ハプニング 〜君を避ける訳〜


「よぉ。アンジェリーク。いるか? あれっ?」
 女王候補アンジェリークの部屋を訪れた鋼の守護聖ゼフェルは空っぽの室内を見回して首を捻った。
「……いねーや。何処にもいなかったから多分部屋にいるだろうと思ったんだけどな。……ん?」
 微かに聞こえる息づかいにゼフェルはベッドの近くへと歩み寄った。
「………何だぁ? こいつ。なんつー所で寝てんだよ。」
 ベッドと壁の僅かな隙間で大きなクッションにもたれかかるように眠るアンジェリークを見つけたゼフェルが呆れたように呟いた。
「……まぁ。確かに。ここなら絶対に見つかりっこねーけど………。大した奴だぜ。……ったく。おい。起きろよ。アンジェリーク。折角俺が遊びに来たってのによ。」
「う………ん。」
 ドッキーンっ。
 つんつんと頬をつついていたゼフェルの心臓が寝返りを打つアンジェリークの姿に高鳴った。
『や…やべぇー。すっげェー可愛いでやんの………。』
「お…おいっ! アンジェリークってばよ。」
 内心の動揺を振り払うように少し大きな声を出す。
 それでもアンジェリークは一向に目覚めなかった。
「仕方ねーな。寝るんならちゃんとベッドで寝ろよ。」
 ゼフェルはそう言うとアンジェリークを抱き上げた。
『か…軽りぃ……。女ってこんなに軽いのか?』
 抱き上げたあまりの軽さに呆然としていたゼフェルの腕の中でアンジェリークがゆっくりと目を覚ました。
「ん……。えっ!? ゼ…ゼフェル様? ええっ? あっ…あのっ……。やっ! 降ろして下さい〜。」
「ば…莫迦。今降ろしてやるから暴れんじゃねーよ。バランスが崩れ……。うわっ!」
「きゃあっ!?」
 腕の中で暴れるアンジェリークにバランスを崩したゼフェルが彼女を抱いたままベッドの上に倒れ込んだ。
「!!」
 ベッドに倒れ込んだ拍子にゼフェルとアンジェリークの唇が重なった。
 その瞬間、ゼフェルの頭の中が真っ白にショートした。
「ん……。う…ん……………。」
 軽く重なっただけの唇をゼフェルが深く激しく求める。
 驚きで瞳を大きく見開いていたアンジェリークはゼフェルの行為にきつく目を閉じ引き離そうと腕を突っ張った。
 そんなアンジェリークの両腕を片手であっさりと押さえ込んだゼフェルは彼女の白い首筋に唇を寄せた。
「あっ! 止めっ! ………ゼ…フェル……様っ。」
 ピクンと身体を跳ねらせたアンジェリークが吐息混りにゼフェルの名を呼んだ。
 その甘い声がゼフェルの身体に更なる熱をもたらした。
 ブラウスのボタンを外し白い素肌を外気に晒す。
「だ…駄目っ……。ゼフェル様。おねが……。ねぇっ…。んっ。あっ…。あんっ……。おねが…い……。」
 首筋をきつく吸い上げるゼフェルにアンジェリークは首を振り懇願する。
 そんなアンジェリークの動作も今のゼフェルにはその行動を激しくさせるだけだった。
 ゼフェルはアンジェリークの胸の膨らみに自由な片手を滑らせた。
「あっ! 駄目っ! 止めて! ゼフェル様っ!」
「!」
 アンジェリークの必死の叫び声にゼフェルが我に返り愕然と目の前の少女を見つめた。
 真っ白なシーツの上に波打ち広がる金色の巻き毛とほどけた赤いリボン。
 緑色の大きな瞳は溢れる涙を湛えていた。
 笑みを絶やさなかった赤い唇は甘い吐息を漏らしながら濡れて赤みを増している。
 白い首筋に散らばった鮮やかな朱の痕。
 彼女の両腕の自由を奪い柔らかな白い胸の膨らみに置かれた己の手。
「ア…アンジェリーク。俺…俺……………。」
 慌ててベッドから飛び降りたゼフェルはアンジェリークから目を逸らす事も出来ずに後ずさった。
 ガシャーン!
