たった一人の僕の天使


「アンジェリークと言います! 宜しくお願いします!」
 栗色の真っ直ぐな髪を肩の辺りで揃えた空色の瞳の少女が元気な声で挨拶し頭を下げる。
 そんな少女の言葉に、鋼の守護聖ゼフェルの顔に一瞬の戸惑いが浮かんだ。
「ゼフェル様。……どうかなさいましたか?」
 新しい女王候補に聖地の案内をしているかつての女王候補、現女王補佐官のロザリアが不思議そうな顔で尋ねた。
「……別に。何でもねーよ。」
「そうですか……。でしたらこの娘に自己紹介してやってくださいませ。」
 ムスッとした顔でそっぽを向くゼフェルに、ロザリアが慈愛に満ちた笑顔を見せる。
「自己紹介だぁ。…ったく。面倒くせーな。……鋼の守護聖ゼフェルだ。器用さを司る。」
「……………それだけですの?」
 ゼフェルのあまりにも短い挨拶にロザリアが不服そうな顔を見せる。
「これ以上、言う事はねーよ。後は試験が始まってからでも十分だろ。俺は忙しいんだからよ。」
「はいはい。分かりました。ではアンジェリーク。次の方の所へ行きましょうね。」
 ロザリアがゼフェルに対し頭を下げる少女を笑顔で促して、二人は部屋を後にした。
「アンジェ……リーク………?」
 部屋に残ったゼフェルは心に違和感を覚えながら新しい女王候補の名前を呟いていた。


「失礼します。ゼフェル様。」
「………俺は面倒な事はごめんだからな。用があるならさっさと言えよ。」
「は…はい。育成をお願いします。」
 女王試験が始まり、数日に一回の割合で自分の元を訪れる少女に対し、ゼフェルはいつもぶっきらぼうな態度で接していた。
「………何だよ。まだ何か用があるのか?」
 じっと自分を見つめる少女にゼフェルが尋ねる。
「……………いえ。何でもありません。」
「だったらさっさと出てけ! いつまでもウロチョロすんじゃねーよ。目障りなんだよ!」
 ゼフェルの怒鳴り声に少女は一瞬身体をすくませ、悲しそうな顔で黙って部屋を出ていった。
「何だってんだよ。…ったく。」
 閉められた扉にゼフェルは毒づいていた。
 しかし、その日から少女は毎日のようにゼフェルの元へ顔を出すようになった。
 最初の内は素直に執務室で願いを聞いていたゼフェルだったが、連日の少女の訪問に段々と苛立ちを感じ、少女を避けるかのように公園や占いの館、王立研究院へと出歩くようになった。
 それでも少女は、一体どこで調べてくるのかゼフェルのいる場所に必ず姿を現し、何かしら声をかけ頼み事をしていくのだった。
 すっかり嫌気のさしたゼフェルは、最近では自分の家にこもる様になってしまっていた。


「ちょっとアンジェリーク。いい加減にしてよね。あんたがあんまりしつこくするからゼフェル様、家にこもって出てこなくなっちゃったじゃない。ルーティスに鋼の力をあげなきゃいけないのに……。どうしてくれるのよ!」
 もう一人の女王候補のレイチェルが、少女のそんな行為にさすがに業を煮やして怒鳴り込んできた。
「レイチェル……………。」
「ワタシ知ってるんだからね。あんたが毎日ゼフェル様の所に行ってたの。そんなにあんたの子は鋼の力が必要なの? そうでも無いんでしょ。ルーティスは本当に鋼の力を欲しがってるんだから。あんたのせいでいつ行ってもゼフェル様いらっしゃらなくて全然育成頼めなくなっちゃったんだから。ちょっと聞いてるの?」
 自分の言葉に対し上の空状態の少女にレイチェルが怒ったように尋ねる。
「………レイチェル。あ…あのね。聞きたい事があるの。ゼフェル様……レイチェルの事、何て呼ぶの?」
「何よそれ。変な娘。名前で呼んでくださる時もあるけど大体いつも『おめえ』って言われてるわ。でもゼフェル様の口の悪さは本心からじゃないってマルセル様が言ってたし。ワタシも別に気にならないし。それがどうかしたの?」
 思い詰めた顔で尋ねる少女の問いにレイチェルはあっさりと答える。
 しかし、そんな答えに少女は顔を曇らせた。
「私……。ゼフェル様に無視されてるみたい。だってね。いつお会いしても何だか怒ってるみたいで……。レイチェルみたいに『おめえ』と言われた事もないし、名前で呼んでもらった事なんか一度もないのよ。」
「何なのそれ〜? 変よそんなの。ゼフェル様って確かに不愛想だけど……。占いの館でお会いしたりして挨拶すると笑って下さるのよ。…あんた。ゼフェル様に嫌われてるんじゃないの? ワタシでも調子が狂っちゃうあんたの事だからゼフェル様に嫌われるような事何かしたんでしょう。」
 レイチェルが呆れたように尋ねる。
「全然身に覚えが無いのよ。最初の頃はね。相性が低いせいかもと思っておまじないしたのよ。なのに相性があがっても効果無いし。親密度をあげようと思って毎日通ったのに……。ちゃんと親密度はあがってるのにゼフェル様の態度が全然変わらないのよ〜。考えてみるとね。ロザリア様に連れられて初めてお会いした時からゼフェル様のご様子…変だったのよ。何でなのかなぁ。」
「……ワタシが分かる訳ないじゃん。そんな事よりも! 家にこもっちゃったゼフェル様を何とかしないと試験が進まないんだからね。……………ロザリア様に相談しに行こ。あんたの事も含めて。」
 首を傾げて考え込む目の前の少女を促すようにレイチェルは立ち上がり、少女の手を引いてロザリアの部屋へ歩いていった。


