泣き虫うさぎ


『……! あれは…あの時の………?』
 謁見の間に入ってきた二人の女王候補に興味なさそうな視線を送った鋼の守護聖ゼフェルは、金色の巻き毛を揺らす一人の少女の姿に釘付けになった。


 退屈な聖地を抜け出したゼフェルは、ある駅の改札を抜けた所で一人の少女の姿に足を止めた。
「……んだぁ。あの女。こんな所でみっともねー。」
 呆れたようにそう呟きながらもゼフェルの視線はその少女から離れられなくなった。
 視線を反らすことも動くことも出来なくなったゼフェルは近くの柱に寄り掛かり少女の姿をじっと見つめた。
 ピンク色のリボンをつけたプレゼントらしい大きな包みを抱える少女を。
『彼氏にでもすっぽかされたんかな。』
 向かい側の柱の側に立つ少女の真っ赤になった瞳を見ながらゼフェルがそんなことを考える。
 おそらく長い時間そうしていたのだろう。
 少女の緑色の瞳は止めどなく溢れる涙を手のひらで擦り続けていたらしく真っ赤になっていた。
 広い通路を大勢の人間が忙しなく行き来していくがゼフェルの目には少女の姿しか映っていなかった。
 泣き続ける少女とそれを見つめるゼフェル。
 二人の間にある時間だけが止まっていた。


『なんであいつ、あんなに泣いてられんだ?』
 ゼフェルが少女を見つけてからかなりの時間が経ち、辺りは茜色に染まってきた。
 時折時計を見て、人を待つような素振りを見せながら少女を見つめ続けたゼフェルが苛立ちを覚える。
『俺だったら…あんなに泣き続けるあいつを放っとかねーのに。……って…何考えてんだ? 俺? なーんか…妙な気分だよな。これって……。』
 ふと、頭の中をよぎった想いにゼフェルは唖然として、照れたように頬をかじる。
『ゼフェル。よっく見てろよ。』
 今だに自分よりも遥かに器用だと信じている父の言葉が蘇る。
 家族で海に遊びに行った時のことだった。
 父の大きな手はその辺に落ちている材料を使ってあっと言う間に砂時計を作ってしまった。
 不思議な魔法を見ているようでゼフェルはその砂時計を大切な宝物にしていた。
 そんな懐かしい砂時計の砂が身体の中をゆっくりと流れ落ちている…今の気分はまさにそれだった。
 心臓がキュッと大きく軋んだような音をたてて、ゼフェルはギュッと胸の辺りを掴んでいた。


「!!!!!」
 突然動悸が激しくなり、ゼフェルの中でゆっくりと落ちていた砂時計の砂がもの凄い勢いで落下を始める。
 自分と同じぐらいの年齢らしい数人の少年達が泣いている少女を取り囲み声をかけていた。
『……んにゃろ〜。』
 思うよりも先に身体が動いた。
「悪りぃ。遅くなった。」
 少年達と少女との間に憮然とした態度で割って入る。
「待たせて悪かったな。……どうかしたのか?」
 言いながら少女を囲んでいた少年達をきつく睨み付ける。
 元々どちらかと言えば不良の類に見られがちな野性的なゼフェルの迫力に押され、少年達は無言ですごすごと引き下がっていった。
「……………。」
 少女は突然やってきたゼフェルを涙混りの大きな瞳で驚いたように見つめていた。
「………ちっ。来いよ。」
「あっ………。」
 引き下がっていく少年達の姿を目で追っていたゼフェルは柱の影から自分達の様子を伺う少年達に短く舌打ちをして少女の手を取って歩き出した。
 すぐ近くの喫茶店に入り、改札口の見える席に少女を座らせ自分も向かい側に腰掛ける。
「あの………。」
 戸惑ったような濡れた緑の瞳にゼフェルは改札口を顎でしゃくった。
「ここなら…改札を通る奴の顔が見えるだろ? 悪りぃけど付き合えよ。人を待ってんだけど…まだ来ねーんだよ。おめーもそうなんだろ? ………おいっ!」
 ゼフェルは自分の言葉で思い出したかのように止まっていた涙をボロボロと零す少女に大いに慌てた。
「……な…泣くんじゃねーよ。俺が泣かしてるみたいじゃねーかよ。俺はすぐ泣く女は嫌いなんだよ。」
「ごめ…なさ………。」
「………紅茶で良いのか?」
 溜息混りのゼフェルの言葉に少女は泣きじゃくりながらも頷いた。
「……コーヒーとミルクティ。それと……これ…な。」
 注文を取りにきたウェイレスにそう告げて改札の方に顔を向ける。
 少女は小さく嗚咽を漏らして泣き続けていた。


