部屋の中の君


「アンジェリークが部屋から出てこないだと?」
 女王候補ロザリアからの報告を受けた、光の守護聖ジュリアスが珍しく声を荒げる。
「はい。ジュリアス様。部屋の中にいるみたいなんですけど、こちらの呼びかけに全く応じないんです。」
「……身体の具合でも悪いのではないのか?」
 宇宙を司る次の女王を決定するために、この飛空都市で女王試験が行われてからかなりの日が過ぎ、二人の女王候補の育ててきた大陸もそれなりに安定していた。
 …と言うのに、部屋に篭もってしまったもう一人の女王候補、アンジェリークの行動を理解できないジュリアスが、健康面での可能性を示唆する。
「いいえ! 二日前の日の曜日には元気な様子でしたわ。とても具合が悪いとは思えません。それに、仮に具合が悪いとしてもこちらの呼びかけには応じられると思いますし……何かあったとしか考えられませんわ。私、どうして良いのか解らなくて、それで……。」
 ロザリアが心配げに顔を曇らせる。
「解った。私の方で調べてみよう。ロザリア。そなたはこの事を他の者には他言しないように。よいな。」
「はい。ジュリアス様。よろしくお願いいたします。」
 ジュリアスの言葉に些か安心したロザリアが深々と礼をとって退出した。
「……アンジェリーク。何があったと言うのだ。」
 ロザリアが退出した後、ジュリアスは部屋の中で一人呟いていた。


「アンジェリーク。私だ。ジュリアスだ。ここを開けなさい。アンジェリーク!」
 アンジェリークの部屋を訪れたジュリアスが、部屋の扉を叩くが中からは何の答えも返ってこない。
「開けなさい。アンジェリーク。そなたは女王候補としての立場を何と考えているのだ。」
 ジュリアスの声が段々と怒気を含む。
「…ジュリアス様。」
 側にいた炎の守護聖オスカーが、ジュリアスに控えめに声をかける。
「ここは私にお任せ頂けませんでしょうか? 結果は後ほど御報告いたしますので。」
「…そうだなオスカー。そなたに任せる。頼んだぞ。」
 オスカーの提案に、ジュリアスは溜息をつきつつ自室へと戻っていった。
「……さてと。」
 ジュリアスを見送ったオスカーが扉の前に立つ。
「お嬢ちゃん。俺だ。ジュリアス様はお帰りになったからここを開けてくれないか? でないと少々手荒な方法を取らざるを得ないんだがな。」
 オスカーはそう言って部屋の中の気配を探るが、中の人物が動く様子はなかった。
「レディの部屋にこういう形で入るのは、俺としては酷く不本意な事だが……許せよ。お嬢ちゃん。」
 そう言うとオスカーは、腰に下げていた剣でアンジェリークの部屋の扉を真っ二つに切り崩した。
「お嬢………。」
 一歩部屋の中に踏み入ったオスカーは、アンジェリークの姿に声を詰まらせた。
 カーテンを閉め切った薄暗い部屋の真ん中で、アンジェリークは泣きはらした真っ赤な瞳をそのままに、身じろぎもせずに静かに佇んでいた。
「……お嬢ちゃん?」
 まるで繊細なガラス細工を扱うかの様に、オスカーが優しく声をかけながら近づいていった。
「どうしたんだ? お嬢ちゃん。こんな真っ赤な目をして……これじゃあ、可愛らしい顔が台無しだぜ。」
「…オスカー……様……。」
 オスカーの大きな手に頬を挟まれたアンジェリークが、消え入りそうな声を出す。
「何があったんだ? 俺で良ければ話してみてくれないか。」
「…………。」
 優しい笑顔で話しかけるオスカーに、アンジェリークはただ無言で首を横に振る。
「お嬢ちゃん。女王陛下と炎の守護聖の名にかけて他言は一切しないと約束する。だから教えてくれ? 一体どうしたんだ。」
 無言で首を横に振っているアンジェリークに、オスカーは根気よく尋ね続けた。
 そんなオスカーの姿にアンジェリークは、顔をそむけ消え入りそうに小さな声で呟いた。
「私……ル…様に………。」
 肩を震わして呟いたアンジェリークの声は、オスカーの耳にかろうじて届いていた。


