスだからって…よくもまぁ。こんなにしょっちゅうこっちに来れるよな。」
 屋上の天文ドームの中で居眠りをしていたゼフェルがアンジェリークの責めるような声に身体を起こす。
「探したんだからね。だって…ゼフェルちっとも私の所に来ないんだもの。私がこっちに来るしか無いじゃない。」
「…ったりめーだ。誰があんな女だらけのトコに行けるかよ。……で? 今度は何だよ。」
「ほら。この人。技術者としてすっごく有名な人らしいの。この人に修理頼んでみようと思って………。」
 一枚の顔写真を見せるアンジェリークにゼフェルは呆れたように息を吐いた。
 初顔合わせから数日が経ち、お互い気心も知れてきた。
 アンジェリークは最初の頃の宣言通り、立体映像での後夜祭にずっとこだわり続けていたのだった。
「まだ諦めてねーのかよ。おめーは。こいつ…すげーがめついんで有名な奴だぜ? 只でやってくれる訳ねーじゃねーかよ。他の奴に頼む倍は取られんな。ぜってーに。」
「そうなの? ゼフェルってやっぱり技術者目指してるだけに良く知ってるわね。ねぇ。ゼフェル。誰か知らない? 只で直してくれそうな親切な技術者さん。」
「いねーよ。そんな奇特な奴。諦めて別なの考えろって何度も言ってっだろ。」
 感心したようなアンジェリークにゼフェルは顔をしかめて呟いた。
「だって……。機械さえ直ればオッケーなのよ? それだけで後夜祭はばっちりなのに………。」
「直れば! だろ? 直す奴が見つからねーってのにいつまでそんな莫迦げたこと考えてんだよ。おめーは。学祭までもう間がねぇんだからいい加減諦めて別なこと考えやがれ! この強情っぱり。何処のどいつがそこのポンコツをたかが学生の学祭のために只で直してくれると思ってんだ。」
 口を尖らせるアンジェリークにゼフェルがドームの隅に転がっている立体映像装置を顎でシャクる。
「ゼフェルの意地悪。何も考えてくれないクセにいっつも文句ばっかり………。」
「莫ー迦。俺のは文句じゃなくて客観的意見っつーんだ。……おい。その辺モロくなってっから気をつけろよ。」
 装置に近づこうとするアンジェリークにゼフェルは慌てて立ち上がった。
「大丈夫ですよー…きゃっ!」
「莫迦……………。」
 振り返り舌を出して見せたアンジェリークが脆くなっていた木の板を踏み抜いてグラリとバランスを崩す。
 ゼフェルはそんなアンジェリークの腕を掴んで抱きしめるように胸の中に引き寄せた。
「誰が大丈夫だって?」
「意地悪。……ありがとう。ゼフェル。……ゼフェル?」
「このまま離さねぇ。っつったら…おめーどうする?」
 ゼフェルから離れようとしたアンジェリークが一向に腕の力を緩めないゼフェルを不思議そうに見上げる。
 そんなアンジェリークにゼフェルは真剣な表情で尋ねた。
「そ…そんな。………駄目。」
 ゼフェルの言葉に大きく瞳を見開いたアンジェリークが戸惑ったようにゼフェルから視線を外して首を振る。
「……んでだよ?」
「だって………。」
「クラスの奴等から聞かされた時は莫迦じゃねーかと思ったけど……。まさかおめーまであのくだらねぇジンクスとやらを信じてるのか?」
「そんな訳じゃ…ない…けど………。」
「アンジェリーク。」
 俯いてしまった顎に手をかけるゼフェルにアンジェリークがビクリと身体を震わせる。
 クイッと上を向かされた途端に唇が塞がれた。
「ん………。や…だ……駄目っ!」
 軽く触れただけの唇は腕を突っ張るだけで容易に外れる。
「…んだよ。やっぱ信じてんじゃねーかよ。」
「そんなこと無いけど……。だって………。」
「逃がさねぇ。」
 天文ドームの壁に張り付いたアンジェリークを挟み込むようにゼフェルが彼女との距離を縮める。
「ゼフェル……………。んっ。」
 潤んだ瞳で困ったように自分を見上げるアンジェリークにゼフェルは深く深く唇を重ねた。
「ん…んんっ。……んんっ。」
 アンジェリークは息苦しさに首を振ろうとしたがゼフェルはそれを許してくれなかった。
 ピルルッピルルッ。
 けたたましく鳴り響く携帯のコール音がアンジェリークの呼吸を助けた。
「……んだよ。今…取り込み……あっ! おいっ!」
 不満そうに離れたゼフェルの唇が脱兎の如く逃げだしたアンジェリークを呼び止める。
 しかしアンジェリークはそんなゼフェルを振り返りもせずに帰ってしまった。
「…っそっ! …んでもねぇよっ! で。何だよ。………莫迦野郎っ! んな事でいちいち俺を呼び出すんじゃねーよっ! …ったく! すぐ行くから待ってろっ!」
 アンジェリークに逃げられた苛立ちをそのまま電話の相手にぶつけ、まだ何かを話している相手の声を無視して携帯の電源を切る。
 チラリ…と壊れたままの装置に視線を落としてゼフェルは天文ドームを出ていった。


