夏の日差しの少年とデイジーの花の乙女


 うららうらら。
 春の日差しを一身に受けてデイジーの花の乙女がコロコロ笑う。
 コロコロコロコロ。
 穏やかな春の日差しはその穏やかさそのものの眼差しで乙女達を見つめていた。
「春様。そろそろお別れの季節でございますね。」
 乙女の一人が眠たそうな目を擦りながら春の日差しに話しかける。
「あー。そうですねぇ。あなた方も眠いでしょう。もうお眠りなさい。私も夏を起こしたらすぐに眠りにつきますからねー。」
 優しい表情で春の日差しがデイジーの乙女一人一人にお別れの日差しを贈る。
 うららうらら。
 そんな穏やかな優しい日差しにデイジーの乙女達は一人また一人と眠りについた。
「はい。春様。また巡る季節にお会いできる事を楽しみに夢みておりますわ。」
「私も楽しみにしてますよー。………あー。とうとう今年も彼女は目覚めませんでしたねぇ。」
 眠ったままの一人の乙女に春の日差しが苦笑する。
 デイジーの乙女達の中でも一際コロコロ笑う少女だった。
 大分前の事だが彼女は春の季節に目覚めなかった。
 その時から少女が自分の季節に目覚める事が無くなってしまったのが春の日差しには残念でならなかった。
「申し訳ありませんわ。春様。私達も何度も起こしたのですが全く目覚める気配が無くて……。」
「あー。良いんですよ。こうして眠っていると言う事は私ではない他の季節に目覚めているんでしょうから。あなた達花の乙女は私達の日差しを年に一度は受けなければいけませんからねぇ。きっと…秋の季節にでも目覚めているんでしょう。私と秋とは日差しが似ていますからねぇ。」
「そうですわね。でも…この娘は少しズレた所がありますから……。私達には辛い夏様や冬様の季節に目覚めてはいないかと心配ですわ。」
「私を起こしてくれる冬も私が毎年起こしている夏もデイジーの花の乙女の事は何も言いませんからそんなに心配しなくても大丈夫ですよ。さぁ。あなたもお眠りなさい。」
「はい。春様。お休みなさいませ。」
 春の日差しの言葉に最後の花の乙女が眠りにつく。
 そんな乙女達の眠る姿に目を細めながら春の日差しはゆっくりと天の館へ戻って行った。
 帰り着いた天の館では三人の日差しが眠っていた。
 凛とした厳しさが冷たさすら感じさせる冬の日差し。
 秋の日差しは気怠げに身体を横たえ全ての木々に安らぎの色を贈る。
 そして三人の日差しより遥かに若い夏の日差しの少年。
 眩しい日差しそのものの銀色の髪が真っ白な雲の布団の中に見え隠れしていた。
「そろそろあなたの季節ですよー。夏。」
 春の日差しはそう言って夏の日差しの少年の身体を揺さぶった。
「ん………。」
「起きて下さい。あなたの季節が来たんですよー。」
「んー。もうちっと………。」
 眉間に皺を寄せて布団の中に潜り込む夏の少年に春の日差しは苦笑する。
「駄目ですよー。私ももう起きてるのが限界なんですからねー。起きて下さい。」
「んー。」
 一つ大きな伸びをして夏の日差しの少年が目を覚ます。
「やっと目覚めましたねー。お早うございます。」
「………よぉ。」
「これからあなたの季節が始まります。三ヶ月間、頑張って下さいねー。それと。いくら退屈だからって眠っている私達の顔に落書きをするような悪戯はしないで下さいねー。冬がすごーく怒っていましたよー。」
「へっ。んなの知らねーよ。」
 自分の言葉に舌を出してみせる少年に春の日差しは困ったように眉を寄せる。
「あー。本当にあなた達にも困ったものですねー。でも…まぁ。夏と冬だから直接話をする機会が無いだけまだ良い方なんでしょうねぇ。秋と冬に比べれば………。」
 夏と冬ならば季節も正反対なのでそりが合わないのも何となく納得できる。