「ねぇ。レイチェル。やっぱり止めとこうよ。見つかったらまずいわよ。」
「何言ってるのよ。ロザリア様なら教えて下さるだろうけど絶対に言葉を変えておっしゃるわよ。だけど! ここにいればゼフェル様があんたを避ける理由が直接聞けるんだからいいじゃない。ここなら絶対見つからないから大丈夫よ。それより! 大きな声出さないでよね。」
「それはそうだけど……。分かったわ。……どっちかって言えばレイチェルの声の方が大きいわよ。」
 女王の部屋の一角。
 女王候補の二人は女王や女王補佐官の所からも、ましてや呼び出され女王の前に立っているゼフェルの所からも見えない場所に身を隠していた。


「ゼフェル。ロザリアから聞きました。家にこもっているそうですが、何かあったのですか?」
 女王の声が部屋に響く。
「別に……。何もねーよ。」
「でしたら何故……。今は大切な試験の最中なのに……。レイチェルもあなたの力を必要としているのですよ。」
「……………。」
「アンジェリークの事も聞きました。何故彼女を無視するような行為をとるのですか?」
「無視なんか………してねーよ。」


「ゼフェル様の嘘つき。私無視されっぱなしよぉ〜。」
 押し黙っていたゼフェルがふてくされたような声で否定するのを聞いて、隠れていた少女がぼやく。


「きちんと名前で呼んであげてくださいね。レイチェルの事は名前で呼んでいるのでしょう。でしたらアンジェリークの事も……………。」
「分かってるんだけどよ……。それが簡単に出来るぐれえなら今頃こんなに苛ついてねーよ。」
「えっ?」
 ムスッとした顔で横を向いて呟くゼフェルの言葉に、女王とロザリアが驚いた顔で聞き返す。
「……ゼフェル。名前と言う物はとても大切な物ですよ。どんな物にも名前はあります。その場に確かに存在している証しだからです。ですけど名前を呼ばないと言う事はその物の存在を否定しているのと同じ事になるのですよ。」


「……ホントにそうよね。さっすが陛下。良いこと言うわよね。そう思わない?」
 レイチェルが小声で女王の言葉に同意し、隣にいる少女に尋ねる。
 少女は無言で頷いていた。


「あなたはアンジェリークの存在自体を否定して……。」
「そうじゃねーって!」
 女王の言葉を遮ってゼフェルが突然叫ぶ。
「そうじゃねーよ。俺は……。ちっ。分かってるんだよ。このだだっ広い宇宙に同じ名前の奴がごろごろいる事ぐらい。だけど俺は……。俺には……………。」
「俺には……何ですの? ゼフェル様。」
 苦しそうに拳を震わせ言葉を詰まらせるゼフェルをロザリアが促す。
「俺は……。俺にとって……。俺にとってアンジェリークって名前の奴はこの世にたった一人しかいねーんだよ! この先…何人アンジェリークって名前の奴が俺の目の前に現れても俺にとってアンジェリークって奴は一人しか……。分かったかよ! っくしょー。」
 言葉に詰まり走り出したゼフェルを女王とロザリアは呆然と見送っていた。


「………すっごーい。感動的。ゼフェル様ってあんたと同じ名前の恋人がいたんだね。きっと。だからあんたの名前を呼べなかったんだ。恋人を思い出しちゃって。」
「そうみたいね。何だかゼフェル様って……。」
「意外と純情一途?」
「……そう。レイチェルもそう思った?」
「うん。もちろん!」
 女王候補の二人が小声で話す。
「……ねぇ。レイチェル。女王陛下とロザリア様の様子が何だかおかしくない?」
「ホントだ。どうしたのかしら……?」
 二人はそのまま耳をすませた。


「陛下。大丈夫ですか?」
 その場に力無く座り込む女王をロザリアが脇で支える。
「……ロザリア。ど…どうしよう。私のせいなの。ゼフェル様があの子を避けてるのは私の……。やっぱり私……。ゼフェル様を傷つけたままだったんだ。」
「……どう言う事?」
 女王が二人きりの時だけの口調になったのでロザリアもそれに合わせる。
「……あの。………あのね。」
 女王アンジェリークはゆっくりと話し始めた。


