女王になっても


「あーっ! …ったくよぉ。頭にくるぜ。なぁにが、守護聖として人を見る目を養えだよ。大きなお世話だってんだ。…っくしょー。」
 聖地から飛空都市に戻って来た鋼の守護聖ゼフェルが荒れた様子でブツブツと呟きながら大股で歩く。
 今日は女王試験が始まってから二度目の謁見の日。
 守護聖一人一人が二人の女王候補のうち、どちらが次期女王に相応しいかを女王に告げる審査があった。
 大地の守護聖ルヴァはロザリアを押した。
 続く夢の守護聖オリヴィエもロザリアを押した。
 自分の番になった時、ゼフェルは正直悩んでしまった。
 ロザリアとアンジェリーク。
 ゼフェルは二人の女王候補のどちらに対しても特別に興味を持っていなかった。
 なにしろ試験そのものに関心がなかったので仕方のない事なのであるが………。
 それなのに前の二人がロザリアを押した事で、生来の天の邪鬼と上流階級の人間に対する多少の嫌悪感も手伝って、ゼフェルは我知らずアンジェリークの名前を告げていた。
 謁見が終わった後にはいつも、守護聖達だけで試験に関する話し合いがあるのでゼフェルはそのまま踵を返して控えの間で謁見が終わるのを待った。
 そしてゼフェルはその話し合いの場で他の守護聖達から辛辣な言葉を受ける羽目になってしまった。
 なぜならゼフェル以外の全ての守護聖がロザリアを次期女王に相応しいと女王に告げたからであった。
『そなたも守護聖のはしくれならもう少し人を見る目を養うのだな。』
 その時の光の守護聖ジュリアスの言葉である。
『人を見る目を養わなきゃなんねーのがどっちかその内てめー等にも判るぜ!』
 そんなジュリアスにゼフェルは腹立ち紛れにこう叫んでさっさと帰ってきたのであった。
「…ったくよぉー。俺は別にどっちだっていーんだよ。こんな事になんなら毎回建物審査にしろっての。……あー。くさくさする。……湖にでも行って気分転換すっか。」
 飛空都市の私邸に向かってザクザクと歩いていたゼフェルは森の湖へと方向転換した。


