女王陛下の庭園


 広いこの聖地の中には守護聖でさえも立入禁止となっている場所がいくつかある。
 女王のプライベートルームとそこに続く庭園もその一つであった。
 庭園の真ん中には初代の女王が植えたと言い伝えられている大きな椎の木が空高く枝葉を広げていた。
 代々の女王のサクリアによって大切に育てられてきたその木は通常よりもゆっくりとした成長を続け、数多くの女王をその場から見守り続けてきた。
 そして飛空都市での女王試験を経て女王となったアンジェリークもこれまでの女王がそうしてきたように、その木を眺める事でその細すぎる肩には重すぎる責務と疲れた心を癒していたのであった。


「ふぅ〜。」
 一日の職務を終え、自分には不釣り合いだといつも思ってしまう女王の衣装を脱いだアンジェリークが二階のテラスから椎の木をぼんやりと眺めていた。
「私なんかが女王で大丈夫なのかなぁ。」
 以前、女王補佐官のロザリアの前でポロリとこぼしてしまった言葉を口にする。
『何言ってんのよ! あんたは歴代の女王候補の中でも一番優秀で生まれながらの女王候補って言われていた私に勝ったのよ! それに! 私がついているんだから何があっても大丈夫よ。あんたももう少し自信を持ちなさいよね。』
「……ふふふっ。そう言えばそうだっけ。こんな事ロザリアに聞かれたらまた怒られちゃうな。女王としての自覚が足りないって。女王候補の時はしょっちゅう女王候補としての自覚が足りないって言われてたけど。……そう考えると私って進歩がないのかしら。……………あらっ?」
 椎の木の太い根元の辺りに何やら動めく影を見たような気がしたアンジェリークがテラスから身を乗り出す。
「……見間違いかしら? 人の影みたいだったけど……。」
 夜の帳が辺りを覆い僅かな星明かりが瞬く中。
 じっと木の根元を見つめていたアンジェリークがやはり見間違いだったのかと部屋の中に戻ろうとしたその時。
 ガサガサッ。
「えっ? やっぱり何かいるわ。」
 背後から葉ずれの音を聞いたアンジェリークはテラスから庭園へと移る階段を駆け足で降りていった。
 木の根元まで近寄ったアンジェリークは、ゆっくりと木の周りを調べ始めた。
 木の周りは根元の辺りに背丈ほどの草が生い茂っているだけで特に何も見つからなかった。
 ふ…と、木を見上げたアンジェリークが改めてその大きさに感心する。
「大きな木。女王の記録によれば初代の女王陛下が緑の守護聖と植えたって記されてたけど……。それからこの木はここで代々の女王陛下を見守ってきたのね。今までずっと……。そしてこれからも……。えっ? きっ………!」
 ガサガサッと草のすれる音に視線を木の根元に戻したアンジェリークが叫び声を上げそうになる。
「げっ! ば……莫迦! 声出すなよ。」
 木の根元の茂みの中からひょっこりと現れた鋼の守護聖ゼフェルが叫び声を上げそうになったアンジェリークを見つけ慌てて彼女の口を手で塞いだ。
「ゼ…ゼ…ゼフェル様! な…な…なん……………。」
「何でこんな所に? って言いてーのか? 落ち付けって。変わんねーな。おめーはよ。」
 アンジェリークが口を塞ぐ自分の手を退けながら言葉をどもらせるのを見てゼフェルが苦笑する。
「そ…そうですよ! ここは守護聖様達だって立入禁止になってるんですよ。私だったから良かったけど他の人に見つかったら……。第一! 何処から出てきたんですか!」
「何処って……。こっからなんだけどよ。」
 ゼフェルがそう言って茂みを指さす。
「ここからって……………?」
「あー。もう。見つかっちまったから仕方ねーや。ついてこいよ!」
 不思議そうな顔で自分を見上げるアンジェリークにゼフェルは頭をかきながら茂みの中に潜り込んだ。
「あの……。ゼフェル様。ええっ……………?」
 躊躇しながらもゼフェルの後をついていったアンジェリークが驚きの声を上げる。
 太い椎の木の幹は内部が完全に空洞になっていた。
