無防備な横顔


 ほら…また……。
 心の中で呟いてしまう。
 ゼフェル様は時々、酷く無防備な顔を見せる。
 私の前でだけ………。
 ルヴァ様が以前こんな事を言っていた。
『ゼフェルは私達と違って突然なんの前触れもなく守護聖として聖地に連れて来られましたからねぇ。今までの生活から無理矢理引き離されて…だからあんなにも荒れているんですよ。今でこそ大分落ちついてきましたけど来たばかりの頃は手が付けられなかったんですよ。』
 ……………と。
 その話を聞いたとき、私は女王候補に指名された直後の自分を思い出した。
 パパやママ、友達と離ればなれになって二度と会えなくなるかもしれない。
 何の取り柄もない私が何で…って不思議でしょうがなかった。
 悲しくて悲しくて…毎日お布団の中で泣いていた。
 逃げちゃおうかって真剣に考えた事もあった。
 でもスモルニィの学院長様に、試験の結果によっては家に帰ってこれるって聞かされて…ちょっとだけ安心して聖地の門をくぐった。
 だけどゼフェル様は………。
 女王候補の私には拒否権も選択肢も沢山あるのに守護聖のゼフェル様には拒否権どころか選択肢も無い。
 初めて執務室を訪れた時の射るような赤い瞳と心の中の憤りそのままの冷たい言葉。
 とても怖くて…それ以上に意味も判らず悲しい気持ちになった事を今でも覚えている。
 何となく似てるなって感じた。
 女王候補に選ばれた時の私の悲しさと………。
 冷たい言葉の裏側に隠された本当の言葉。
 そんな言葉を知りたくて、私は毎日のようにゼフェル様の元へ通った。
 いつの頃からだったろう。
 ゼフェル様がホンの少しだけ笑うようになったのは。
 いつからだろう。
 執務室を訪れた私を笑みを浮かべて迎えてくれるようになったのは。
 照れたように横を向いて無防備な顔を見せるゼフェル様にドキドキするようになったのはいつからなんだろう。


「……い。おいっ! アンジェリーク!」
 呼びかけにハッと我に返る。
 目の前でゼフェル様が頬杖をついて訝しげに私の顔を見つめていた。
「おめーよ。聞いてたか? 俺の話。」
「あ…ごめんなさい。ゼフェル…様………。」
 じと目で睨まれて語尾が小さくなる。
 ゼフェル様の顔を見ていたら初めて会った頃の事を思い出してたなんて絶対に言えない。
「…ったく。別に謝る事じゃねーけどよ。……茶のおかわりくれっつったんだよ。それと…こいつもな。」
 テーブルの上の、いつの間にか空になっているお皿をゼフェル様が指で私の方へと押しやる。
「お口に合いましたか?」
「………まぁな。」
 私の言葉にゼフェル様がそっぽを向く。
 赤い瞳がうっすらと細められて優しい色を浮かべる。
「……………うめかったよ。」
「良かった。沢山作ったんですよ。すぐに持ってきますね。」
 ボソリと呟くゼフェル様ににっこりと微笑んでお皿を持ってキッチンへと向かう。
 お菓子作りは得意だった。
 でも、スパイスのたっぷり効いた甘くないお菓子なんて作ったことはなかった。
 試行錯誤を繰り返して何とか出来上がったゼフェル様だけのための特製クッキー。
 山盛りにお皿にのせて部屋へと戻る。
「……………アンジェリーク。おめー。一体どれだけの量作ったんだよ?」
 山盛りのクッキーにゼフェル様が驚いたように目を丸くする。
 嫌だ…こんな顔にもドキドキしてる。
「言いましたでしょう。沢山作ったって。」
「んな辛れーモン。好んで食う奴なんてそうそういねーだろ? おめーだって食わねーしよ。」
「そうですね。私は甘いクッキーの方が好きですもの。でも良いんです。このクッキー。ゼフェル様が食べて下さいますでしょう? 今度はケーキにチャレンジしてみようと思っているんです。楽しみにしていて下さいね。」
「ケーキぃ〜? 俺はケーキは……………。」
「うふふ。大丈夫ですよ。ゼフェル様が食べられるように甘くないケーキを作りますから。」
 嫌そうに顔をしかめるゼフェル様に思わず笑ってしまった。
 本当に甘いものがお嫌いなんだから。
「……甘くないなら食ってやんねーこともねーな。」
 クスクスと笑う私から顔を背けてゼフェル様が呟く。
 無防備な横顔がほんのりと赤く染まっていた。