『アンジェ…リーク………?』
 茂みの中から湖の畔に座り込んでいるアンジェリークを見つけたゼフェルがその場に立ち尽くす。
 土の曜日は閉鎖されていて湖に入る事は出来ない。
 勿論、ゼフェルのように湖へと通じる抜け道を知っていれば別だが………。
『……ちぇっ。先客かよ。それにしてもあいつ……。どうやってここに入り込んだんだ? あの抜け道の事…知ってんのか? ……………えっ!? 嘘だろ?』
 ぼんやりとアンジェリークを見つめていたゼフェルが膝を抱えるように俯くアンジェリークに目を大きく見開く。
 アンジェリークの細い肩が小刻みに震えていた。
 ゼフェルはアンジェリークのそんな姿に無意識のうちに足を踏み出していた。
 パキッと踏みしめた小枝が乾いた音をたてる。
 そんな微かな物音にアンジェリークはハッとしたように頭をあげてゼフェルの方に顔を向けた。
「ゼフェル…様………。」
「よぉ……………。」
 ぶっきらぼうに挨拶すると、呆然とゼフェルを見つめていたアンジェリークは慌てたように顔を手で拭った。
「大陸へはもう行ってきたのか?」
 そんなアンジェリークを見なかったかのようにゼフェルは隣りに腰掛けながら尋ねる。
「あ……。はい。あの…ゼフェル様。さっきは私を推薦して下さってありがとうございました。でも…他の皆様に何か言われませんでしたか? だって私……………。」
「おめーが気にする事なんかねーよ。俺はただ単に上流階級の人間ってのが気に食わねーって理由でおめーを押したんだからよ。そこんトコ勘違いすんじゃねーぞ。それよりこれ…大陸のデータか?」
 アンジェリークの言葉を制するようにゼフェルは早口でそう告げると芝の上に置いてあったノートを手に取った。
「はい。そうです。」
「ふーん……………。」
 気のなさそうな返事をしてゼフェルはパラパラとページをめくった。
「……んだよ。これ? おめー。ほんとに毎回、大陸に行ってんのか? 育成の状態が滅茶苦茶じゃねーかよ。大陸の連中の望み無視して何やってんだ?」
「ゼフェル様…それの見方わかるんですか?」
「判るんですかって…おめー……………。」
 感心したように大きな瞳を丸くして尋ねるアンジェリークにゼフェルが絶句する。
「もしかして…おめー……。これの見方…判んねーで今まで育成やってたのか?」
「……………はい。」
 驚いたように尋ねるとアンジェリークは申し訳なさそうに小さく返事をしてコクリと頷いた。
 今度はゼフェルが目を丸くする番だった。
「……………はぁ。良いか? アンジェリーク。ここの数値が今日まで大陸に贈られた力だ。んで、こっちが今現在大陸の奴等が望んでいる力の量だ。………俺の力が一番多いな。神官の奴が鋼の力が欲しいって言わなかったか?」
「えっ? はい。そうです。色々な物を作り出す鋼の力が欲しいって……。すごーい。初めて見方が判りました。ありがとうございます。ゼフェル様。」
 大げさに溜息をついてゼフェルはノートに書かれた数値を指さしながらアンジェリークに説明した。
 ノートを覗き込んでいたアンジェリークは間近にあるゼフェルの顔を見上げて輝くような笑顔を見せた。
「そうか? 良かったな。これからはもうちっとましな育成しろよな。……………と、そう言やぁよ。」
「はい?」
 ふと、ある事を思い出したゼフェルがアンジェリークに問いかける。
「おめーさ。サラんトコで占いして貰った事あるのか?」
「サラさんの所ですか? いいえ。私…育成のお願いだけで手一杯で占いは……………。」
「…っぱりな。だろーと思ったぜ。親密度の確認も結構重要なんだぜ? 仲の良い奴に育成頼めば少しの力でも大量にサクリア贈って貰えるんだからよ。おめー。そう言うの全然気にしてなかっただろ?」
「はい………。」
「莫ー迦。何しょんぼりしてんだよ。仕方ねー奴だよな。おめーも。……明後日の月の曜日に朝一で占いして来い。で、その後俺んトコに育成に来いよ。占いの結果と育成状況照らし合わせりゃ何かアドバイス出来っだろーからよ。……………んだよ。その顔は?」
 驚いたように目をパチクリするアンジェリークにゼフェルは怪訝そうに尋ねた。
「えっ? あの…私……。ゼフェル様にこんなに親切にして貰えるとは思ってなかったから………。」
「……がねーだろ。俺だっておめーを押した以上、おめーに頑張って貰ってロザリアを押した他の奴等の鼻っ柱へし折って貰いてーんだしよ。」
 意外そうなアンジェリークの言葉にゼフェルはほんの少しだけ顔を赤くしてそっぽを向いて答えた。
「あ……。そうですよね。私…ゼフェル様のご期待に添えられるように頑張ります。それで…あの……。厚かましいとは思うんですけどゼフェル様にお願いがあるんです。」
「…んだよ? お願いって………。」
「これから土の曜日には毎週ここでお会いできませんか? 私…大陸の視察が終わったらすぐに来ます。ですからその時に今日みたいにアドバイスして欲しいんです。お願いしますっ!」
「あ…ああ。判った………。」
 両の拳をギュッと握りしめてもの凄い勢いで頭を下げるアンジェリークにゼフェルは迫力負けしてしまった。