「ゼフェル。ゼフェル。一体どうしたんですか? 身体の具合でも悪いんですか? ちゃんと食事を取らないと駄目ですよ。ここを開けて下さい。ゼフェル。」
 大地の守護聖ルヴァが、自室に鍵をかけたまま姿を見せない鋼の守護聖ゼフェルの部屋の前で声をかける。
「…っせえな。何でもねえって。向こう行ってろよ。」
 部屋の中からゼフェルのそんな怒鳴り声が響いた。
「……ルヴァ。ゼフェルの奴はどうしたんだ?」
「ああオスカー。いえね、一昨日辺りからこの通り、部屋から出てこないんですよ。食事も取ってないしどうやら眠ってもいない見たいで。もう私はどうしていいんだか……。何とか、なりませんかねぇ。」
 ゼフェルの部屋の前でオロオロしていたルヴァは、オスカーの問いかけに救いを求めるように答える。
「一体どうしたって言うんでしょうねぇ。確かこの間の日の曜日にはアンジェリークと何か楽しそうに話していたのを見てるんですけどね。そういえば彼女の姿もこの所見ませんねぇ。」
 ルヴァが首を捻る。
「お嬢ちゃんならこっちの坊やと同じで部屋に篭もってるぜ。全く二人揃って………。……ルヴァ、ここは俺とゼフェルの二人だけにしてくれないか?」
「あー。なるべく穏便にお願いしますね。オスカー。」
 ルヴァはそう言うとオスカーをその場に残して去って行った。
「ゼフェル。入るぞ。」
「入ってくんじゃねえよ!」
 オスカーの言葉にゼフェルが怒鳴り声をあげる。
「そうも言ってられないんだよ!」
 怒鳴り声と共にオスカーは、ゼフェルの部屋の扉を蹴り倒した。
「て……てめえ。何すんだよ。」
 部屋の中に入ってきたと同時にオスカーに殴られたゼフェルが抗議の声をあげる。
 オスカーはそんな声を無視してゼフェルの胸元を掴んで睨み付ける。
「お嬢ちゃんが泣いていたぜ。」
「! ……関係ねえよ。」
 オスカーの言葉に一瞬息を詰まらせたゼフェルが、顔を背けて言った。
「関係ない……ね。なら俺がお嬢ちゃんを慰めるとするか。今のお嬢ちゃんなら即座に落ちるだろうからな。」
「てめえ! そんな事……。」
 オスカーの言葉にゼフェルがくってかかる。
「関係ないんだろ。坊や。だったら口出しするのは止すんだな。俺はお前とお嬢ちゃんとの間に何があったか聞く気は無いしな。このままいつまでも自分の部屋に閉じ篭もっていればいいだろう。」
「……ちっくしょー。てめえ何かにあいつを好き勝手させてたまるかよ。あいつはぜってー、てめえ何かにゃ渡さねーからな!」
 そう言い残して走り去るゼフェルを、オスカーは溜息をつきながら見送っていた。


「……ア…アンジェリーク。入るぞ。」
 勢い込んで自室を飛び出したものの、どう声をかけていいのか解らず、アンジェリークの部屋の前でややしばらくウロウロしていたゼフェルが意を決して中に入る。
「ゼフェル様! ……。」
 部屋の中に佇んでいたアンジェリークが、突然現れたゼフェルに驚いて背を向ける。
「あ……あのよ…この間は…その…悪かったよ。」
 言葉がうまく見つからないのか、頭をかきながら決まり悪そうにゼフェルが話す。
「……いきなりだった…からよ。今までおめえの事……その…何だ。そういう風に……考えた事なかったから。…驚いて……。ちっ、何て言ゃあいいんだ。その………この間、おめえを部屋まで送った後、おめえが湖で俺に言った言葉をあれから何度も何度も考えた。それで……今さっきもオスカーと怒鳴りあってて……それで……。俺……そのさぁ……………。」
 ゼフェルが背を向けたままのアンジェリークに近づき、後ろからそっと抱きしめる。
「……俺もおめえの事好きだぞ。アンジェリーク。」
 アンジェリークが一瞬身体をこわばらせ、ゼフェルの手に恐る恐る自分の手を重ねた。
「……ゼフェル様の…莫迦。」
「悪かったよ。」
「ゼフェル様なんか嫌い。」
「…んな事言うなよ。」
「ゼフェル様の……ゼフェル様なんか………嫌い……。大嫌いなんだから………。」
「俺が悪かったよ。謝るから泣くなよ。」
 泣きじゃくるアンジェリークをゼフェルが宥める。
「……ゼフェル様。私、あなたの事……。」
 アンジェリークがゼフェルの方に向き直り、服の端を掴んで笑顔を作る。
「好きだ。アンジェリーク。」
 アンジェリークの言葉よりも先に、ゼフェルは自分の正直な気持ちを口に出していた。


もどる