 しばらくして泣き止んだ少女がテーブルの上に並べられた様々なケーキに目を丸くする。
「………あの。」
「食えよ。好きなんだろ? 多分……。こーゆーのよ。」
「好きですけど…こんなに沢山………。」
「食いきんねーなら持ち帰りにでもして貰え。俺はケーキなんて甘いモンは食わねーから。」
 少女の言葉を遮りながら外へと視線を移す。
 時刻は既に夜の時間を刻み始めたらしく、そこここに街灯が灯り始めていた。
「………あっ!」
「どうした?」
 ぼんやりと外を眺めていたゼフェルが少女の声に向き直る。
「ウサギみたい………。」
「はあっ?」
「あなたの瞳。綺麗な赤い色で………。」
 濡れた瞳のままホンの少し笑顔を見せて呟く少女にゼフェルは顔を赤くした。
「ば……。なに言ってんだよ。おめーこそ泣きすぎて目が真っ赤っかのウサギのクセしてよ。」
 ぶっきらぼうにそう言ってゼフェルは立ち上がった。
「……! どこ…行くの?」
「……ダチに電話してくる。すぐ戻るからおめーはケーキ食っちゃえ。…つっても急いで食う事ねーからな。」
 取り残された子供のような顔をする少女にゼフェルはそう言って電話器へと向かう。
 しばらくの間、電話で話すふりをする。
 席に戻る頃にはテーブルの上のケーキはあらかた食べ尽くされていた。
「ごちそうさまでした。………お友達…どうでした?」
「………家にいやがった。忘れてたとよ。…ったく。」
 少女の言葉にゼフェルは偽りの悪態をつく。
「俺はもう帰るけど…おめーはどうすんだ?」
「私も…帰ります。」
「……電話で確かめなくて良いのか?」
「はい。もう良いんです。」
 ゼフェルの言葉に少女は頷いた。
「そうか。……………家どこだ? 送ってく。」
「えっ? そんな何から何まで……。大丈夫です。一人で帰れますから………。」
「莫迦野郎。こんな時間に女一人で帰せるかよ。さっきの奴等もまだその辺うろついてるみたいだしな。」
 ゼフェルは遠慮する少女に苦笑しながら立ち上がり、二人は喫茶店を後にした。


