カーニバル 〜祭りの余韻〜


「よぉ。まだなのかよ。オリヴィエ。」
 夢の守護聖オリヴィエの執務室で鋼の守護聖ゼフェルは隣りに続く部屋の扉の前で先程からブツブツと文句を言い続けていた。
「まだかかんのかよ。もう一時間はたってるんだぜ?」
「お黙りっ! このくそガキ! 女の子の準備ってのはねぇ。時間のかかるものなの。大体ねぇ。私達を差し置いてくじに当たってるクセにたかだか一時間が待てないっての?」
「…んな事言ってもよー。」
 憮然とした表情で仁王立ちするオリヴィエにゼフェルが更に言い募る。
「………もう少しで終わるからお待ち。」
 奥へと戻るオリヴィエにゼフェルは恨めしそうな顔を見せていた。
 事の起こりは二日前の事である。


「女王祭? あの何百年かに一度やる? ……やったぜ! またそんな時期が来たんだな。」
「ええ。そうなんですよー。それで今回も一日だけ外出許可が出ましてねー。……だけどね。ゼフェル。今回は特別な事があるんですよー。」
「特別な事? 何だよ? ルヴァ。勿体ぶらずに教えろよ!」
 大地の守護聖ルヴァがにこにこと微笑みながら言葉を区切るのでゼフェルは焦れったそうにルヴァを促した。
「アンジェリークとロザリアですよ。女王試験の最中ではありますが息抜きも必要だろうって事で彼女達にも一日外出許可が下りたんです。」
「……それじゃあ。あいつ等と一緒に行けるのか?」
「ええ。しかもね。ゼフェル。なんと! くじ引きで当たった誰かが彼女達の独占権を得られるんですよ。凄いでしょう。あー。お待たせしました。ジュリアス。」
 ルヴァはゼフェルにそう説明しながら光の守護聖ジュリアスの執務室へ入っていった。
「これで全員揃ったな。皆、既に話は聞いていると思うがオスカーからの提案により明後日の女王祭で女王候補の二人と行動を共にする者をこのくじで決めたいと思う。」
 そう言ってジュリアスは机の上に置いてあった大きな箱を手に持ち、集まった守護聖達に中の紙を引かせた。
「アンジェリークとロザリアの名前が書いてある紙を引いた者が当たりだ。その者は当日責任持って女王候補の相手をするように……。良いな。」
 ジュリアスの言葉に集まった守護聖達が息を飲んで手にした紙を広げた。
「………やったー! 当たった! ロザリアだ。ロザリアと一緒に行けるんだ。」
 静まり返った部屋の中で風の守護聖ランディが嬉しそうに叫んだ。
「おやおや。どうやらランディが当たったみたいですね。……ん!? あの…ゼフェル? どうかしたんですか?」
 ルヴァが隣で広げた紙を凝視したままピクリとも動かないゼフェルに声をかけた。
「……ルヴァっ! 俺。あいつのトコ行って来る!」
 そう言ってゼフェルは手にした紙を放り投げると、もの凄い勢いで部屋を出ていった。
「どうしちゃったの? ゼフェルってば………。」
「……………。あー。どうやらゼフェルも当たりだったみたいですよ。ほらっ。」
 ゼフェルが投げ捨てた紙を拾い上げたルヴァはアンジェリークと書かれたその紙を笑顔で広げて見せた。


「女の支度ってのはこんなにかかるモンなのかよ? うざってーなー。早く行きてーのに………。」
 なかなか出てこないアンジェリークに待ちくたびれたゼフェルがブツブツと呟いていた。
「お待たせ! ゼフェル。ほ〜ら。見てご覧!」
 唐突に扉が開き、オリヴィエの後ろからアンジェリークが恥ずかしそうに姿を現した。
「……………。」
「ほらっ。ゼフェル。ポカンと大口開けて莫迦面してないで何か言ったら?」
「えっ? あっ……。その……。……………化けたな。」
「ゼフェル〜。そうじゃないでしょ。」
 ボソリと呟いたゼフェルの言葉にオリヴィエが眉間にしわを寄せて目を座らせた。
「ま。いいわ。……待ってたんでしょ。早く行ったら?」
「分かってるよ。それ位。行くぞ。アンジェリーク!」
「は…はい。あの…オリヴィエ様。色々とありがとうございました。」
「行ってらっしゃーい。ごゆっくりー。…………あーあ。もう少ししたら私も行こっかな。」
 早足で歩くゼフェルの後を小走りに追いかけるアンジェリークに笑顔を見せたオリヴィエは二人の姿が見えなくなると溜息を漏らして呟いた。