「あっ! ゼフェル様。待って!」
 後ずさったゼフェルがテーブルにぶつかり置いてあった花瓶が床の上に砕ける。
 その音を合図にゼフェルは呼び止めるアンジェリークをそのままに、もの凄い勢いで部屋を出ていった。


「あー。ゼフェル? この所元気がありませんねぇ。アンジェリークと何かあったんですか?」
「ぶっ! な…何で知ってるんだよっ!」
「あー。やっぱり何かあったんですね?」
 久しぶりに大地の守護聖ルヴァの執務室を訪れたゼフェルはルヴァの突然の問いかけに慌てて立ち上がった。
「……………あいつが何か言ったのか?」
「いいえ。特には。最近避けられているとは言ってましたけど……。私はあなたの様子があんまりおかしいからそう思ったんですけどね。何があったんですか? いつまでも悩んでいるなんてあなたらしくありませんよ。」
 拗ねたような目で自分を見るゼフェルにルヴァは笑顔を見せてそう言った。
「……………。」
「ゼフェル?」
「……誰にも言わねーか?」
「勿論ですよ。」
「……実は…この間……………。」
 ゼフェルは言い難そうに切り出すとアンジェリークを泣かせてしまった先日の出来事を話した。
「どうかしてたんだ。俺。そりゃ。あいつにそうしたいって気持ちがあるのは嘘じゃねー。だけど…あんな風にするつもりは無かった。それなのにあいつとキスした瞬間、頭の中が火花が散ったみたいに真っ白になって……。気がついたらあいつを押さえ込んでたんだ。泣かせるつもりなんか無かった。なのに……。俺…。もうあいつと顔合わせられねーよ。あいつの顔見たらまたやっちまいそうで……。毎晩毎晩夢に見るんだぜ。あいつの肌や唇の感触がまだ残ってて……。堪んねーよ。気が狂いそうなんだ。」
 頭を抱えるゼフェルの姿をルヴァは静かに見ていた。
「呆れてるだろ? ルヴァ。俺だって笑っちまうぜ。でもよあいつを泣かせたくねーんだ。だからあいつとは顔合わせねー様にしてるってのに……。なのに…あいつの顔を見れないのがすっげェー辛いんだ。ここんトコがキリキリ言って………。なぁ。ルヴァ。俺…どうしたら良いんだろう? 教えてくれよ。」
 心臓の辺りをギュッと握るゼフェルにルヴァは静かに微笑んだ。
「そうですねー。ゼフェルの行為は確かに誉められる事ではありませんけど……。男として好きな女性を前にしたら当然起こり得る事態ですからねぇ。それでですね。ゼフェル。ちょっと聞きたいんですけどアンジェリークはあなたに……その…キス…されて嫌がりましたか?」
「嫌がってたんじゃねーか? 泣いてたから……。」
「アンジェリークの部屋での事ですよね。その時、彼女は大声で助けを呼びましたか?」
「………止めてくれって言ってたけど……。誰かを呼ぶような事はしてなかった…と思う。」
 次々に出てくるルヴァの質問にゼフェルは自信なさ気に答えていた。
「そうですか。どうしてなんでしょうねぇ。大声を出せば隣の部屋のロザリアが助けに来てくれるでしょうに。それなのに助けも呼ばず……。」
「……ルヴァ。何が言いたいんだ?」
 含みのある物言いをするルヴァにゼフェルは怪訝そうな顔をしてみせた。
「ねぇ。ゼフェル? あなたとアンジェリーク。男女差は確かにありますけど体格的にはさほど変わりませんよねぇ。彼女が思いっきり抵抗していたらあなたはそれを押さえ込む事が出来たと思いますか? 勿論、不可能ではないでしょうけど…多分、無傷ではすみませんよねぇ。私が見た所、あなたは傷一つ作ってないみたいですけど……。それはどうしてなんでしょうねぇ。」
「……あいつが。本気で…抵抗しなかった…から?」
 ルヴァの問いかけにゼフェルが呆然と呟いた。
「何…で? あいつ……。……そうだよな。ホントに嫌だったら俺をぶん殴っても良いんだもんな。なのに…………。何でだよっ! ルヴァっ!」
