けんかのあとは


「この部屋………。こんなに狭かったっけか?」
 足の踏み場もない程に散らかしてある部屋の中で、かろうじて空間の残っているベッドの上に突っ伏していた鋼の守護聖ゼフェルがポツリと呟いた。
 ゴロリと寝返りを打つと見事な細工が施された小物入れが机の上に置いてあるのがゼフェルの目に入った。
「…っきしょー。なんでぇ。あんな奴。…っかやろー。」
 訳の分からぬ胸の痛みを覚えたゼフェルは再び寝返りを打つと、金色の巻き毛の少女とのやりとりを思い出して消え入りそうな声で呟いていた。


 女王試験が始まった直後のある日、ゼフェルの部屋を訪れた女王候補のアンジェリークはその部屋のあまりにも見事な散らかりぶりに呆れ、週に一回掃除をしにゼフェルの部屋を訪れるようになった。
 そしてそれは試験が順調に進んでいる今でも続けられている事だった。
「………もう。ゼフェル様ったら。こんなに散らかして。折角綺麗に片付けたのに……。一週間で元通りにしちゃうんだから……。でも……。そんな所がゼフェル様らしいところなのかもな。」
 その日もゼフェルの部屋を訪れたアンジェリークは呆れたように呟き、外出中のゼフェルを気にする事なく主のいない室内の掃除を始めたのだった。
「……これで良しっと。うふ。あんまり綺麗になってるんでゼフェル様驚くだろうな。」
 部屋の掃除を終えたアンジェリークは笑顔を作りお茶の準備をしてゼフェルの帰りを待った。
 日が西に傾きかけた頃。
「あれっ? ……なんだ。おめー。また掃除に来てたのか? 物好きな奴だよなぁ。おめーも。別に片付けてくれって頼んだ訳でもねーのによ。」
「お帰りなさい。ゼフェル様。別に良いじゃないですか。私…。散らかっているお部屋って嫌いなんです。……綺麗になりましたでしょ?」
 部屋に帰ってきたゼフェルの呆れたような言葉にもめげずアンジェリークは笑顔を作った。
「………まあな。……あれ? おい。アンジェリーク。この辺に転がってた鉄板何処にやったんだ?」
「そっちの箱の中ですよ。」
 きっかけはこんな感じで始まった。
 部屋のあちらこちらに散らばっていた工具や部品の類が何処にあるのか全く分からなくなってしまったゼフェルは必要なものが出来る度にアンジェリークに尋ねていた。
 そしてそんな面倒臭さに苛立っていたゼフェルは大切な図面を捨てられてしまった事でとうとう癇癪を起こしてしまったのだった。
「……なんだとぉ? …ったく。お節介もいい加減にしろよな。アンジェリーク! どんなに部屋がごちゃごちゃになってたってな! 俺には何が何処にあんのかしっかり分かってたんだぞ。いい子ちゃんぶるのも大概にしやがれ!」
「そ…そんな……。いい子ちゃんだ何て……。酷い……。ゼフェル様の……。ゼフェル様の莫迦ぁっ!!」
 パチーンとアンジェリークの右手がゼフェルの左の頬に鮮やかな手形を残した。
「痛てっ! ……痛てーじゃねーか。莫迦野郎! ……てめーなんか二度と来んな!」
 大粒の涙を零しながら部屋を出ていくアンジェリークの後ろ姿にゼフェルは怒鳴っていた。
 そうして二週間が過ぎたのだった。