「あ…あのっ。ゼフェル様。待って下さい。」
「遅せぇーよ。おめーは。何トロトロ歩いてんだよ。」
「だって……。きゃっ!?」
 小走りに歩いていたアンジェリークがガクッとバランスを崩して転びそうになった。
「おっと。……危ねーなぁ。大丈夫か? なんも無い所で何つまづいて……………。」
「ゼフェル様?」
 転びそうになった自分を支えたまま言葉を失ったゼフェルにアンジェリークが不思議そうな顔を見せた。
「おめー……。目の高さがいつもと違うっ! 何でだ?」
「あっ。それは……。あの…今日は服に合わせて踵の高い靴を履いているから……。」
「……あー。それで今日はいつにも増して歩くのがトロいんだな? 仕方ねーな。ほら。行くぞ。」
「あっ。はいっ!」
 再び歩き出したゼフェルの、先程とは打って変わってゆっくりとした歩みにアンジェリークは思わず微笑んだ。
「………何だよ。」
「いいえ。あの……。ゼフェル様? 私のこの格好………。変ですか?」
「……いいや。何でだ?」
「だって……。あの……………。」
 困ったように言葉を濁すアンジェリークをゼフェルは不思議そうに見ていた。
「だって…ゼフェル様。何もおっしゃって下さらないから……。やっぱり似合いませんよね。私には………。」
「………んな事ねーよ。」
「本当ですか?」
 ゼフェルの言葉にアンジェリークの顔が輝く。
「……似合ってるよ。」
「嬉しい。良かった。あの…ゼフェル様。これから何処に行くんですか?」
 耳を赤くしてボソリと呟くゼフェルに笑顔を見せたアンジェリークが尋ねた。
「ん? そうか。おめー初めてだったよな。女王祭。すっげェ規模のでかいパレードがあってよ。俺…そいつを見るのが結構好きなんだ。今回はおめーも一緒だから特別に俺の一番好きな場所からそいつを眺めようと思ってよ。」
「……そこってどこなんですか?」
「いいから。黙ってついてこいよ。」
 不思議そうな顔を見せるアンジェリークにゼフェルはそれ以上の事は言わず、二人は人混みの中に紛れていった。