「ここで大丈夫です。」
「良いのか?」
 静かな住宅街の一角に、並んで歩いていた二人の影が街灯に長く伸びる。
「はい。あの突き当たりが私の家ですから。送って下さってありがとうございました。」
「気にすんなよ。んなコト。……じゃあな。」
「……………あの。」
 背中を向けたゼフェルに少女は声をかけた。
「ん………?」
「今日…隣の家のお兄ちゃんの結婚式だったんです。大好きなお兄ちゃんで……。あの駅からお嫁さんの故郷に行っちゃって…もう二度と会えないんです。だから…さよならを言おうと思って………。」
 俯く少女の頬を銀色の涙が伝った。
「……ごめ…なさ………。泣くつもり…無かっ……のに。あの駅に…いた…訳……言おう……と………。」
「……………。」
 再び泣き始めた少女にゼフェルが深い溜息をついた。
「おめーみてーな泣き虫初めてだぜ。……良いよ。泣けよ。思う存分。おめーは特別ってコトにしてやっから。」
「………ありが…ふっ…うっ…えっ………。」
 自分の胸に顔を埋めて泣く少女の頭をゼフェルは優しく撫でた。
 金色の髪のほのかな匂いがゼフェルの鼻をくすぐる。
 肩を震わせ、なるべく声を出さないように泣く少女にゼフェルの胸がキリキリと痛んだ。
 自分に全く関係のないコトで心を痛める少女の姿に耐えられなかった。
 時間が経つにつれて嗚咽は徐々に小さくなっていった。
「も…大丈夫………。ごめんな……………!」
 緑の瞳を赤く腫らす少女に、耐えきれなくなったゼフェルが唐突に唇を重ねた。
「………その目。ちゃんと冷やさねーとホントにウサギになっちまうからな。判ったか? ウサギ。」
 ゆっくりと唇を離したゼフェルは間近に顔を寄せたまま呟いて少女の抱えていた包みを取った。
「これ…。貰ってくな。どーせそのお兄ちゃんとかって奴にやるつもりだったんだろ? だったらもういらねーよな。………じゃあな。ウサギ。さっさと元気になれよ。」
 少女のおでこを軽く指で弾いてゼフェルは歩き出す。
 少女は唇に手を添えたまま身動き一つせずに小さくなるゼフェルの背を見つめていた。


『あん時の………。間違いねーや。こいつ…また泣いたんだな………。』
 女王補佐官のディアと共に目の前を通る女王候補の、赤く腫れた緑の瞳にゼフェルの胸が痛んだ。
 ゼフェルは胸の痛みに顔を歪めながら飛空都市に設置された執務室へ向かっていった。
「………ロザリアとアンジェリーク…か。」
 執務室の机でゼフェルは守護聖全員に配られた二人の女王候補のデータを初めて眺めた。
「ゼフェル。失礼しますね。」
「………ディア様? あ……………。」
 そんなゼフェルの元に軽いノックの音と共にディアがアンジェリークを伴ってやってきた。
「アンジェリークに飛空都市を案内していたんですよ。宜しければ自己紹介をしてあげて下さいませんか?」
「自己紹介だぁ? ………鋼の守護聖ゼフェルだ。器用さを司る。」
「……………あなたらしい自己紹介ですね。ゼフェル。」
「よ…宜しくお願いします。ゼフェル…様……。」
 無愛想に短く挨拶するゼフェルにディアは慈愛に満ちた笑みを見せ、そんなディアの隣でアンジェリークは戸惑ったように慌ててお辞儀をした。
「それではアンジェリーク。他を廻りましょうね。」
 ディアに促されたアンジェリークはゼフェルの方を振り返り振り返り部屋を出ていった。
『あいつ…俺のコト覚えてんのかな? ……んなコトある訳ねーか。忘れちまってるよな。あいつ…結婚しちまった隣の家の奴のコトで頭が一杯だったから………。』
 モヤモヤとした気持ちを振り払うようにゼフェルは公園へ向かった。
 佇みドーム前の芝の上に寝転んでいると、再びアンジェリークを連れたディアに出会った。
 一言二言、言葉を交わして特別寮に向かうアンジェリークをゼフェルはじっと眺めていた。
 何度も後ろを振り返るアンジェリークにゼフェルの胸がキリリと痛んだ。


