寂しさの裏返し


「ゼフェル様〜。」
 自分を呼ぶ元気の良い声に、芝生の上に寝そべっていたゼフェルが身を起こすと、金の巻き毛の女王候補、アンジェリークが走ってくるのが見えた。
「よう。アンジェリーク。」
「お珍しいですね。こんな所にいらっしゃるなんて。執務室にいらっしゃらなかったから探してたんですよ。」
 短く挨拶するゼフェルに、アンジェリークが輝くような笑顔を向ける。
「別に……。部屋にいても暇だからな。気分転換に外の空気を吸いに来たんだよ。」
 アンジェリークと話しながらも、ゼフェルは酷く重苦しい心のだるさを感じていた。
「あの…ゼフェル様? お身体の具合でも悪いんですか? 何だか元気が無いみたい……。」
「……んな事ねえよ。それより俺に何か用か?」
 普段と違うゼフェルに、アンジェリークが遠慮がちに尋ねるが、ゼフェルはそれを軽くいなす。
「……そうですか? それならいいんですけど…。あの…育成をお願いしたいんです。それに折角ここでお会い出来たから、今度の日の曜日に一緒に遊びませんか?」
 ゼフェルの様子に幾分訝しげながらも、小首を少し傾げてアンジェリークが笑う。
「育成と日の曜日のデート…ね。わかった。おめえの願いは一応覚えておくぜ。じゃ、あばよ。」
 まだ何か言いたげのアンジェリークをそのままに、ゼフェルは自室へと向かって走り出した。
「…ったく。面倒くせえな。土の曜日は聖地で大陸審査もあるし。いっその事、どっちもさぼっちまうか…。」
 作りかけの機械の部品が散らばっている薄暗い部屋の中で、ぼそりとこぼしたゼフェルの呟きは、闇の中に沈んでいった。


「フゥッ。」
 ちょうど祭りの時期だったらしく、活気に満ちた街の中にゼフェルは身を置いていた。
「こんな時にシケタ面してんのは俺ぐらいだろうな。それに今頃、聖地じゃ大騒ぎだろうな。」
「そう思うならどうしてこんな所に来てるんですか?」
 グラスの中にワインを注ぎながら呟くゼフェルは、後ろからかけられた聞き慣れた声に驚いて、ワインの入ったグラスを倒しそうになった。
「こんにちは、ゼフェル様。」
 振り返ったゼフェルの視界に、複雑な表情を浮かべるアンジェリークがいた。
「お…おめえ……。こんな所で何してんだよ。」
 自分のことも省みずゼフェルが叫ぶ。
「だって…ゼフェル様の様子が変だったから……。ゼフェル様。一緒に帰りましょう。皆さん心配してらっしゃいますよ。それに……。」
 悲しみの色を浮かべるアンジェリークに、ゼフェルは必死に言葉を選ぶ。
「あ…あのな、アンジェリーク。…俺はこんな事は慣れてるから平気なんだ。けどな、女王候補のおめえは……聖地を抜け出したのがばれたら、ジュリアスの野郎がうっせーし……何言われるかわかんねえぞ。だから…お前だけでも先に帰れ。いいな。」
 ゼフェルの言葉にアンジェリークの瞳に涙が浮かぶ。
「お……おい。何も泣く事ないだろ。」
 泣き出すアンジェリークにゼフェルが慌てる。
「よおよお、色男。そんな可愛娘ちゃん泣かせちゃ駄目じゃないか。」
「そうだぜ。せっかくの祭りなんだからよ。」
 店の中にいた数人の大人達がゼフェルをからかう。
「そんなんじゃねえよ。……ったく。出るぞ。アンジェリーク。」
 そう言ってゼフェルは、泣いているアンジェリークの手を取って店を出た。
 店の中からは、二人をはやしたてる声がいつまでも響いていた。


「……少しは落ち着いたか?」
 人気のない街外れの公園のベンチで、ゼフェルがアンジェリークに声をかける。
「…はい。すみませんでした。」
 アンジェリークが小さな声で謝罪する。
「別におめえが悪い訳じゃねえから謝る必要ねえよ。」
 溜息をつきながらゼフェルが言う。
「でも俺、おまえにそんなにひでえ事言ったか?」
 どう考えてもアンジェリークが泣いた理由の思い当たらないゼフェルが尋ねる。
「あの、違うんです。ゼフェル様に一人で先に帰れって言われた時、何だかこのままゼフェル様と会えなくなっちゃいそうな気がして……。このまま聖地にも飛空都市にも戻って来ない様で……だから……。そんな事無いですよね。ゼフェル様。」
 再び目を潤ませるアンジェリークに、ゼフェルが溜息をつきながら頭をかく。
「…あのよ、アンジェリーク。おまえ…一人になりたくなる時ってあるか? 俺は…時々そう言う時があるんだけどよ。丁度今がそうなんだ。だからな、こうして一人になれる所に来てたんだよ。」
 ゼフェルの言葉を静かに聞いていたアンジェリークが遠慮がちに口を開く。
「………私にも…一人になりたくなる時ってあります。けど……。」
「けど?」
 ゼフェルが聞き返す。
「家の近所にいたおばあさんが教えてくれたんです。一人になりたいって思った時は一人になっちゃいけないって。寂しくて寂しくてどうしようもなくて……どうしたらいいのか解らない程たまらない寂しさを…一人になりたいって気持ちにすり替えてるだけだって。だから一人になりたくなった時は大好きな人と一緒にいるのが一番だよって。何もしなくても良いから…大好きな人の側にいなさい。いてあげなさいって……。」
 そう言ってゼフェルを見上げて微笑むアンジェリークの瞳から涙が頬を伝う。
「………そっか。」
 泣きながら微笑むアンジェリークにつられてゼフェルも笑顔を見せる。
「大好きな奴と一緒……か。」
「?」
 目の前のアンジェリークを見ながら呟くゼフェルを、不思議そうな顔でアンジェリークが見つめる。
「……帰るぞ。アンジェリーク。」
 ふいに、ゼフェルがアンジェリークから視線を外して立ち上がる。
「はい。ゼフェル様。」
 アンジェリークが嬉しそうに答える。
「もう少し祭り見物してからな。」
 片目でウインクしてみせるゼフェルに、アンジェリークは頬を染めながらついていった。