「……どうしたんだ? アンジェリーク。」
 遊園地の大きな観覧車のゴンドラの中で、向かい側に座り笑みをこぼすアンジェリークにゼフェルが不思議そうに尋ねた。
「えっ? あっ! 何でもありません。私…小さい頃、これに乗ってみたくて……。でも一周するのに十五分以上かかりますでしょう。だから小さい子はすぐ飽きるからって言われてなかなか乗せてもらえくて……。大きくなって友達と来るようになってからもなかなか乗る機会がなくて……。だから今、凄く嬉しいんです。あっ! ゼフェル様。ほら。あそこ!」
 そう言ってアンジェリークの指さす先にパレードの先頭が見えてきた。
「ああ。始まったな。凄ェだろ? 近くで見るって手もあるけどよ。あの人混みじゃ見るに見られねーからな。」
「本当に。凄い人の列ですね。」
 徐々に昇っていくゴンドラの中から通りに幾重にも重なる人垣を眺めながらアンジェリークが呟いた。
「……ゼフェル様? そっちに座っても良いですか?」
「ん? ああ。こっち座れよ。見やすいだろ?」
 アンジェリークの言葉にゼフェルが脇にずれる。
「ありがとうございます。……凄ーい。綺麗ですねぇ。ゼフェル様。」
 ゼフェルの隣りに座ったアンジェリークが笑顔を見せた。
「凄い。凄ーい。」
 窓の外を嬉しそうに眺めているアンジェリークの後ろからゼフェルも外を覗き込んだ。
「なっ。言った通りだろ? このパレードは十分位続く長い行列なんだ。だからこれに乗っててちょうど良いだろ。上から眺めるってのも結構良いモンだ……。ぷっ。」
「えっ? ……きゃっ! ごめんなさい。ゼフェル様。」
 開け放したゴンドラの窓から入り込んだ風がアンジェリークの金色の髪をなびかせ、すぐ後ろにいたゼフェルの顔にあたった。
「だ…大丈夫ですか? ゼフェル様。」
「平気だよ。………おめーよ。オリヴィエに化粧された時香水か何かつけられたのか? 何か花の匂いがしたぞ。」
「あっ。それは…きっとシャンプーの匂いです。私フローラル系のシャンプーを使ってるから………。」
「ふーん。そっか。道理でいい匂いがすっと思った。」
「ゼフェル様。……………きゃあっ!?」
 見つめ会う二人の乗ったゴンドラがちょうど頂点近くに達した時、ゴンドラがガクンと大きく揺れアンジェリークはゼフェルに抱きつく形となった。
「な…何だぁ?」
「………と…止まってませんか?」
「止まってるな。………!」
 知らず知らずの内にアンジェリークを抱きしめていたゼフェルが我に返って慌てて彼女を離した。
「どうしちゃったんでしょうね。」
「しっ。静かにしろよ。何か言ってるぜ。」
 ゼフェルが口元に手をやるのでアンジェリークも黙って外の声を聞いていた。
 人々の笑いやざわめきの中に紛れて電気系統の故障を伝える園内放送が流れていた。
「電気回路の故障か。だったら早くて一時間ってとこだな。複雑だったらもっとかかるだろうけど……。ま、焦ったって仕方ねーや。動くまでのんびりしようぜ。」
「………そうですね。ちょうど一番高い所みたいだし、見晴らしが良くていいですよね。」
 前の座席に足を投げ出し伸びをするゼフェルにアンジェリークは隣りに座ったまま笑顔を見せた。