「おいっ!」
「きゃあっ!」
 文化祭前日の夕暮れ。
 あれから一度も姿を見せないアンジェリークを待ち伏せしていたゼフェルが校門から出てきた彼女の友達に怒鳴るように声をかけた。
「あいつ…何処だ?」
「あいつって………。」
「あいつっつったらあいつだよっ! アンジェリークの莫迦野郎はどこ行ったんだよっ!」
 戸惑い顔を見合わせるアンジェリークの友達にゼフェルが怒鳴る。
「あの…アンジェリークなら多分図書室だと…あっ!」
 最後まで聞かずにゼフェルが歩き出す。
『…ったく。あの大莫迦野郎! あれから全然顔も見せねーで………。…そっ。』
 コロコロとどこかから風に流され足元に転がってきた空き缶を踏みつぶしてゼフェルが校舎へと入っていく。
 真っ暗闇の図書室の電気をつけると、お目当ての相手はすぐに見つかった。
 机に突っ伏して…どうやら眠っているようだった。
『ん? ……っとに懲りねー奴だな。こいつも。』
 ふと机の上に広がっているメモに目を落として苦笑する。
 メモにずらっと書かれた技術者の名前。
 ゼフェルはアンジェリークの頑固さに舌を巻いた。
『ホント…どーしよーもねーな。』
 心の中で溜息混りに呟いて、ゼフェルは眠っているアンジェリークをそっと抱き上げた。


「ん。………!」
 目を覚ましたアンジェリークは明るい朝の日差しに飛び起き、バタバタと慌ただしく身支度を整えて階下へ降りた。
「お早う。アンジェリーク。」
「おかあさんっ! 私…どうして?」
「ゼフェルって男の子が眠ってるあなたを送り届けてくれたのよ。」
「ゼフェルが?」
「えぇ。遅くまで引き留めてしまって申し訳ありませんでしたって謝って。お礼言っておきなさいよ。」
『ゼフェルが私を………?』
 母の言葉にアンジェリークの頬が赤く染まる。
「アンジェリーク? どうかしたの?」
「私…学校行ってくるね。」
 母の呼びかけにアンジェリークは一目散に学校へと走っていった。