「よぉ。アンジェリーク。今日おめえと約束してたよな。迎えに来てやったぜ。で、どうする?」
「あの……。森の湖に行きませんか? ゼフェル様。」
 日の曜日。
 アンジェリークとデートの約束をしていたゼフェルが彼女の部屋を訪れた。
「…そうだな。よし。決めたらとっとと行こうぜ。」
 先を行くゼフェルの後を追うように、アンジェリークは湖の畔にやって来た。
『私の気持ち言わなきゃ……。』
「あ…あのよ。アンジェリーク。おまえ……………。」
 胸を高鳴らせていたアンジェリークは、ゼフェルから意外な言葉を聞き、頭の中が真っ白になった。
「女王になるより俺を選んでくれるか?」
「あ…。あの……。私…今……。頭の中が真っ白で……。少しだけ時間を頂けませんか? あの。もちろん。きちんとお答えしますから……。ですから……………。」
「……やっぱな。おめえはトロくせーからきっとすぐには決められねーと思ってたよ。……次の日の曜日に返事くれよな。それまで待っててやるからよ。その代わり、前向きな返事を頼むぜ。じゃあな。」
 耳まで赤くしたゼフェルが部屋から出ていった後、アンジェリークは呆然とその場に座り込んでしまった。
『な……何があったの? 私……。今日こそゼフェル様に告白しようって決めてたのよね。だけど……。だけどゼフェル様に告白され……………。』
 アンジェリークの顔が火がついたように真っ赤に染まる。
 次の日アンジェリークは熱を出して寝込んでしまった。
 それから三日後。
 アンジェリークの育成していたエリューシオンの民は大陸中央の島にたどり着き、女王試験は終了し彼女は女王に就任したのだった。


「……変だと思ってたのよ。ゼフェル様があんたに告白したって聞いて…。両想いのはずなのに何で? って。就任式の時も意味心な事を言ってらしたし……。要するにあんたが返事をする前に試験が終わっちゃったのね。」
「……………うん。」
 しょんぼりとうなだれて返事をする女王アンジェリークにロザリアが溜息をつく。
「……行ってらっしゃいよ。ゼフェル様の所へ。今でも好きなんでしょ。」
「で……でも、私……………。」
 アンジェリークが女王としての己の立場に躊躇する。
「ねぇ。アンジェリーク。私が女王補佐官に就任した時、ディア様がこの錫杖を渡してこうおっしゃったのよ。自分達は今まで通りの聖地を守ってきた。あなた達は新しい聖地を作りなさいねって。私はその時、この言葉の意味が分からなかったけど、今考えるとこう言う事なんじゃないかしら? 女王と言う重い立場を一人で背負う事は無い。誰か愛する人と分かち合いなさい。ってこういう意味にとっても良いんじゃないかしら。」
「ロザリア………。」
「あなたと私とで新しい聖地を作りましょう。女王や女王補佐官が恋人と過ごせる。愛する人と家庭の持てる聖地を……ね。行ってらっしゃいよ。アンジェリーク。行ってゼフェル様にあなたの気持ちを伝えてらっしゃい。今はまだ試験中だから何だけど。ある程度の時がたったら私から他の守護聖達には話しておいてあげる。今は取りあえず家にこもったゼフェル様を何とかして試験を継続させる事が先決でしょ。それが出来るのはあんただけなんだから。」
「あ……。ごめんね。ありがとう。ロザリア。」
 女王の冠をその場に置いて走り出す女王アンジェリークをロザリアは笑顔で見送っていた。


「きゃあ。」
「嫌だ! 痛〜い。」
「誰っ!?」
 走り去る女王の姿を見ようと身を乗り出した女王候補の二人が、身体のバランスを崩して広間に転げ出る。
「まぁ。アンジェリークにレイチェル。いつからそこにいたのですか?」
「あのぉ……。すみませーん。」
「ごめんなさーい。ロザリア様。」
 悪びれもせず頭を下げる二人にロザリアが溜息をつく。
「仕方の無い人達ね。今見た事は他の人には内緒ですよ。良いですね。守護聖はもちろん教官達にもね。」
「はーい。」
 明るく返事をする二人にロザリアが苦笑する。
「二人共。ゼフェル様の事ならもう心配いりませんよ。陛下が何とかしてくださいますからね。明日からまた試験に専念してくださいね。」
「はーい。」
 女王候補の二人は互いの顔を見合わせてにっこりと笑いながら元気に返事をした。


 その後しばらくして、聖地の中で信じられないような話が流れるようになった。
 それは女王の私室に人目を忍ぶように入っていく鋼の守護聖の姿を目撃したとか、鋼の守護聖の私邸に女王によく似た金色の巻き毛の女性が出入りしていると言った内容の話であった。
 守護聖のリーダー格である光の守護聖ジュリアスやゼフェルの教育係である大地の守護聖ルヴァが事の真相について問い正したが、ゼフェルは一切ノーコメントで通した。
 女王や女王補佐官のロザリアもその件に関しては何も言わなかったし、逆にそれ以上の追求を許可しなかった。
 不思議顔で事の真相を話し合う守護聖や教官達の中で、二人の女王候補だけが何か言いたげな笑顔でその話に参加する事もなく黙って聞いていたのだった。


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