 しかし秋と冬は………。
 全ての物事に対して襟を正す冬にしてみれば何事もおっくうそうに行う秋の行為は許せないのであろう。
 時たま…冬に起こされる時に聞かされるのだが…秋の季節に冬は目覚めては秋の行為を叱りつけているらしい。
「とにかく。妙な悪戯だけはしないで下さいよー。冬が文句を言ってくるのは私に。なんですからねー。」
「へいへい。わぁーったよ。もう眠みぃんだろ。さっさと寝ろよ。」
「ええ。そうさせて頂きますよー。……あっ! そうそう。デイジーの花の乙女が一人。今年も私の季節に目覚めなかったんですよー。もし、間違えてあなたの時に目覚めるようでしたら秋の季節まで眠るように伝えて下さいねー。宜しくお願いしますよー。」
「…んだよ。またかよ。わぁーったよ。んじゃな。」
「はい。お休みなさい。」
 大きな欠伸を一つして春の日差しが眠りに落ちる。
「…ったく。あの莫迦。」
 一言小さく呟いて夏の日差しの少年が地上へと降りる。
 全てのものを射るような強い輝きの赤い瞳が地上を夏色の日差しに変えていく。
 そんな夏色の日差しを感じて一人の花の乙女がゆっくりと目を覚ました。


「暑っついよー。枯れちゃうよー。何とかしてー。」
「…んな事言ったって仕方ねーだろ。俺は夏なんだからよ。大体! おめーは春の花のクセしやがってどうしてこう毎年毎年俺の季節に目ぇ覚ますんだよ。」
 たった一人で咲いているデイジーの花の乙女に夏の日差しの少年がぼやく。
「だって……。私だって毎年毎年寝る前に来年こそは春様の季節に起きなくちゃって思っているのよ。なのにうっかり寝過ごしちゃって…目が覚めるといつも夏が起きてるんだもん。」
 金色の巻き毛に緑の瞳の花の乙女が拗ねたようにプッと頬を膨らませる。
「だからっ! 春からも言われたけどよ。おめー。もういっぺん眠れ。んで…秋の季節にでも目を覚ませ。俺の季節に起きてるよりかはずっとおめーにゃ楽だろうからよ。」
「一度目が覚めちゃったら眠くなるまで眠れないのって言ったでしょ。しょうがないじゃない。目が覚めちゃったんだから。良いの。眠くなるまで我慢するから。」
「……………。そうかよ。だったら文句ばっか言うんじゃねーよっ。俺だってなぁ。夏の花達に日差しを贈んなきゃなんねーんだからな。」
 膨れっ面のままで呟くデイジーの乙女に夏の日差しの少年は一つ大きな溜息をついて渋々と言った表情で呟いた。
「判ってるけど…でも暑いんだもん。もう少しだけ日差しが弱まると嬉しいんだけど…な。」
「ふん。」
 小首を傾げて自分を見上げるデイジーの乙女に夏の日差しの少年がプイッと顔を背ける。
 夏色の日差しが一瞬強く輝いた。
「勝手言ってろ。んじゃな。」
「あっ! ねぇ。待ってよ。夏〜。」
 離れていく夏の日差しの少年をデイジーの花の乙女が呼び止める。
 しかし夏の日差しの少年はあっという間に姿が見えなくなってしまった。


「御機嫌よう。夏様。今年もまたあのデイジーの娘が夏様の季節に目覚めたみたいですね。」
 大輪の向日葵の乙女達の元にやってきた夏の日差しの少年に年長の向日葵が母親のような眼差しで挨拶をする。
「…んで判んだよ。見えねーだろ。こっからじゃ。」
「風様が教えて下さいましたわ。それに…先程一瞬だけ夏様の日差しが強くなりましたわ。デイジーの娘の元にいらしていたのでしょう?」
「なっ! んな事……………。」
 向日葵の言葉に夏色の日差しが強さを増す。
「照れなくとも宜しいのに………。」
「ば…莫迦野郎っ! 誰が照れるかよっ! …ったく。くだんねー事ベラベラ言ってんじゃねーよっ!」
 笑みを浮かべる向日葵達に真っ赤になった夏の日差しの少年が背中を向ける。