 根元の茂みに隠されていた割れ目が内部に通じる唯一の入り口であった。
「凄ぇだろ? 聖地に来たばかりの時にここを見つけてよ。それ以来、俺の気に入りの場所の一つなんだ。ずいぶん上の方まで空洞になっちまってるけどよ。しっかりこの木は生きてるんだぜ。さすが。女王のサクリアで育ってるだけはあるよな。……ん? どうしたんだ?」
「ど…どうしたって……。ゼフェル様! 聖地に来たばかりの時からここに来てたんですか? よく前女王陛下に見つかりませんでしたね。」
 ゼフェルの話を口をパクパクさせて聞いていたアンジェリークが呆れたように尋ねる。
「……見つかったよ。でもよ。どういう訳か何も言わねーでいてくれたんだ。おかげで俺ものんびり出来た。疲れた時とかよ。ここで寝るとぐっすり眠れるんだ。そうすっと疲れがいっぺんに取れて元気になる。これも女王のサクリアのおかげなんだろうな。それにな。季節になると実がいっぱい落ちててよ。それ拾って家に持ってってよ。炒って食ったりも出来るんだぜ。」
「……椎の実って食べられるんですか? ゼフェル様。」
 楽しそうに話すゼフェルにアンジェリークが意外な顔で質問した。
「食えるって。うまいんだぜ。結構。それよりおめーよ。いい加減にそのゼフェル様っての止めたらどうなんだ? おめーは一応女王なんだろ?」
「そ…そんな事言ったって……。女王候補の時からまだそんなに時間が経ってないからつい呼んじゃうんですよ。それにゼフェル様だって……。仮にも女王に対してずいぶん言葉遣いが悪くありません?」
「ぶっ! 違いねーや。」
 口を尖らせて言うアンジェリークの言葉にゼフェルが吹き出した。
「まだ女王になってから大して経ってねーもんな。で。どうなんだ? 少しは慣れたか? 女王って奴によ。」
「えっ? それは……。少しは慣れたかなって言うか……。でもいつも思っちゃうんです。私なんかが女王で良いのかなぁ? って。女王の衣装も似合ってないし……。」
「そんな事ねーよ。」
「えっ?」
 常に自分の心にわだかまっていた事。
 本当に自分は女王に相応しいのだろうか?
 本当はロザリアのように幼い頃から女王となるべき教育を受けてきた者がなるべきではないのか?
 どんな時でも常に自分の心の片隅にあったそんな思いをつい口に出してしまったアンジェリークにゼフェルがきっぱりと言い放った。
「そんな事ねーよ! おめーは誰よりも女王に相応しいぜ。ルヴァが言ってたんだけどよ。おめー程、守護聖全員に愛されている女王は過去の記録から調べても一人もいねーってさ。だから自信持てって。守護聖全員に尊敬される女王は今までに何人もいたみてーだけどよ。守護聖全員に愛されてる女王なんておめーだけなんだからよ。」
「………ゼフェル様。」
 アンジェリークは疑問を抱き続けていた事に対しはっきりとした口調で肯定してくれたゼフェルの名を放心したように呟いた。
「ほれ! また! ゼフェル様じゃねーっての。ゼフェルで良いんだぜ。」
「えっ? でも…あのっ……。」
「言ってみろって。」
「ゼ……。ええっ〜。あ……。ゼ…フェル……。」
「はい。何でしょうか? 女王陛下。」
「や…嫌だ……。」
 真っ赤になって名前を呼ぶアンジェリークに対し、ゼフェルはわざとかしこまった態度をとった。
 そんなゼフェルのわざとらしい態度にアンジェリークは大声で笑い出した。
「嫌だ。ゼフェル様ったら。」
「ちぇーっ。似合わねー事しちまった。」
「あー。おかしい。こんなに笑ったのって久しぶりだわ。……ねぇ。ゼフェル様。ここにいる間は今まで通りにしませんか? 何だかその方が自然なんですもの。ねっ。」
「そうだな……。ん? …って事はこれからもここに来て良いって事か?」
「特別に許可を差し上げます。守護聖にも私にも息抜きは必要ですから。」
「てめー! 何、偉そうに言ってんだよ。このっ。」
「嫌だ。痛いっ。ゼフェル様ってば。」
