守護天使


「ゼフェル様の嫌いな物って何なんですか?」
 本来なら大陸へ視察に行かねばならない土の曜日。
 訪ねてきた鋼の守護聖ゼフェルの誘いに応じ、自室に招き入れた女王候補のアンジェリークが、向いの席に座りお茶を飲むゼフェルに尋ねる。
「俺の嫌いな物だぁ? ……そうだな。俺はジャムとか甘い物が嫌いだぜ。あんなベタベタする物、好んで食べる奴の気が知れねーな。見るのも嫌だぜ。」
「……そうなんですか? あっ。でも。少し位は甘い物欲しいなぁって思う時、無いんですか?」
 厭そうな顔で答えるゼフェルに、アンジェリークが更に尋ねる。
「ま……ごく偶にはな。でもあんまり甘すぎるようなのはちょっとパスだな。少し位なら平気だけどよ。でもそれがどうかしたのか?」
 不思議そうに尋ねるゼフェルに、アンジェリークは少し困った様な顔をする。
「アンジェリーク……………?」
「あ…あの、私……。お菓子を作るのが大好きなんです。明日ロザリアとお茶会の約束をしてるんで、ケーキを作ったんですけど……。良ければゼフェル様にも食べて頂きたいなぁ…なんて思って……。でも、甘い物がお嫌いなら仕方ないですよね。以前、マルセル様は甘い物がお好きだって伺った事があるから後で持っていきます。」
「……………持って来いよ。」
 酷く残念そうな顔で笑うアンジェリークに、ゼフェルがボソリと呟く。
「えっ?」
「持って来いよ。マルセルの野郎なんかに喰わせるの勿体ねーから俺が喰ってやるよ。…だから持って来いよ。」
「あの……。でも…。ゼフェル様は甘い物………。」
「いいから持って来いよ! 何度も言わすんじゃねーよ。」
 ソッポを向いて怒鳴るゼフェルに嬉しそうな顔をして、アンジェリークは奥の部屋からケーキを持ってきた。
「待ってて下さいね。今、切りますから。」
「……少なめにな。」
 嬉々としてケーキを切るアンジェリークに、生クリームのたっぷりのったケーキの姿を見た瞬間、後悔したゼフェルが小さな声で呟く。
「はい。どうぞ。……………如何ですか?」
「……甘い! ……………でもまぁ、喰えねー事もねーな。もう少し甘くなかったらもっと楽に喰えるしな。」
 遠慮がちに尋ねるアンジェリークにゼフェルが答える。
 その答えにアンジェリークが顔を曇らせる。
「あの……ゼフェル様。甘いのなら無理に食べて頂かなくても……。」
「平気だって! 喰えねー事も無いって言ったろ。……今度作る時はもう少し甘さを押さえろよな。」
「は……はい!」
 目の前で黙々とケーキを平らげるゼフェルを、アンジェリークは自らもケーキを食べながら嬉しそうに眺めていた。


「あっ!」
「どうしたんだよ?」
「雨!」
「へっ?」
 突然立ち上がったアンジェリークの一言にゼフェルが振り返って窓の外を眺めると、朝方の青空はどこかに消え失せどす黒い雲が空一杯に広がり、大粒の雨が窓ガラスを激しく叩いていた。
「凄ぇな。土砂降りになっちまってる。朝はあんなに天気が良かったのに……。空、真っ黒じゃねーか。」
「本当に凄い空の色ですね。まるで嵐の時みたい。これでカミナリでも鳴ったら本当に嵐ですね。」
「カミナリ!?」
 アンジェリークの言葉にゼフェルが顔をひきつらせる。
「アンジェリーク。おめえ……カミナリ。……平気か?」
「ええ。平気ですけど……………?」
 窓辺で外を眺めていたアンジェリークがゼフェルの問いに答えて振り返った瞬間、カミナリが光った。
「ゼフェル様………?」
 振り返ったアンジェリークの視界に、隣りに立っていた筈のゼフェルの姿は無かった。
「……ゼフェル様? あの…どちらに行かれたんですか?」
 ゼフェルの姿を探すアンジェリークは、風もないのに僅かに揺れていたテーブルクロスをめくってみた。
「あの……ゼフェル様?」
「ば……莫迦野郎! 見るなよ! うわっ。」