「お怒りになられました?」
「………また来る。今年も…頑張って咲けよな。」
 ボソッと呟いて飛んでいく夏の日差しの少年を向日葵達は優しく見送った。
 向日葵だけではない。
 夏の花々は皆、夏の日差しの少年の母親になったような気持ちでいるのだろう。
 無理もない。
 夏の日差しはその暑さそのものの激しさ故に四つの日差しの中でも一番交替が激しい。
 年若い夏の日差しの少年が前任の夏と交替するように生まれてからまだ日は浅いのである。
 照れ屋でぶっきらぼうで…決して素直では無い夏の日差しの少年が夏の花々は大好きだった。
 だから見守っているのである。
 本来ならば出会う事の無かった春の花の乙女と夏の日差しの少年との出会いを。
 乱暴で素直ではない言葉とは裏腹に少年の心の中を夏色の日差しは真っ直ぐに伝えてくれる。
 だから夏の花々はすぐに気が付いた。
 少年が自分でも気付かぬ内に抱いている淡い恋心を。
 夏の日差しの少年がデイジーの花の乙女の事を想えば想うほど、彼の日差しは夏の色を濃くさせる。
 本人は全く無意識のままに………。
 夏の日差しの少年とデイジーの花の乙女の二人の行く末を夏の花々は優しく見守っていた。
 しかし夏の日差しの少年とデイジーの花の乙女の二人を見守っているのは花々だけではなかった。


「んっ? ……お…おいっ! どうしたんだ?」
 夕暮れ時、デイジーの花の乙女の元に再びやってきた夏の日差しの少年がぐったりとしている少女に近づき声をかけた。
「暑…い。喉…乾いた……。お水………。」
 抱き上げた腕の中で切れ切れに呟く少女に夏の日差しの少年は周りを見渡し舌打ちをする。
 少女の花の周辺は少年の日差しの強さにひからび、土煙を上げるほどに乾燥しきっていた。
「…っそっ!」
 夏の日差しの少年はデイジーの花の乙女をそっと花びらの上に横たえると吐き捨てるように呟いて大慌てで雲の切れ間に入っていった。
「おいっ! ちょっと来いっ!」
「こ…これは夏ではありませんか。一体どうし………。」
「良いから来いっ!」
 夏の日差しの少年は雲の間で休んでいた雨を見つけるとデイジーの花の乙女の所へと引っ張っていった。
「あの…一体何事なので………。」
「降らせろ。」
「は?」
「この辺に雨を降らせろっつったんだよっ! 雨降らせるのはてめーの仕事だろ!」
「そ…そうですが……。予定には入って………。」
「俺が良いっつってんだから良いんだよっ! 去年もその前も予定にねー事やっただろっ! 早く降らせろよっ!」
 雨の言葉に夏の日差しの少年はじっと下を見たまま怒鳴るように叫んだ。
「あれは…デイジーの乙女ではありませんか。彼女はまたあなたの季節に目覚めたのですか?」
「良いからとっとと雨を降らせろっ!」
 夏の日差しの少年の視線の先に気付いた雨が不思議そうに尋ねる。
 しかし自分の問いに答えようとしない夏の日差しの少年に、雨は少年の横顔を見つめたまま恵みの雨を降らせた。
 デイジーの花の乙女の周りが雨に潤う。
 元気を取り戻した少女は起きあがり空の上の方にいる夏の日差しの少年に笑顔を見せて手を振った。
『………ホッ。』
 デイジーの花の乙女が元気を取り戻した様子に夏の日差しの少年が安堵の息を漏らす。
「毎日…この時間になったらこの辺に雨降らせろ。」
 夏の日差しの少年はデイジーの少女から目を離さずに雨に言った。
「……はい。承知しました。あなたの大切な少女が枯れてしまわないように毎日雨を降らせに参ります。」
「な…んだよ。その『あなたの大切な』ってのはよ。そんなんじゃねーよ。」
「そうなのですか?」