 先程のお返しにと、わざと女王の口調にしたアンジェリークの金色の髪をゼフェルが引っ張った。
「まっ。大変だろーけど気楽にやるんだな。無理したって仕方ねーんだからよ。……さて、と。今日はもう帰るか。おめーも寝た方が良いだろ。部屋まで送ってやるよ。」
「大丈夫ですよ。すぐそこですから。ゼフェル様こそ誰かに見つからないように注意して下さいね。」
「俺がそんなヘマするかよ。じゃあな。おやすみ。アンジェリーク。」
「おやすみなさい。ゼフェル様。」
 ゼフェルと別れ部屋に戻ったアンジェリークは、その晩女王に就任して以来久方ぶりにぐっすりと眠りにつくことが出来た。


「………あれっ? ……ちえっ。先客がいらぁ。」
 それから数日後の夜。
 女王の庭園にやってきたゼフェルはいつものように茂みをかき分け入った椎の木の内部で安らかな寝息をたてて眠っているアンジェリークを見つけ苦笑した。
「あーあ。女王の服のまんまで。……よっぽど疲れてんだな。……無理もねーか。守護聖だって結構キツイってのに……こいつは女王だもんな。……実際よくやってるよな。こんな細せえ身体で……。」
 アンジェリークの寝顔を見つめながらゼフェルが呟く。
「…っかし。こんな所で寝てたら風邪ひくぞ。おい。アンジェリーク。起きろよ。よぉ。女王ってばよ。」
 いくら暖かい陽気になったとはいえ夜の冷たい空気は身体に良くない。
 軽く揺すって見たがアンジェリークが目を覚ます気配は全くと言っていい程感じられなかった。
「…………。仕方ねーな。…よっと。」
 ゼフェルは一つ溜息をつくとアンジェリークを抱き上げゆっくりと茂みをかき分け外へ出ていった。
 そして眠ったままのアンジェリークを起こさないように静かにテラスの階段を昇り女王の私室へ入っていった。
「ふーん。こんな部屋で暮らしてんのか。……ゆっくり眠れよな。アンジェリーク………。」
 部屋の中をグルリと見回したゼフェルはベッドの中のアンジェリークにキスをして静かに部屋を後にした。


「……んー。よく寝た。あれっ?」
 翌朝目覚めたアンジェリークは、女王の衣装を着たままベッドの中で目を覚ました。
「あれ〜? 私昨日はあの木の中で眠っちゃったと思ったんだけど……。あれっ? 何? これ?」
 枕元に置いてあった一枚の紙を見つけたアンジェリークがそれを広げる。
『このボケ! あんな所で寝てたら風邪ひくぞ。』
「………ゼフェル様だ。ゼフェル様がここまで運んで下さったんだわ。嫌だ。……重くなかったのかしら?」
「陛下。そろそろお時間………。アンジェリーク! あんたってばまた女王の服のまま寝たわね! 着替えなさいっていつも言ってるでしょ!」
 アンジェリークを起こしに来たロザリアが女王の衣装のままベッドに座るアンジェリークに怒鳴った。
「あーあー。こんなにシワになっちゃって。アンジェリーク? 聞いてるの? アンジェ! ……何なの? その紙。」
「……あっ! 何でもないの。ごめんね。ロザリア。」
 ロザリアに問われ我に返ったアンジェリークは手にした紙を慌てて隠すと勢い良く立ち上がった。
「今日も一日頑張らなくちゃね。」
 そんなアンジェリークの姿にロザリアは不思議そうな顔を見せていた。


 それから更に数日後のある日。
「………やっぱり此処に居やがった。」
 女王が行方不明になったので探して欲しいとロザリアに要請され、聖地の中を探し歩いている他の守護聖や世話係の者達の目を盗み女王の庭園にやってきたゼフェルは椎の木の中でうっすらと涙を浮かべて眠るアンジェリークを見つけて溜息をついた。
「確かにここなら誰にも見つからねーけどよ。…ったく。人騒がせな奴だよな。こいつも……。」
『ん……。誰? 人の声……。ゼフェル様?』
 うたた寝をしていたアンジェリークがゼフェルの声にゆっくりと覚醒していった。
「………何があったのか知らねーけどよ。俺がついててやるから一人で悩んでんじゃねーよ。」