「……クシュン。」
「アンジェリーク。何だ。おめー寒いのか? 仕方ねーな。これ引っかけてろよ。」
 夕方近くになり、くしゃみをするアンジェリークにゼフェルは自分のマントを外すと彼女に渡して立ち上がり、ゴンドラの窓を閉めた。
「これで少しは違うだろ。」
「ゼフェル様。ゼフェル様の方が寒そうですよ。これお返しします。」
 元々薄着のゼフェルの姿にアンジェリークが渡されたマントを差し出す。
「俺は良いって。………ックシュ。」
「ほら〜。」
「だーっ。今のは鼻がむず痒かっただけだって! 別に寒い訳じゃ………。」
 言いかけて心配そうに見つめるアンジェリークの瞳にゼフェルが言葉を失う。
「………んじゃーよ。お互い譲歩して、こうしようぜ。」
 そう言ってアンジェリークの隣りに腰掛けたゼフェルは彼女を引き寄せると二人でマントを肩にかける。
「これなら文句ねーだろ? お互い暖まるしよ。……おっ。見て見ろよ。アンジェリーク。」
「えっ? ……………凄い……綺麗。」
 ゼフェルの言葉にアンジェリークは真っ赤な夕日がゆっくりと地平線の彼方に沈んでいく姿に感嘆の声をあげた。
「………すげェよな。俺のいたトコじゃこんな夕日は見れなかったから……。これだけは主星に来て良かったと思ってるぜ。最近は守護聖になって良かったとちっとは思えるようになったしよ。」
「……そうなんですか?」
「まぁな。今まで逃げ出す事しか考えて無くて……。女王祭にしたってルヴァやオリヴィエなんかと一緒でないと許可が下りなかったからな……。単独行動って許されなかったんだぜ。」
「……今回は良かったですね。お目付役の方がいらっしゃらないで……。でも…どうしてなのかしら?」
 不思議そうに首を捻るアンジェリークにゼフェルが心外そうな顔を見せる。
「……判らねーのか?」
「はい……………。あっ! 信頼されてるって事ですよね。ゼフェル様が。守護聖として……。」
「そんなんじゃねーよ。」
「えっ?」
「………はぁ〜。おめー。ほんとーに判んねーのか?」
「……………はい。」
 頭を抱えるゼフェルにアンジェリークは申し訳なさそうに返事をした。
「仕方ねーな。………今回よ。俺が一人で行動出来るのは…おめーと一緒だからだよ。」
「………私と? あの…それって………。」
「ああっ! もうっ! だからっ! こう言う事だよ。」
 いまだ訳が分からないと言った顔を見せるアンジェリークに焦れたゼフェルが彼女を抱き寄せた。
「ゼフェルさ……………。んっ!」
 突然ゼフェルにキスされたアンジェリークが驚きのあまり見開いた大きな瞳を静かに閉じた。
「んっ……。ふっ……。」
 軽く触れ合うだけの口付けが徐々に深く激しいものへと変化していきアンジェリークの頭の中は真っ白になった。
 その時、ガクンっとゴンドラが大きく揺れ、観覧車が再びゆっくりと回り始めた。
「………直ったみてーだな。……おい。アンジェリーク。正気に戻れよ。おいっ!」
 アンジェリークの唇を離したゼフェルがぼーっとしている彼女の頬を軽く叩いた。
 その刺激で意識を取り戻したアンジェリークはゼフェルの顔を見た途端、真っ赤になった。
「……判ったか? アンジェリーク。おめーが女王候補でいる間は俺が逃げださねーってあいつら知ってんだよ。だからこうやって二人きりになれたんだ。……ところでよ。」
「は…はい?」
 ゼフェルの突然の問いかけにアンジェリークは身体を堅くした。
「おめーさ。女王になりたいのか? それともなりたくねーのか? どっちだ? 正直に言ってくれよ。」
「えっ? そ…それは……。あの…どうして………。」
「……俺はよぉ。おめーだったらきっといい女王になるんだろうなと思うんだ。だけど…嫌なんだよ。おめーが女王になるのが。………俺にここまで言わせといてその意味まで判らねーなんて言わせねーぞ。判るだろ。」
 じっと自分を見つめるゼフェルにアンジェリークが赤い顔を更に赤くする。
「でも…あのっ……………。」
「女王になりてーのか?」
「いいえっ! でも…女王にならなかったら私は………。」
「大丈夫だよ。そん時にはディア様みてーに補佐官になれば良いんだからよ。……それでよ。次の女王祭もその次の女王祭も……。俺が守護聖止めるまでずっと一緒に見に来ようぜ。ここ以外にもパレードを見る穴場は沢山あるんだからよ。そうしろよ。なっ? それとも……………嫌か?」
 不安そうに尋ねるゼフェルにアンジェリークは慌てて首を振った。


「すっかり遅くなっちまったな。」
「……そうですね。何だか…帰りたくないな。」
 聖地へ戻る道を並んで歩くゼフェルの言葉にアンジェリークはポツリと呟いた。
「……おめーもそう思ってたのか? だったら…その……。遅くなりついでによぉ。……朝帰りしねぇーか?」
「あ…あのっ! それって………。」
「何だよ。おめーが帰りたくねーって先に言ったんだぜ? ………嫌なら別に構わねーけどよ。」
 真っ赤になって慌てるアンジェリークの前をゼフェルが歩き出す。
「……! ん?」
「………朝帰り…しても良いです……………。」
「よっしゃあー。決まりだな。」
 真っ赤になったアンジェリークはゼフェルのマントの端を掴んで俯いたまま聞き取れないかと思うほど小さな声で囁いた。
 そんなアンジェリークの言葉にゼフェルは満面に笑みを浮かべ、二人は夜の街に消えていった。


 翌日、聖地へ戻った二人にジュリアスのカミナリが落ちたのは言うまでも無かった。


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