「あいつは…あの莫迦っ花は毎年寝坊するんで春の奴が心配してる春の奴のお気に入りなんだよ。そう言わなかったか? 俺は。俺の季節に枯れたりしたら春に何言われるか判んねーだろ。ただ…そんだけだ。じゃ…頼んだぜ。」
 ホンの少しだけ頬を赤くして夏の日差しの少年が雲間に姿を隠す。
 そんな時、デイジーの花の乙女が少年の姿を寂しそうな瞳で見つめているのを雨は知っていた。
「ふふふ。あの少女が毎年寝坊をするのは偶然では無いのですけどね。初めてみた時は信じられませんでしたけど…夏。あの少女を見つめている時のあなたの瞳は春様よりもずっと穏やかな色を浮かべるのですね。年を追うごとにその穏やかさは増していますよ。うっかりしていました。彼女があなたの季節に目覚めない訳は無いのですよね。」
 雨は独り言のように呟いてデイジーの花の乙女の周りを潤していた。
 雨もまた、夏の花々と同じに二人を見守っていたのであった。


「おめー。そろそろ寝ろよ。」
「夏も早く天の館に帰って寝たら? 凄く眠そうよ?」
 互いに眠そうな目を擦り擦り言い合う。
 夏の季節はとうの昔に過ぎている。
 本来ならば秋が地上に降りている頃である。
 デイジーの花の乙女が夏に目覚めるようになってから毎年行われているやりとり。
 さすがの夏の花々もこれには付き合ってられないとばかりに早々に眠りについていた。
「強情な奴だな。おめーも。寝ぼすけの宵っぱりが。」
「そんなんじゃ……。ねぇ。じゃあ。お願いがあるの。」
「…んだよ。お願いって。」
「あの……。ちょっと………。」
 デイジーの花の乙女が周りをキョロキョロと見回しながら夏の日差しの少年を手招きする。
「なんだ?」
「あの…あのね。」
「誰もいねーよ。何だよ。んなに言いづれー事なら小さな声で言って見ろよ。聞いてやるから。」
 すぐ隣りに立ったにも係わらず周りを気にする少女に夏の日差しの少年が少女の口元に耳を寄せる。
「あの…ね。お休み。アンジェリーク。って言って。そしたら眠るから………。」
 両手でそっと少年の耳を包むようにして少女が囁く。
「おめ…それって………。」
 驚いた少年が真っ赤になって少女を見る。
 少女は少年に負けない程真っ赤になっていた。
「ば…莫迦か。おめーは。………寝ろっ! 莫迦。」
「あっ! ねぇ。夏!」
 夏の日差しの少年は真っ赤な顔のまま逃げるように天の館に帰っていった。
 天の館では秋が既に目覚めていた。
「遅かったのだな。……どうした? 何かあったのか?」
「何でぇ。もう起きてたのかよ。何でもね……。花の一人が名前を教えてくれた。」
「ほう。」
 夏の言葉に秋は懐かしそうに目を細めた。
「それで…おまえはどうした?」
「どうしたら良いのか判らねぇ。」
「ならば…おまえも自分の名前を教えてやると良い。その乙女を大切に思うのならな。同じ季節の花なら今以上に…違う季節の花なら例え冬の花であっても……。どんなに暑くとも乙女はお前と共にいられるだろう。」
「……ホントかっ?」
「昔…それを願い叶えた日差しがいた。……もう寝ろ。」
 秋はそう言って夏の日差しの少年の額に手を置いた。
 フワッと睡魔が少年の身体に広がる。
『来年…あいつがまた俺の季節に起きてるようだったら教えてやろう。俺の名前。ゼフェルだって。あいつの名前…ちゃんと呼んでやろう。アンジェリークって。』
 夏の日差しの少年は雲の布団に潜り込んでそんな事を考えながら眠りについた。
 秋は夏の日差しの少年が眠りについたのを確かめてからゆっくりと地上に降りた。
 地上に届く秋色の日差しを感じてデイジーの花の乙女も眠りに落ちていく。
『折角教えたのに…言ってくれなかったな。私の名前。でも…いいや。来年…教えてくれたら嬉しいな。夏の名前。呼んでくれるかな。私の名前。アンジェリークって。』


もどる