『ええっ? 俺が…って……。』
 ゼフェルの呟きに焦ったアンジェリークは目を開ける事も出来ずに眠ったふりを続けた。
「……にしても天下太平な奴だよな。おめーも。周り中が大騒ぎしておめーの事探してるってのに……。こんな所でカーカー眠りやがってよ。こんな所に一人で………。」
『ええっ!?』
 ゼフェルの言葉が途切れアンジェリークの唇に何か暖かい物が触れた。
『な…何? 今の……。まさか………。』
 目を閉じたままのアンジェリークの顔が見る見るうちに真っ赤に染まっていった。
「……………。こらっ。てめー。起きてんだろ?」
「痛っ。……酷いじゃないですか。ゼフェル様。」
 鼻先を指で弾かれたアンジェリークが目を開き少し赤くなった鼻をさすりながらゼフェルに抗議した。
「莫〜迦。酷いのはどっちだよ。タヌキ寝入り何かしやがって。こっちは眠ってるとばかり思ってたってのによ。」
 そう言うゼフェルは耳まで赤くしていた。
「………何があったんだ?」
「えっ?」
 しばらくの沈黙の後ゼフェルが尋ねた。
「……いくらおめーでも真っ昼間からロザリアに何も言わずに姿を消すなんて事しねーだろ? 聞いてやっから言って見ろよ。言うだけでも楽になれるぜ。」
「あ……。……この間。宇宙の外れに小さな惑星が出来たんです。私が女王になって初めて生まれた惑星で……。大切に見守っていたんですけど……………。」
「……小惑星群とぶつかって粉々になった奴か?」
「……ご存じだったんですか?」
 大粒の涙を零しながら自分の顔を驚いたように見つめるアンジェリークにゼフェルが頭をかいた。
「……一応…俺も気にしてたんだ。おめーが女王になって生まれた第一号の星だったからな。」
「……やっぱり。私は女王に向いてないんです。だから…だから折角生まれたばかりの星を粉々に………!」
「……アンジェリーク。泣くなよ。」
 泣きじゃくるアンジェリークにキスをしたゼフェルがゆっくりと唇を離した。
「ゼ…ゼフェル様……?」
「……じゃあよ。女王なんか止めちまうか?」
「そ…そんな事………。」
 ゼフェルの意外な言葉に震えながら首を振るアンジェリークにゼフェルは苦笑した。
「……出来る訳ねーだろ? おめーには……。そんな無責任な事……。俺はよ。おめーのそんなトコが好きなんだよ。……………アンジェリーク。」
「は……はい。」
 真剣なゼフェルの眼差しにアンジェリークは身体を堅くした。
「俺の……。俺の力が続く限りおめーを守ってやる。俺が此処にいる限りおめーを一人にはしねー。だから………。だから一人で泣くのは止めろよな。」
「………ゼフェル様。」
 きつく抱きしめるゼフェルの背に自らの手を回したアンジェリークが自分を呼ぶロザリアの声に我に返った。
「……いけないっ。ロザリアが心配するからもう行かないと……。ゼフェル様。離して下さい。ゼフェ……。」
 ゼフェルから離れようとしたアンジェリークは突然唇を塞がれてゆっくりと身体の力を抜いていった。
「……あっ! だ…駄目。止めて下さい。ゼフェル様。」
 優しい口付けを受けていたアンジェリークはスカートの中に差し入れられたゼフェルの手に慌てだした。
「……んだよ。良いじゃねーかよ。こっちは言いたい事が山程あったってのに……。てめーはさっさと女王になんかなっちまいやがったんだからよ。」
「だ…だからって……。駄目ですってば。もう。誰かに見つかったらどうするんですか。」
「大丈夫だって……。」
「で…でも。神聖な女王の庭園でこんな事………。」
「……だったら俺の家に行くか?」
「きゃっ! ゼ…ゼフェル様? こ…ここでいいです〜。」
 アンジェリークの身体を抱き上げ外へ出ようとするゼフェルにアンジェリークは慌ててしがみついた。
 そんなアンジェリークにゼフェルは苦笑しながら再び口付けたのだった。


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