 それから毎週、土の曜日になるとゼフェルとアンジェリークの二人は森の湖で会うようになった。
 何だかんだ言いつつも的確にアドバイスするゼフェルのお陰か、アンジェリークは大陸の育成を何の障害もなく順調に進める事が出来た。
 ゼフェル自身も、自分と比較的仲の良い守護聖達にそれとなくアンジェリークの事を語っていた。
 そしてついに四回目の謁見の日。
 アンジェリークは全守護聖の推薦を受けるまでになったのだった。
 そうなってくると大陸の方もめまぐるしい早さで成長をしていく。
 なにしろ毎夜のように、誰かしら守護聖がアンジェリークからの依頼無き育成として、そのサクリアを大陸へ贈っていたからであった。
 最初の内こそ鋼の力の象徴である建物で埋められていたアンジェリークの大陸は、九人の守護聖の加護を受け、その建物の数をどんどん増やしていった。
 ゼフェルはそんな大陸を上空から眺めながら、何か釈然としない気持ちを抱いている自分を不思議に感じていた。
 いつの間にか、アンジェリークの大陸は中央の小島、試験終了地点まであと一つとなっていた。


「あの…失礼します。ゼフェル様。」
「……よぉ。おめーかよ。何だ? 育成か?」
「あ……。いいえ。お話に来ました。」
「?????」
 何か沈んだ様子のアンジェリークにゼフェルは訝しげに首を捻った。
「話…ね。試験終了まであと少しなんだろ? ここで気ぃ抜いて大丈夫なのか?」
「………あの…ゼフェル様? 私…やっぱり女王になるべきですか?」
「は……………?」
 突然の問いかけにゼフェルがポカンと口を開ける。
「あの…ゼフェル様に助けて頂きながら無我夢中でここまで来て……。だから…あの………。」
「自信がねーのか? 女王としてやってく………。」
「……………。」
 黙り込んだまま俯いてしまったアンジェリークに近づいたゼフェルがアンジェリークの頭を撫でる。
「安心しろ。何があっても俺がついててやるから。自信持て。おめーなら立派な女王になれるからよ。」
「………そ…そう…ですよ……ね。あの…じゃあ、最後の育成のお願いして良いですか? たくさん……………。」
「ああ。判った。特別サービスで家一軒建てられる位、思いっきり贈ってやるよ。………!」
 俯いていたアンジェリークの頬を流れる水の雫にゼフェルは撫でていた手を止めた。
「おめ……泣いて……………。」
 アンジェリークの顎を捕らえて上を向かせたゼフェルは大粒の涙を零すアンジェリークに言葉を失った。
「ごめ…なさ……。あの…何…か……。感激しちゃ…て……。すみません。もう…帰りま…す………。」
「おいっ! アンジェリーク……。」
 大きくペコリとおじぎをしてアンジェリークは執務室を出ていった。
 廊下をパタパタと走る音が徐々に小さくなっていった。
「何で…あいつ……………。痛っ!」
 ゼフェルの目の前にアンジェリークの泣き顔がちらつく。
 突然ズキズキと痛み始めた心臓の辺りをゼフェルはきつく押さえていた。


 その夜、ゼフェルが贈った鋼の力で大陸中央にゼフェルの力を象徴する家が建った。
 ズキンっ!
 家が建った瞬間、ゼフェルの胸に激痛が走った。
 金色の目映い柱のようなものが空へと伸びて、夜空をめまぐるしい速度で星々が移動していった。
 そんな光景にゼフェルは眠れないまま夜明けを迎えた。


 翌日、玉座に座るアンジェリークに守護聖達が一人一人祝辞を述べていった。
 アンジェリークの泣きはらした緑の瞳はうつろに目の前の守護聖達を見つめていた。
『俺…なんで……………。』
 昨夜からずっと胸の痛みが治まらないゼフェルが苦痛に顔を歪める。
「ゼフェル。あなたの番ですよ。」
 隣にいたルヴァに小声で囁かれてゼフェルはゆっくりと玉座に歩み寄った。
「………アンジェリーク。」
 これで最後の呼びかけになる彼女の名前。
 女王のサクリアの力の象徴とも言える黄金の羽をその背に浮かばせたアンジェリークの名前を呼んだ時、ゼフェルは己の胸の痛みの正体に初めて気がついた。
「おめー…女王になるんだよな。俺…いま初めておめーに言っときたい事があるのに気付いたけど……。もう…どうしようもねーよな。」
 自嘲気味に笑うゼフェルの言葉にアンジェリークの緑の瞳が陰りを帯びて揺れる。
「………新…女王陛下。俺も俺に出来る限りの力で陛下のお役に立ちます。……………これで…良いよ……な。」
 苦しそうに言葉を紡いだゼフェルは悲しそうに微笑んで玉座から下がり、戴冠式は滞りなく終了した。