 テーブルの下に潜り込んでいたゼフェルに声をかけたアンジェリークは、再び光ったカミナリで自分に抱きついてきたゼフェルに唖然とする。
「あの……。もしか…して……。ゼ…フェル様……。カミナリお嫌い…なん……ですか?」
「そうだよ! 笑いたきゃ笑えよ! 男の俺が………。」
 カミナリが光る度にアンジェリークの身体に廻ったゼフェルの腕に力が入る。
「あ…。だ…大丈夫ですよ。ゼフェル様。そんなに恐がらなくても。えっと……。あっ! こうしちゃいましょ。」
 ゼフェルの意外な一面を見たアンジェリークが戸惑いを覚えながらも、自分にしがみついたままのゼフェルをベッドへ伴い頭から布団を被って座り込む。
「ね。こうしちゃえば光るのが見えなくて平気でしょ。だけど……。ゼフェル様? 音は平気なんですか?」
「………音は何とかな。光りが嫌なんだよ。」
 頭から布団を被って少し落ちついたのか、ゼフェルがしがみついていた力を緩める。
「笑えよ。情けねぇと思ってるだろ。だけど…どうしても駄目なんだよ。自分でもみっともねーと思うけどよ。」
 闇の中に目が慣れたのか、傷ついた様子で俯くゼフェルの表情にアンジェリークの胸がズキンと痛んだ。
「笑いません。誰にだって苦手な物はあります。教えて下さいませんか? 何でカミナリがお嫌いなのか。」
 アンジェリークは腕を伸ばして俯いたゼフェルの頭を自分の胸に引き寄せ抱きしめる。
 ゼフェルはそんな行為を素直に受け入れた。
「俺の故郷が人工的に作られた星だって前に話しただろ。天気なんかも全部管理されててよ。雨と晴の日しか無いんだ。だから聖地に来て初めて曇や雪の日があるってのを知ったんだ。……カミナリもその時初めて知った。」
 アンジェリークのふくよかな胸に顔を埋めながらゼフェルは言葉を続けた。
「初めて見た時…綺麗だと思った。恐いとは少しも思わなかった。だから…調子に乗ってカミナリがガンガン鳴ってる日に外に出て………。」
 アンジェリークの身体に廻ったゼフェルの腕に力が入る。
「……目の前の大木に落ちたんだ。あの時の衝撃と電流が身体を駆け抜けた感覚は今でも忘れねえ。メカを作ってる最中の感電とは訳が違う。あの時……。衝撃の凄さに腰ぬかしちまってよ。それ以来、駄目なんだ………。」
 話を終えたゼフェルは耳元にアンジェリークの規則正しい鼓動を感じ、徐々に睡魔に襲われていった。
「あの…ゼフェル様。私の友達にも一人、カミナリの嫌いな娘がいるんですけど、その娘は音も嫌いなんです。だけど彼氏と一緒の時は彼が抱きしめてくれるから平気って、いつもノロケられちゃうんです。だから……ゼフェル様。カミナリが鳴りそうな日は私の所に来て下さい。こうしてゼフェル様のお側で…ゼフェル様を守って差し上げます。私……ゼフェル様の事が……………。ゼフェル様?」
 自分がかなり大胆な事を言っているにも係わらず、無反応なゼフェルの様子を訝しんだアンジェリークが、そっと覗き込むとゼフェルは自分の胸に顔を埋め安らかな寝息を立てて眠っていた。
「……眠ってらっしゃるんですか? ……折角、思い切って告白しようとしたのに………。ゼフェル様ったら。」
 アンジェリークは母親が子供をあやすように、腕の中のゼフェルの髪に頬を擦り寄せた。
「知らなかった。眠ってらっしゃるとマルセル様より幼い顔になるんですね。私達位の年頃は男の子より女の子の方が大人だってよく言うけど……。本当みたい。知らないでしょうね。ゼフェル様。私がゼフェル様の事を好きだって事。ゼフェル様……いつも機械に夢中だから………。」
 眠っているゼフェルの頬を指で突っついていたアンジェリークは、自身も眠気に襲われ腕の中のゼフェルに軽くキスをしてベッドに横になった。


「もう。あの娘ったら。私との約束を忘れるなんてどう言うつもりなのかしら。昨日は昨日で大陸にも降りてないみたいだし……。ホントにしょうがないんだから。」