「それにしてもよ………。」
「はい?」
 二皿目のクッキーも一人で平らげたゼフェル様がそう切り出す。
「今日って確か土の曜日だろ? 良いのかよ。大陸に行かなくて………。」
「誘いにいらしたゼフェル様が言う言葉じゃないと思いますけど? ………良いんです。大陸の皆も判ってくれると思いますから。」
 そう、今日は土の曜日。
 本当だったら大陸に視察に行っていた。
 だけど朝、出掛けようとした私の部屋のチャイムをゼフェル様が押した。
 ゴメンね…エリューシオンの皆。
 いつの頃からなのか判らないけど、私にはあなた達以上にゼフェル様が大切な人になっちゃったの。
 自分でも女王候補失格だなって判ってる。
 でもね、皆。
 ゼフェル様の無防備な顔を見てるとね、それでも良いかなってつい思っちゃうの。
「それなら良いけどよ。……仕方ねーや。月の曜日になったら特別に育成しといてやるよ。おめーのトコの奴等。おめーに似てすげー不器用だからな。」
「不器用って……。酷ーい。ゼフェル様。でも…宜しいんですか?」
「何が?」
 不思議そうに聞き返すゼフェル様に言い難くなってしまう。
「だって…あの……。月の曜日に育成って………。」
「んだよ。いらねーのか? だっておめー。ロザリアに負けてっだろ?」
 ゼフェル様は私の言葉に心外そうに顔をムッとさせた。
 確かにロザリアに負けてるけど…勝ちたくない。
 だって勝ってしまったら……………。
「………判ったよ。えこひいきはすんなってんだろ。だったらよ。月の曜日。俺んトコに育成に来いよな。良いな。アンジェリーク。」
 俯いて黙り込んでしまった私にゼフェル様は溜息を一つついて私の顔を覗き込むように念を押した。
「ホンット。おめーってクソ真面目だよな。……でもま。そんなとこもおめーらしくて俺は好……わわっ! ……アンジェリーク。俺…もう帰るな。」
「えっ?」
 慌てて言い淀むゼフェル様に驚いて顔をあげる。
 素早いゼフェル様は既に私に背中を向けて扉のほうへと歩いていた。
「ま…ゼフェル様。待って。」
 呼び止めた私にゼフェル様が半分だけ顔を向ける。
「……クッキー。残ったクッキー。良ければおみやげに持って帰って下さい。」
 顔を赤くしているゼフェル様にそう言って慌ててキッチンへ駆け込む。
 残ったスパイスクッキーを紙袋に全部入れて部屋へと大急ぎで戻る。
「良いのか?」
「はい。ゼフェル様以外に食べられる人いませんから。」
 ……って、これは嘘。
 本当はゼフェル様だけの為に作ったからゼフェル様だけに食べて頂きたいの。
「サンキュ。……………アンジェリーク。あれ。なんだろな?」
「えっ?」
 特別寮の廊下。
 階下へ降りる階段とは反対の方向を指さすゼフェル様に私は顔をそちらの方へ向ける。
「!?」
 視界の端に黒い影が出来たと思ったら同時に私の頬に柔らかい感触があたる。
 慌てて顔を元に戻すとゼフェル様はもうそこにはいなかった。
 走り去る後ろ姿。
 かろうじて見えるゼフェル様の耳が真っ赤に染まっていた。
「今のって……………。」
 私はゼフェル様の触れた右の頬に手を当てたままペタリとその場に座り込んでしまった。


 あれから一週間。
 私は部屋から出ることが出来なかった。
 ゼフェル様と顔を合わせるのが恥ずかしい。
 それもあったけど…それ以上にゼフェル様に私の所に来て頂きたかった。
 あの時の…あの頬への口付けは一体どういう意味なんだろう。
 ゼフェル様の口から直接それが聞きたかった。
 でも、ゼフェル様の執務室へ行ったり他の場所でゼフェル様にお会いするのはやっぱり恥ずかしい。
 だから私は毎日ゼフェル様が訪ねて来るのを部屋の中でじっと待っていた。
 だけど今日は土の曜日。
 先週行ってないから今週はちゃんとエリューシオンに行かないと………。
 後ろ髪引かれる思いで王立研究院へと向かい、遊星盤に乗ってエリューシオンへと降り立つ。
「天使様っ!」
 エリューシオンの大神官が私を見つけて駆け寄ってきた。
「こんにちは。大神官。ごめんなさいね。この間は来れなくて。」
「いいえ。天使様。天使様もお忙しいから仕方ないです。でも天使様はちゃんと私達を見ていてくれてたです。ゼフェル様の鋼の力。いっぱいいっぱいありがとうです。」
「えっ? 鋼の…力………?」
 大神官の言葉に私は呆然となる。
「はいです。私達は色々なものを作り出す技術力がとってもとっても欲しかったです。この間、天使様にお願いするつもりでしたです。でも天使様がいらっしゃらなかったので今日改めてお願いするつもりでしたです。なのに私達は毎日毎日ゼフェル様のお力を頂けたです。天使様はやっぱり私達のことを気にかけて下さってたです。天使様。エリューシオンの様子をゆっくり見て下さいです。」
 満面に笑みを浮かべる大神官に私は戸惑いながら遊星盤で上空に舞い上がった。
 どうして?
 私…育成のお願いなんてしていないのに………。
 上空から見下ろしたエリューシオンの様子に私は唖然とした。
 大陸に満ち溢れる鋼の力。
 人目で判る。
 不器用な不器用なエリューシオンの皆を私と同じに慈しみ包み込んでくれた器用で不器用なゼフェル様の想い。
「……………ゼフェル様。」
 私は大急ぎで大神官に別れを告げて飛空都市へと戻っていった。