「あ。アンジェリーク。後夜祭の準備はどう?」
「あのっ! ゼフェル知りませんか?」
 マルセルに声をかけられてアンジェリークが聞き返す。
 学校に辿り着いたアンジェリークは一日中ゼフェルの姿を探して歩いていた。
 時刻は既に昼の時間をとうに過ぎている。
 だと言うのに後夜祭の準備は全く出来ていない。
 アンジェリークはクラスの皆やゼフェルのクラスの生徒達に後夜祭の事を聞かれる度に生きた心地がしなかった。
「ゼフェル? ……そう言えば今日は朝から姿を見てないけど。……何? 後夜祭の最終確認でもするなら放送で呼び出しすれば? きっと校内の何処かにいると思うよ。」
 ゼフェルのバイクはあったからね…と、つけ加えてマルセルは廊下を歩くアンジェリークを笑顔で見送った。
『ど…どこにいるのよ。ゼフェルの莫迦ぁ。』
 何処を探しても見つからないゼフェルにアンジェリークは思いっきり罵声を浴びせた。
 後夜祭の始まる時刻が徐々に近づいてくる。
『やっぱり…私がいけないの? ゼフェルは何度も何度も別な事を考えろって言ってくれてたのに頑固にホログラフィにこだわったから……。姿を隠しちゃったからって私にはゼフェルを責める資格は無いんだわ。私がもっと早くゼフェルの言う通りにしてればこんな事にはならなかったんだもの。後夜祭を楽しみにしている皆の非難を受けなきゃいけないのは私だけなんだわ。』
 夕焼けが校舎を茜色に染める頃、覚悟を決めたアンジェリークが後夜祭会場へと歩き出す。
 大勢の生徒達が壇上へ上がるアンジェリークの一挙手一投足に注目していた。
「あの……………。」
『な…なんて言えば良いの?』
 一言発して黙りこくってしまったアンジェリークの耳に不審そうなざわめきが届く。
 アンジェリークはそんなざわめきが聞いていられなくなって俯いてしまった。
「ワァーッ!」
 ざわめきがどよめきに変わり次の瞬間、歓声に変わる。
 歓喜の声に驚いて恐る恐る顔を上げたアンジェリークの目の前には可憐な妖精が舞うように宙を飛ぶ姿があった。
「キャーッ!」
 歓喜の悲鳴にそちらへ顔を向けると、そこでは愛くるしいユニコーンがピョコピョコと走り回っていた。
『これって………。』
 図書室内の視聴覚室で何度も何度も繰り返し見たスライド映像を思い出す。
「おいっ! あれっ!」
 天空を指さす数人の生徒達にアンジェリークも空を見上げる。
 赤と緑のレーザー光線が藍色に染まり始めた空に鮮やかな文字を描いていた。
『ゼフェル………。』
 隣の男子校の屋上から伸びるレーザー光線にアンジェリークは壇上から飛び降りた。
「アンジェ! ……もう。なんて素敵なの。最高よ。あなた達の作った後夜祭は。」
「ご…ごめん。私…行かなきゃ……。」
 感激の余り抱きつく友を振り払うようにしてアンジェリークは男子校の天文ドームへと走っていった。