 次の日の曜日は女王候補同士お茶でも飲もう…と約束したにも係わらず、いくら待っても一向にやって来る気配のないアンジェリークに業を煮やしたもう一人の女王候補のロザリアが、ブツブツと呟きながらアンジェリークの部屋へと向かっていた。
「あら? あれは……………。」
 早足で歩くロザリアは、今まさにアンジェリークの部屋の呼び鈴を押そうとしている炎の守護聖オスカーの姿を見つけ、歩みを更に早めた。
「御機嫌よう。オスカー様。如何なさいましたの?」
「よ…よぉ。ロザリアお嬢ちゃん。…こんな所で会うとは偶然って奴もとんだ意地悪をするモンだな。」
「本当にそうですわね。見事なバラの花束をお持ちになって………。アンジェリークをデートにお誘いにいらしたのですか?」
 ひきつった笑顔を見せるオスカーに、ロザリアが極上の笑顔を見せる。
「……だとしたら、今日はご遠慮下さいな。オスカー様。私の方が先約ですのよ。月に一度、同じ女王候補同士交流を深めようと言う事で私の部屋でお茶会を致しますの。」
「それはまた結構な……。お嬢ちゃん。良ければ俺も御招待頂きたいぜ。」
「申し訳ありませんけどお断りいたします。これは女同士のお茶会ですから。」
 にっこり笑うオスカーにロザリアが笑顔で即答する。
「………残念だよ。お嬢ちゃん。だが俺も、はいそうですか…と引き下がるつもりは無いんでね。アンジェリークお嬢ちゃんに決めさせないかい? お嬢ちゃんのお茶会に出るか。俺とデートをするか。どうだい?」
「先約だと申し上げましたのに……。宜しいですわ。あの娘がどちらを選んでも恨みっこ無しで参りましょう。」
 オスカーの提案にロザリアは渋々同意して、アンジェリークの部屋の呼び鈴を鳴らした。
「あら。おかしいわね。いないのかしら?」
「いや。何処にもお嬢ちゃんの姿は無かったぜ。部屋にいると思うんだがな……。」
 何度か呼び鈴を押し続けた二人は、部屋の中から慌てた様子で扉に近づく足音を聞いた。
「すみません。もう少し静かにしてくれませんか? まだ眠ってらっしゃる………。ロザリア! オスカー様も?」
 今、目覚めたばかりと言った感じのアンジェリークが、扉を開けたと同時に口に人差し指をあて小声で話す。
「よぉ。お嬢ちゃん。良かったら俺と森の湖でデートと洒落こまな……………。」
「アンジェリーク! あんた私との約束を忘れたの? 大体! 誰が眠ってる……………。」
 競い合うように部屋の中へ入ろうとした二人は、扉の所で通せんぼするアンジェリークの後方に置かれたベッドの上で眠る人物の姿に言葉を失った。
「アンジェ……!」
「お嬢ち……!」
「二人共、声が大きいです。」
 アンジェリークに口を手で塞がれたロザリアとオスカーが愕然とする。
「お…お嬢…ちゃん。もしか…して……とは…思う…が、あの…ベッドで寝て……る…の…は………。」
「ア……ア……アンジェ………。あんた……あれ…は……ゼ…フェル……様……じゃ………。」
 ベッドの上を凝視する二人は、外の気配を察したのか寝返りを打つゼフェルの姿を呆然と見つめていた。
「あ……。そう言う訳なんで。オスカー様。申し訳ありませんけどデートのお誘いはお受けできません。ごめんなさい。ロザリア。ごめん! 悪いけどお茶会は来週にして。お願い! ……それじゃ、失礼します。」
 いまだショックから立ち直れていない二人を余所に、アンジェリークは扉を閉めて、ベッドで眠るゼフェルの元へと戻った。
「何だか誤解を受けちゃったみたい。でも……構いませんよね。ゼフェル様。私…ゼフェル様とだったら……。」
 アンジェリークはスヤスヤと眠るゼフェルの頬にキスをして、そのあどけない寝顔を飽きる事なく見つめていた。


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