 様々な露店の立ち並ぶ広場にアンジェリークとゼフェルはやってきた。
「わぁ。綺麗ですね。」
 きらびやかなアクセサリーを並べた露店の前で足を止めたアンジェリークが感嘆の声をあげる。
「オリヴィエあたりが好きそうだな。」
 つられてゼフェルも足を止めて品々を眺める。
「本当にそうですね。あっ、これ可愛い。」
 そう言ってアンジェリークが一つの品物を手に取った。
「どうですか? ゼフェル様。似合います?」
 アンジェリークが笑顔で振り返りゼフェルに尋ねる。
「んなの俺に聞くなよ。解んねえんだから。気に入ったんなら買ってやるから早く行こうぜ。」
 尋ねられたゼフェルが店から少し離れる。
「いらっしゃいませ。お嬢さんにはこちらの品がお似合いだと思いますよ。」
 店の女主人が奥から出てきて笑顔で話しかける。
「これですか?」
「ええ。ほら。ここの真ん中の石があちらのボーイフレンドの目の色と同じでしょ。とてもよくお似合いになると思うけど?」
 言われてアンジェリークがゼフェルを見る。
 ゼフェルには二人の会話は聞こえてこなかったが、アンジェリークに見つめられて赤くなったゼフェルの顔に二つの深い赤い色が光る。
「あ……。どうしよう………。」
「決まったのか?」
 少し離れていたゼフェルが、話がまとまった様なので近づいて声をかける。
「あ……はい。」
 品物を手にしたアンジェリークが慌てて答える。
「これでいいのか? 最初におめえが選んだ奴じゃねーぞこれ。いいのか? ホントに。」
「はい……本当に買って戴いてよろしいんですか?」
 頬を染めて話すアンジェリークの様子を横目に、ゼフェルから代金を受け取った女主人がそっと耳打ちをする。
「可愛らしいガールフレンドね。貴方の目の色と同じ色よ。って教えたイヤリングを選ぶんですもの。」
 女主人のそんな言葉に、ゼフェルが真っ赤になってアンジェリークを振り返る。
「ば……ばかやろう。何考えてんだよ。」
 ゼフェルは、買ったばかりのイヤリングをつけているアンジェリークを怒鳴って走り出す。
「あっ。ゼフェル様。待って下さい。」
「お二人ともいつまでも仲良くね。」
 ゼフェルを追いかけるアンジェリークの後ろから、女主人の声が聞こえた。


「ゼフェル様。待って下さいってば。きゃあ。」
「アンジェリーク!」
 必死にゼフェルを追いかけていたアンジェリークが、道を横断しようとして車とぶつかりそうになった。
「大丈夫かよ。ちきしょー。行っちまいやがった。」
「大丈夫です。それに周りをよく見ていなかった私の方が悪いんですから。」
 そう言って笑いかけるアンジェリークの耳に、先程のイヤリングが光る。
「俺も悪かったよ。立てるか?」
「はい。あ……痛っ………。」
 差し伸べられたゼフェルの手を取り、立ち上がろうとしたアンジェリークが、再び道に座り込む。
「! どこか痛むのか?」
「…足を挫いちゃったみたいです。」
 尋ねるゼフェルに申し訳なさそうにアンジェリークが答える。
「悪りぃ。俺のせいだな。ほら。おぶされよ。」
「えっ? いいですよ。歩けますから。」
 背中を向けたゼフェルにアンジェリークが慌てる。
「何言ってんだよ。その足で歩いたらもっと悪化するぞ。いいからおぶされよ。俺だって恥ずかしいんだからよ。」
 耳まで赤くしたゼフェルが前を見たまま言う。
「ごめんなさい。ゼフェル様。」
 アンジェリークは小さな声で謝ると、遠慮がちにゼフェルの背におぶさった。


「重くないですか? ゼフェル様。」
 聖地への道をゆっくりと歩くゼフェルにアンジェリークが背中から声をかける。
「何ともねえよ。この位。」
 背中にアンジェリークの温もりを感じ、気恥ずかしさを覚えたゼフェルが短く答える。
「! アンジェリークどうかしたのか? 痛むのか?」
 ようやっと、聖地の扉が見える所まで辿り着いたゼフェルは、自分の首に廻されたアンジェリークの腕に力が入ったのに気が付き、声をかける。
「ゼフェル様。私ずっとお側にいますね。ゼフェル様が楽しい時も嬉しい時も悲しい時も寂しい時もずっとずっとお側にいますからゼフェル様も私の側にいて下さいね。黙ってどこかに消えてしまったりしないで下さいね。私ずっとゼフェル様のお側にいますから……………。」
「あ…ああ。」
 背中に頬を擦り寄せて小さな声で話すアンジェリークに短く返事をして、ゼフェルはアンジェリークをおぶったまま聖地の扉をくぐっていった。


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