『…ったくよぉ。あいつにどう言えってんだよ。』
 試験が始まり数日が過ぎて、さすがに恋愛感情に疎いゼフェルも自身の胸の痛みの正体に気付き始めていた。
 だからあの日、泣いていた彼女をウサギと呼んだのは自分だと伝えたかった。
 しかしそんなタイミングを掴みきれず、不貞腐れたゼフェルは森の湖の大きな木の根本に寝転んでいたのだった。
『ん? ……アンジェリーク?』
 キョロキョロと辺りを気にしながらこちらに近づいてくるアンジェリークの姿に、ゼフェルは慌てて木の裏側に隠れた。
 アンジェリークは先程までゼフェルが寝ていた所にペタリと座り込むと突然涙を零し始めた。
『なん……! こいつ………。』
 おそらく一人きりになると泣いていたのだろうアンジェリークにゼフェルの胸がまた痛み出す。
 元気で明るい前向きな女の子。
 守護聖達の大部分はアンジェリークをそんな女の子だと思っている。
 でもゼフェルは彼女がとても泣き虫なのを知っていた。
「……なんでおめーはそうなんだよ。」
 泣き続けるアンジェリークの姿に耐えきれず声をかける。
「えっ? ゼフェルさ………。」
 驚いたように瞳を丸くするアンジェリークは慌てて顔を手で擦った。
「ば…莫迦っ! んなコトしたらまた目が赤くなってウサギみたいになっちまうぞ。………そうだろ? ウサギ。」
 擦る両手を掴んで苦笑するゼフェルにアンジェリークはポカンと口を開けた。
「やっぱり。あの時の…ゼフェル様だった……?」
「ああ。」
「……言ってくれれば…良い…に……。わた…人違……かと思っ………。」
「悪りかったよ。言うタイミングが掴めなくてよ。」
「莫迦ぁっ。」
 抱きつき何度も何度も拳で胸を叩くアンジェリークの背中をゼフェルは優しく叩いた。
「…ったく。相変わらず泣き虫だよな。おめーは。お…おいっ! 莫迦っ!」
 そんなゼフェルの言葉にアンジェリークはしゃくりあげながら手のひらで涙を拭った。
「だから…擦るなって。目が赤く腫れちまうぞ。」
「だっ…て。ゼフェ…様。ピーピー泣く女は嫌いって。」
「……。あん時、おめーは特別ってコトにしてやったろ? 良いから気がすむまで泣けよ。」
 短く息を吐くゼフェルにアンジェリークは縋り付くようにきつくしがみついた。
「……おめーさ。一人で泣くの止せよな。」
 しがみつくアンジェリークの頭を撫でながらゼフェルは呟いた。
「……だったら…泣きたくなったらゼフェル様の所に行っても良いですか?」
「ん?」
「ゼフェル様…こうして私に泣く場所を下さいますか?」
 涙を浮かべたままのアンジェリークにゼフェルは息を吐いた。
「……がねーよな。泣きたくなったらいつでも来いよ。誰もいないトコで泣かれるよりはマシだぜ。」
 そんなゼフェルの言葉にアンジェリークは再び涙を零し始めた。
「あの時…ファーストキスだったんだから………。」
「……………悪りぃ。」
 アンジェリークの呟きにゼフェルが顔を赤くする。
「あれから…何度も何度も駅で探したんだから。名前も住んでる所も知らないし、ゼフェル様…私の名前も聞かないで行っちゃうし………。」
「……………アンジェリーク?」
「声かけてくる男の子達に囲まれたらまた助けに来てくれるかな? って。でも来てくれなくて…逃げるの大変だったんだから………。」
「………んな危ねーコトすんじゃねーよ。」
「ずっと…ずっと……。あれからずっと会いたかったの。あの時の人にはもう二度と会えないって考えるだけで心臓が止まっちゃうくらい痛くて……。今まで泣くんじゃないよって慰めてくれる人は一杯いたの。でもそう言われると却って忘れられなくて泣いちゃうの。あの日…泣いて良いってゼフェル様が言ってくれて…思いっきり泣いたらお兄ちゃんの事は全部消えてて、私の中に残ったのはウサギみたいなゼフェル様の赤い目だけだったの。」
「……………莫迦野郎。」
 アンジェリークの言葉にゼフェルは小さく呟いて彼女を抱きしめた。
「あのね…私……。ゼフェル様が………。」
「………おめーが好きだ。」
 背中に廻した手に力を込めてゼフェルが更に強くアンジェリークを抱きしめる。
「……嫌だ。ホントにウサギになっちゃう……………。」
 胸の中で泣き場所を見つけたウサギが新たな涙を赤くなった瞳に溢れさせていた。


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