「私に聞かれても……。ゼフェル。その答えは自分で見つけなくてはいけませんよ。そうでしょう。」
 荒い息を吐きながら尋ねるゼフェルにルヴァは優しく諭していた。


『そう言や、こいつの顔見るのって久しぶりだよな。』
 定期審査の土の曜日。
 女王と女王補佐官ディアの前に立つアンジェリークの姿を眺めながらゼフェルはぼんやりと考えていた。
 顔を合わせないようになってから、まだそれ程経っていないと言うのにゼフェルは、もう一年も二年も会っていないような錯覚を感じていた。
「……ル。ゼフェル。あなたの番ですよ。」
 ぼんやりとしていたゼフェルがディアの呼びかけにハッとして二人の女王候補の前に歩み寄った。
「俺はアン……………。」
 目の前のアンジェリークの顔を凝視しながらゼフェルは言葉に詰まった。
『ここで俺がこいつを選べばこいつはまた一歩女王に近づくんだよな。……………!』
 じっと目の前の少女の顔を見ていたゼフェルがにっこりと自分に微笑むアンジェリークに慌てて顔を背けた。
『な…何であんな顔して笑えるんだよ。あの莫迦。あんな事した俺に……。………嫌だ! 俺はあいつを女王になんてさせたくねー!』
「ゼフェル? どうかしたのですか?」
「……あ。俺は……ロザリアの方が…いいと思うぜ。」
 怪訝そうに尋ねるディアにやっとの思いでそれだけ言うとゼフェルは踵を返して廊下へと足早に出ていった。
 後には驚いたように顔を見合わせる守護聖達と哀しそうに表情を曇らせるアンジェリークが残っていた。


『あいつ……。俺がロザリアの名前を言った途端、悲しそうな顔してたな。仕方ねーよな。俺…あいつを女王にさせたくねーんだから。でも……。このままずっとあいつを避けて行くよりあいつが女王になって俺の手の届かない存在になっちまった方が良かったのかな?』
 その日の夜。
 なかなか寝付かれないゼフェルは月の光に誘われて森の湖の滝の畔で流れ落ちる水を手に受けながらぼんやりと考えていた。
「………アンジェリーク。」
 そっと声に出して愛しい少女の名前を呼んでみる。
 激しい胸の痛みにゼフェルは水を掴むかのように拳をきつく握った。
「ゼフェル様………。」
 懐かしささえ感じる聞き慣れた少女の声にゼフェルはゆっくりと振り返った。
「おめ………。」
 振り返ったゼフェルは驚いたように瞳を見開き言葉を失った。
 薄手の純白の夜着を纏ったアンジェリークの背に銀色の翼を見たようにゼフェルは感じたのだった。
「今晩わ。ゼフェル様。良かった。お会いできて……。」
 ぎこちない笑顔を見せるアンジェリークにゼフェルは顔を背けた。
「おめー。こんな時間に何やってんだよ。さっさと寮に帰って明日に備えろよ。女王候補だろ? おめーは。」
「………ゼフェル様? そんなに私の事がお嫌いですか? 顔も見たく無いほど………。」
 まともに自分の顔を見ようとしないゼフェルにアンジェリークは悲しそうに尋ねた。
「な…なに言ってんだよ? おめーは?」
「だって……。この間からずっと私の事…避けてらっしゃるし……。審査の時も……。私の名前を言いかけてロザリアを選ばれたでしょう。あの…この間の事が原因ですか? 私がゼフェル様の思い通りにならなかったから………。」
「そ…そんな事ねーよ! なに勘違いしてんだよ。」
「だったら…どうして私を避けるんですか?」
「それは………。なっ! 触んじゃねーよ!」
「きゃあっ!」
 自分の手を握る暖かな感触に先日の素肌の滑らかさを思い出したゼフェルがアンジェリークの手を思いっきり振りほどいた。
 その拍子にアンジェリークは湖の中に足を滑らせて落ちてしまった。
「ア…アンジェリーク! わ…悪りぃ。大丈夫か? ……!」
「は…はい。大丈夫です。……ゼフェル様?」