「ゼフェルっ!」
「………よぉ。感謝しろよな。宇宙一の技術者が只で直してやったんだからよ。」
「……………宇宙一って…誰のこと?」
 大胆不敵な顔で笑うゼフェルにアンジェリークが尋ねる。
 屋上に来るまでの間、アンジェリークの心の中はゼフェルに言いたい言葉で埋め尽くされていた。
 しかし、いざ本人を目の前にしたらそんな言葉達はどこかに消えてしまっていた。
「俺に決まってっだろ。莫迦。」
「直せるならもっと早く直してくれれば良かったのに。」
「嫌なこった。んなメンドーな事、誰がすっかよ。」
「意地悪。でも…直してくれたんでしょ。」
「おめーの頑固さに負けただけだよ。」
 おっくうそうに言って、ゼフェルは壁に寄り掛かるように腰掛けて瞳を閉じた。
「寝てないの?」
「さぁな。」
 瞳を閉じたまま短く呟くゼフェルにアンジェリークはゆっくりと近づいた。
「!!」
「……ありがとう。ゼフェル。………大好き。」
 重ねた唇をそっと離したアンジェリークが真っ赤になってゼフェルを抱きしめた。
「………ジンクスとやらは良いのかよ?」
「ホントに意地悪ね。もうジンクスなんて関係ないの。ゼフェルがジンクスなんか吹き飛んじゃう位、凄いことをしてくれたから……。だから良いの。」
「アンジェ……。」
「ん………。」
 自分を抱きしめるアンジェリークを抱きしめ返してゼフェルが唇を深く深く重ねる。
 ピルルッピルルッ。
 鳴り響く携帯にゼフェルが唇を離して顔をしかめた。
「…んだ。またルヴァかよ。………今度は逃げんなよ。」
「……………莫迦。これじゃ逃げられないわよ。」
 アンジェリークの腰をしっかりと抱いたゼフェルが意地の悪そうな顔で呟く。
 そんなゼフェルにアンジェリークは耳まで赤く染めて抗議した。
「あぁ。何でもねー。こっちは取り込み中なんだよ。えっ? 何だって? ……ああ。ああ。………判った。」
「………ゼフェル? どうかしたの?」
 暗い顔で携帯を切るゼフェルにアンジェリークが心配そうに尋ねる。
「………何でもねぇ。」
「ルヴァって…ゼフェルのおとうさん? ゼフェルと正反対で随分のんびりした話し方をする人なのね。」
「聞こえてたのか?」
 驚いたようなゼフェルにアンジェリークは首を振った。
「ううん。えーとかあーだけで言ってる内容までは……。」
「そっか。……ルヴァってのは俺の後見人。親父もお袋もとっくの昔に死んでる。」
「あ…ごめんなさい。」
「気にすんな。………アンジェ。」
「ん……………。」
 再びアンジェリークの唇をゼフェルが塞ぐ。
 アンジェリークはそんなゼフェルの、先程まで無かった激しさに翻弄されていた。


 翌日の月曜日。
 普段より数段遅い時間に目覚めたアンジェリークはテレビを見ながら朝食を取っていた。
「……と言う訳で惑星調査隊の一行がこの星での調査を終えて、本日、次の惑星へ向かう事になりました。では、調査隊長のルヴァ氏にお話を伺いたいと思います。」
『えっ? ルヴァ?』
 興味なさそうに見ていたアンジェリークが聞き覚えのある名前にテレビ画面を凝視した。
「ルヴァさん。この星での調査は予定より随分早く終了したと聞いてますが………。」
「あー。はい。この星で新しく開発された機械のお陰なんですよー。操作方法がちょっと複雑だったんですけど…この機械のお陰で調査期間はこれからどんどん短縮されると思いますよー。ありがたい事ですねー。」
『この喋り方って………。』
 聞き覚えのある独特のイントネーションにアンジェリークが呆然となる。
「なるほど。調査団の中に優秀な技術者がいたからだとの情報もあります。ルヴァさんのお子さんだそうですね?」
「あー。よく誤解されますけどそれは間違いですよー。あの子は親友の忘れ形見でしてねぇ。私は後見人をしているだけなんですよ。技術者として優秀な子ですけど…私の仕事の都合で惑星を点々とする生活を強いてしまって本当に申し訳ないといつも思っているんですよ。だからあの子が成人したら自由にさせてあげるつもりなんですよー。」
『ルヴァ…。後見人……。まさか…ね。』
 テレビから流れる音声にアンジェリークが震える。
 思い当たる嫌な記憶が山ほどあった。
 壊れた立体ホログラフィ装置をいとも簡単に直してしまったゼフェル。
 携帯電話に呼び出されていつの間にか姿を消して……。
 昨日の電話で見せた暗い顔とその後の激しさ。
 拭おうとしても拭えない予感がアンジェリークを縛り付けていた。
「そうだったんですか。しかしそれ程優秀な技術者なら本当は手放したく無いんじゃないですか?」
「ええ。まぁ。本音を言えばそうですけど……。ゼフェル…あの子の人生はあの子のものですからねぇ。」
 ガタンッ!
 ゼフェルと言う単語にアンジェリークが立ち上がる。
『う…宇宙港………。』
 テレビに映る後ろの風景に、アンジェリークは大急ぎで家を飛び出した。