「そう言や…今日って土の曜日だったんだな。」
 聖地の湖にやってきたゼフェルが一人呟く。
 その辺に転がっている小石を拾い上げて湖に投げると、小石は数回水の上を跳ねて沈んでいった。
「……………アンジェリーク。」
 そっと名前を呟くと鼻の奥と目元がツンとした。
 ようやく気がついた事実。
 アンジェリークを愛している。
 でも、その事実に気付くのが遅すぎた。
 ゼフェルは止めどなく流れ落ちる滝に頭を突っ込んだ。
「……莫迦野郎。俺の…大莫迦野郎っ!」
 流れ落ちる水を後頭部に受けながらゼフェルは叫んだ。
 滝の水がゼフェルの涙を飲み込んでいった。
「ゼフェル様………。」
「! ……アンジェ……………。」
 滝の音に紛れて聞こえる筈のない少女の声がゼフェルの耳に届く。
 慌てて滝の中から頭を出すと、そこに女王の衣装を身に纏ったアンジェリークが立っていた。
「お…あ…あんた。こんなトコで何してんだよ。」
「あの…私。ゼフェル様にお聞きしたい事があるんです。」
 アンジェリークは真剣な眼差しで水を滴らせ顔を背けるゼフェルを見つめた。
「聞きたい…事……………?」
「さっきゼフェル様。言いたい事があったって言いましたでしょ? それって……。聞きたいんです。何が言いたかったんですか?」
「それは……。今更言ったってどうしようもねー事だよ。他の奴等が騒ぎだす前に宮殿に帰れっ!」
「どうしても…言って貰えませんか?」
「仕方ねーって言ってっだろ。」
 自分の腕を取るアンジェリークの手を振り払ってゼフェルが背中を向ける。
 心臓がズキズキと痛んだ。
「………ゼフェル様。お願いがあるんです。私の事…これからも今までみたいに助けて下さいね。私の事…支えて欲しいんです。」
「……さっき言ったろ? 俺の出来る限りの力で役に立ってやるって………。」
「そうじゃないのっ!」
 苦笑しながら呟くゼフェルの背後でアンジェリークが激しく首を振るのが判った。
「そうじゃないの。そうじゃなくて……。女王じゃない…ただの……。普通の女の子の私を支えて欲しいの。守護聖じゃない…ただのゼフェル様に………。」
 涙混りのアンジェリークの呟きにゼフェルが硬直する。
「私…ゼフェル様が好き。ゼフェル様が好き。ゼフェル様が好きなの。好きなの。ゼフェル様が………。」
 ゆっくりと振り返ったゼフェルの目の前に、泣きじゃくりその場にしゃがみ込むアンジェリークの姿があった。
「……アンジェリーク。」
「ゼフェル様が好きなの。……好きなの。好きなの。大好きなの……………。」
 呪文のように同じ言葉を呟くアンジェリークの顔をゼフェルはそっと上向かせた。
 緑の瞳に大粒の涙が溢れて零れる。
「……アンジェリーク。俺ってすげーニブいよな。おめーが女王になった時、初めて自分の気持ちに気がついたんだからよ。まだ間に合うか? ………アンジェリーク。おめーが好きだ。好きだ。好きだ。好きだ。」
「ゼフェ…さ……ま……………。」
 堪えきれなくなったように同じ言葉を繰り返し、ゼフェルはアンジェリークをきつく抱きしめた。
 アンジェリークは泣きじゃくりながらも、そんなゼフェルに思いきりしがみついていた。


「………アンジェリーク。俺さ。どんな事があっても一生おめーの事を支えてってやるよ。」
「約束…ですよ。」
「ああ……………。」
 光りを取り戻した緑の瞳に口付けながらゼフェルはそっと呟いていた。


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