 慌てて湖から自分を引き揚げたゼフェルが月明かりの下でも分かるほど赤い顔をして再び背を向けたのでアンジェリークは怪訝そうにゼフェルを見た。
「ア…アンジェリーク! おめー。これでも羽織れ!」
 マントを外したゼフェルは裏返った声で叫ぶと背中を向けたままアンジェリークにマントを差し出した。
「あの……。私だったら大丈夫です。この時期ならそんなに寒くないし……。」
「そうじゃねーよっ! 透けてんだよっ!」
「えっ? ……きゃっ!」
 怒鳴るようなゼフェルの言葉にアンジェリークは慌てて差し出されたマントで身体を隠した。
「……ゼフェル様。」
「なんだよ。」
「私の事…お嫌いならはっきりおっしゃって下さい。でないと私………。」
「だからっ! おめーの事嫌ってねーって言ってるだろ?」
「嘘っ! だったらどうしてゼフェル様はさっきから私を見て下さらないんですか?」
「だからそれは……………。」
 涙声に振り返ったゼフェルが自分に詰め寄るアンジェリークから視線を逸らす。
「ゼフェル様っ!」
 責めるようなアンジェリークの声にゼフェルが苦しそうに眉を寄せる。
「……………。」
 じっと言葉を待っていたアンジェリークはゼフェルの首に手を回し顔を引き寄せた。
「………!」
 アンジェリークにキスされたゼフェルがそのルビーの瞳を大きく見開いた。
 ゼフェルはゆっくりと唇を離し甘い吐息を漏らすアンジェリークを硬直したように見つめていた。
「ゼフェル様。私…あなたの事が好きなんです。あなたが好きです。ゼフェル様。だから…私を見て下さい。」
 頬を染めたアンジェリークが羽織っていたマントをゆっくりと地面に落とした。
「この間はすみませんでした。突然だったから驚いて………。でも…少しも嫌じゃ無かった。本当ですよ。ただビックリして……。」
 月明かりの中で濡れた夜着を身体にピッタリとまとわりつかせたアンジェリークが白く浮き上がる。
「ゼフェル様が好きです。だから私を見て下さい。触れて下さい。私もゼフェル様を感じたい。ゼフェル様に愛されてるって思いたい。だから…触って下さい。」
 アンジェリークは呆然と立ち尽くしたままのゼフェルの手を取ると頬ずりをした。
「……ア…アンジェリーク。」
 柔らかな頬の感触に我に返ったゼフェルがアンジェリークをきつく抱きしめた。
「い…良いのか? 本当に………。俺がおめーを避けてたのはよ。この間、泣かしちまっただろ? だからなんだ。おめーを泣かせたくない。だけど…おめーの顔見たらこの間と同じ事またやっちまいそうで……。自分に歯止めが効かねーんだ。だから…おめーと二人っきりでいられねー。そう思ってた。……本当に良いのか? 今ならまだ……。嫌なら俺の歯止めが効いてるうちに帰れよ。そうでないと俺。またおめーを襲っちまう。今だって限界スレスレなんだ。だから……。」
 震えながら言葉を続けるゼフェルにアンジェリークはしがみつくように抱きついた。
「莫迦なゼフェル様。嫌だったらとっくにここからいなくなってます。自分からキスしたりなんてしません。……ゼフェル様に避けられてた間とても悲しかったんですよ。でも今はとても安心できて気持ちいいんです。」
「……アンジェリーク。初めておめーに触れた日から毎晩おめーを抱く夢を見てた。おめーの肌の感触がずっと俺の中に残ってて……。おめーと顔を会わせないでいる間、心臓がえぐられるみたいに痛かった。今は…ひっくり返っちまいそうだな………。」
「ゼフェル様……………。」
 クスリと苦笑するゼフェルにアンジェリークが優しく微笑み返し、二人はゆっくりと唇を合わせた。
「アンジェリーク。」
「ゼフェル様。」
 どちらからともなく互いの名を呼び合う。
 月明かりの下で二つの大きな影がゆっくりと一つに重なっていった。


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