 飛空都市に戻った私は以前教えていただいたゼフェル様の私邸を訪れた。
 何度か呼び鈴を押したけど誰も出てこない。
 ……お出かけ中みたい。
 仕方なく他の場所を捜し始める。
 ゼフェル様が休日を過ごされる場所のいくつかを私は知っていた。
 いつも目で追っていたから。
 ゼフェル様の姿を………。
 いつもだったら簡単に見つけだすことが出来た。
 だけど今日は……………。
 太陽が西に傾き辺りが茜色に染まってもゼフェル様は見つからなかった。
 諦めて明日にしようか……。
 そう思ったとき、ふと、ゼフェル様に呼ばれたような気がした。
 半信半疑で森の湖へと向かう。
 土の曜日は湖の入り口は閉鎖されている。
 でも私とゼフェル様の二人だけの秘密の入り口がある。
 私はそこから湖の畔へと歩いていった。
「ゼフェ……………。」
 湖の畔。
 大きな木の根本で眠っているゼフェル様を見つけてそっと隣りに座った。
 お疲れなのかな?
 スースーと安らかな寝息をたてるゼフェル様の顔をじっと見つめる。
 変な感じ。
 眠っている時はいつも目にする無防備な顔にはならないのね。
 ………駄目だな。
 私やっぱりゼフェル様が好き。
 女王になんてなりたくない。
 このままずっとゼフェル様のお顔を見ていたい。
 一時間が一日でも一年でも……。
 ずっと見つめていたい。
 ゼフェル様のお顔を。
 私はそっとゼフェル様の顔に自分の顔を近付けた。
 ふわっと柔らかい頬の感触を唇に感じてゆっくりと顔をあげる。
「!!!」
 カーッと真っ赤になったゼフェル様に私は口元を両手で押さえた。
「ゼ…ゼフェル様? もしかして起きて………。」
 これ以上は恥ずかしくて言葉ならない。
 口元を押さえたまま真っ赤になって俯いた私の目の前でゼフェル様がゆっくりと起き上がった。
「……………。」
「……………。」
 お互いに言葉が出ない。
 どうしたら良いんだろう。
「あの……………。」
「あ…あのよっ!」
 二人で同時に呼びかけて…驚いて目が合って更に赤くなる。
「大陸…行ってきたんだろ?」
 黙り込んでしまった私にゼフェル様が尋ねる。
「その…勝手な事して悪りぃとは思ったけどよ。俺は…俺はおめーがロザリアに負けてんのが我慢なんねーんだよ。勝手に力を贈って…最終的にそれがどんな結果になるのかも判ってっけど……。でも嫌なんだよっ!」
 ゼフェル様の言葉に私は顔をあげる。
 ゼフェル様は眉をよせて…それでも無防備な顔で私を見つめていた。
 その時、初めて気が付いた。
 ゼフェル様はゼフェル様でしっかり考えて…私が女王になるかもって事で悩んでいたんだって。
 ごめんね…ゼフェル様。
 私もこの気持ち…はっきりさせなくちゃね。
「………ゼフェル様。目を瞑って下さいますか?」
「あ? 何でだ?」
「良いから。」
「あ…ああ……。」
 そっと瞳を閉じるゼフェル様の頬に私はもう一度唇をつけた。
「なっ……。」
 ゼフェル様は赤い顔を更に赤くして私が触れた左の頬に手を置いた。
「ゼフェル様。私…ゼフェル様が………。」
 言いかけた私の言葉は唇に触れたゼフェル様の指に止められた。
「………女王になんかなるな。」
「……はい。」
「ずっと俺の所にいろ。」
「はい。」
「………好きだ。アンジェリーク。」
「私もす……………。」
 答える私の言葉がゼフェル様の唇に吸い込まれた。
 ゼフェル様が私から離れる感覚にそっと瞳を開く。
 目の前で私の大好きな…本当の言葉を伝えるときだけに見せる無防備な顔をしたゼフェル様が私を見つめていた。


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