「そろそろ出発の時間ですけど…本当に良いんですか?」
「何がだよ。ルヴァ。」
「学校のお友達とか…連絡しなくて………。」
「そんなモンいねぇ……………!」
 椅子に沈み込んでいたゼフェルに声をかけたルヴァが突然立ち上がったゼフェルに後ろを振り返る。
「ゼフェルっ!」
「……………アンジェ。」
 泣き出しそうな顔で走ってくるアンジェリークをゼフェルは呆然と見つめていた。
「………莫迦っ! 莫迦莫迦莫迦。何で昨日の内に言ってくれなかったのよ。テレビで見て…心臓止まっちゃうかと思ったんだから。」
「わ…悪かったよ。言えなかったんだ。信じてたつもりもねーのに例のジンクスって奴が頭に浮かんでよ。」
 ゼフェルにしがみついたアンジェリークが半狂乱にゼフェルの胸を叩く。
 そんなアンジェリークにゼフェルは苦笑しながら呟いた。
「ジンクスはもう関係ないって言ったじゃない。」
「ああ。そうだったよな。……………アンジェリーク。三年…待てるな。」
 拗ねたような瞳で口を尖らせるアンジェリークにゼフェルは真顔で尋ねた。
「えっ?」
「さっきの…ルヴァの奴のインタビュー聞いたんだろ? 成人すれば俺は何処へ行こうと自由だ。三年経ったら必ずここに戻ってくる。この星に。だからそれまで待てるな。」
「あの…ゼフェル。そろそろ………。」
「ああ。」
 後ろからルヴァに促されてゼフェルが大粒の涙を零して頷くアンジェリークに背中を向ける。
「あ………。」
 クルッと振り返ったゼフェルがアンジェリークの唇を塞ぎきつく抱きしめた。
「ぜってー幸せになってやる。おめーと。ジンクスなんてあんなくだんねーモンは俺達がブッ潰すんだ。」
「ゼフェ……ん。」
 もう一度アンジェリークに口付けてゼフェルが歩き出す。
 ゼフェルを乗せたシャトルが見えなくなってもアンジェリークはその場から離れなかった。


「今年も後夜祭はこれなのね。……ゼフェル。聞こえる? 皆がどれだけ喜んでるか。みんなあなたのお陰なのよ。」
 三年後、母校の文化祭を訪れたアンジェリークが宵闇の中の幻想的な風景に嬉しそうに目を細めポケットから小さな手帳を取り出して呟いた。
「何でぇ。あのポンコツ。応急処置だけだったけど…まだ動いてんだな。」
 手帳を見つめていたアンジェリークが聞き覚えのある口の悪さにゆっくりと後ろを振り返る。
 宵闇にくっきりと浮かぶ銀色の髪と夜空を描くレーザー光線の赤より赤い二つの瞳。
「……………ゼフェル。」
「アンジェ………。」
 驚きで目を丸くしていたアンジェリークをゼフェルはきつく抱きしめた。
 アンジェリークの手からパサリと十七才の少年の写真が貼ってある生徒手帳が落ちる。
「……ゼフェル。ゼフェル。ゼフェル。ゼフェ……ん。」
 ぶわっ…と目の前のゼフェルが歪んだと思ったら息苦しさに襲われる。
 唇を塞がれたアンジェリークは無我夢中でゼフェルにしがみついていた。


 そしてその年から両校に伝わるジンクスが変わった。
 後夜祭担当者同士のカップルは最高に幸せになれる…と。


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