「……なんでぇ。あんな奴。だから女なんて嫌なんだよ。ちょっと強く言っただけでピーピー泣きやがって……。頼まれた訳でもねーのに人の部屋かってにいじくる方が悪いんじゃねーかよ。…っきしょー。……げっ!」
 アンジェリークに叩かれた左頬を撫でながら体を起こしベッドの上から勢い良く降りたゼフェルはその拍子に加工しかけの金属片を踏みつぶしてしまった。
「あー。あー。真っ二つに折れちまった。…っきしょー。もう使えねーじゃねーかよ。」
 見事に折れてしまった金属片を放り投げてゼフェルが部屋の中を見渡す。
「……………そうだよな。部屋が狭く感じるのは散らかってるからなんだよ。………掃除すりゃあ良いんだよ。掃除すりゃあ。」
 たった一人の部屋の中で意味もなく大声で叫んだゼフェルは部屋の片付けを始めた。
「全く。何でこんな簡単な事に気がつかなかったんだろうな。俺は。……そうだよ。あの莫迦が毎週毎週掃除に来るから今日は来るかも? って思っちまってそのまんまにしてたのが悪りかったんだよ。もう……。あいつが俺のトコに来る訳ねーのに……。痛てっ。」
 床に散らばっていた金属片を拾い始めたゼフェルがその一枚で指を切る。
「痛ってー。すっぱり切っちまった。…ったくよー。」
 ブツブツと文句の言葉を呟きながらもゼフェルは部屋の片付けを続けた。
 部屋の中がすっかり綺麗になる頃にはゼフェルの手は無数の切り傷だらけになっていた。
「……まぁ。こんなモンか。…っかしよー。器用さを司る鋼の守護聖ゼフェル様がたかが部屋の片付け位で何こんなに傷作ってんだかなー。情けねーよなー。」
 呆れたように呟き汚れた手を洗うため洗面台へ向かう。
 部屋に戻ったゼフェルは綺麗になった部屋をグルリと見渡し首を捻った。
「……何か。今イチだよな。何であいつがやったみてーになんねーのかな? ………部屋も……やっぱ狭めーよな。」
 そう感じるのがアンジェリークに会えない寂しさから来ていると気付いてないゼフェルが次第に苛立ちを覚える。
「………ちきしょー! アンジェリークの泣き虫の大莫迦野郎! てめーなんか大っ嫌いだーっ!」
 ガタンっ。
「へっ!?」
 背後からあがった物音に驚いたゼフェルが振り返るとそこにアンジェリークが身体を震わして立っていた。
「アンジェ……リーク。」
「……ゼフェル様。あの……。先日は悪い事をしたなと思って……。ゼフェル様が私の事嫌いだなんて知らなかったから……。ご迷惑をおかけして……。もう……。もうゼフェル様の所には……。なるべくゼフェル様の目に入らないようにしますから……。だから……………。」
「あっ! おい! アンジェリーク。……………ちえっ。」
 走り去るアンジェリークの後ろ姿に手を伸ばしかけたゼフェルは短く舌打ちをした。
 部屋の中に視線を戻したゼフェルは机の上に置かれた小物入れをじっと眺めていた。


「………こんな所にいやがった。……アンジェリーク。おい……。寝てんのか?」
 それから数日後。
 森の中の日溜まりで大木に寄り掛かりうたた寝をしているアンジェリークを見つけたゼフェルが彼女に声をかけた。
「よぉ。アンジェリークってばよ。」
 軽く揺すってみるがアンジェリークは一向に目を覚ます気配がない。
「……………。眠ってるんならちょうどいいや。起きてっ時には言いづれーかんな。」
 安心したようにホッと息を吐いたゼフェルは持っていた小物入れをアンジェリークの膝の上に乗せた。
「……………アンジェリーク。この間は……。その……。ごめ…ん…な…。大嫌いなんて言ったの……。ありゃあ嘘だからよ。もう来ないなんて言うなよな。その…………。俺さぁ。おめーの事……………。」
 言いづらそうに言葉を区切るゼフェルがアンジェリークの頬にそっとキスをした。
「好きだぜ。アンジェリーク。」
 ゼフェルがアンジェリークの耳元でそっと囁くとアンジェリークの顔が見る間に赤く染まっていった。
「……………。てめえっ!タヌキか?」
「ご…ごめんなさ〜い。」
 アンジェリークが起きていた事に気付いたゼフェルが彼女に負けず劣らずの赤い顔をして叫んだ。
「あの……。ゼフェル様?」
 耳まで赤くして背を向けたゼフェルにアンジェリークが恥ずかしそうに声をかける。
「この間はごめんなさい。あの……。私……。私もゼフェル様の事が………。好き……………。」
 聞こえるか聞こえないか分からない程小さな声で呟いたアンジェリークはゼフェルの頬にそっとキスをした。
 驚いたゼフェルが振り返るとアンジェリークは真っ赤な顔を更に赤くして俯いていた。
「……アンジェリーク。」
 ゼフェルは俯いていたアンジェリークの顔を上向かせそっと彼女にキスをした。
「ゼ…ゼフェル様っ!?」
 驚いたアンジェリークが口元を押さえて先程まで寄り掛かっていた大木に背を預ける。
「……逃げんなよ。」
 そんなアンジェリークの身体を逃がさないようにと両脇に手を置いたゼフェルが彼女との距離を詰める。
「あ…あのっ。……あっ!ゼフェル様。あのっ。この…。この箱はどうしたんですか?」
「……おめー。以前小物入れが欲しいって言ってただろ。だから作ってみたんだ。気にいらないってんなら捨てても構わねーけど……。良かったら使えよ………。」
 真っ赤になったアンジェリークが話題を変えようと慌てて尋ねた事にゆっくりと答えたゼフェルが再び彼女に口付けようと顔を近付ける。
「あっ……。ゼ…ゼフェル様っ!だ……駄目ですよ。だって……。あのっ……。誰かに見られたら………。」
「誰も見てねーよ……。」
 必死になって逃れようとするアンジェリークにゼフェルは再びキスをした。
 ゼフェルの口付けを受けたアンジェリークの視界にたんぽぽの黄色い花が恥ずかしそうに風に揺れていた。


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