歴史は繰り返す


 人間、信じられないものを見てしまうと立ち尽くす事しか出来なくなるもので………。
 そう言った意味では、今日の女王候補ロザリアの反応は至極当然のものだっただろう。


 金の曜日。
 その日、ロザリアは一日の予定を終えて女王候補寮の自室へと戻る途中だった。
 宇宙を統べる女王を決める女王試験を行っている、この飛空都市にあてがわれた女王候補寮の一階は食堂などの共同スペース。
 階段を上がった二階の右側がロザリアの部屋。
 そして階段を上がった左側の部屋が、もう一人の女王候補アンジェリークの部屋となっていた。
 キィ…と軽い音が聞こえてロザリアがそちらへ顔を向けると、そこにはアンジェリークに見送られていく光の守護聖の姿があった。
『まぁ。あの娘ったら今日はジュリアス様とお話をなさってたのね。道理でジュリアス様がいらっしゃらなかった訳だわ。』
 そんなことを考えていたロザリアの思考回路が、歩き出したジュリアスの足どりにピタリと止まる。
 謹厳実直を絵に描いたような光の守護聖の帰路につく足どりは、まるでスキップをしているようにしか思えないほど軽やかなものであった。
 いや…正確にはスキップをしていたと言った方が良いだろう。
 とにかく、ドアノブに手を掛けたままその場に固まってしまったロザリアが正気を取り戻し自室に入ったのは、それからかなりの時間がたってからだった。


『確か前にも……………。』
 ようやく室内に戻ったロザリアが、身の回りの世話をして貰うために自宅から連れてきたばあやに煎れて貰った、アップルティに口をつけながら思い返す。
 アンジェリークの部屋から出て来た守護聖達の行状をである。
 以前、やはりアンジェリークと一日を過ごしたのだろう、闇の守護聖クラヴィスと階段ですれ違った。
 その時、ロザリアの優秀な鼓膜は聞き逃さなかったのである。
 あのクラヴィスが楽しそうに鼻歌を歌っていたのを。
 もっと前には風の守護聖ランディが、アンジェリークの部屋から浮かれたように出てきてそのまま階段を踏み外し、一階へ転げ落ちて足首を捻挫する騒ぎを起こした。
 とにかく、一事が万事そんな具合で、ロザリア自身が知り得る限り、到底『らしくない』行動を守護聖達は取ってきたのである。
 そしてとうとう、あのジュリアスまで……………。
「あの娘ったら。一体なにをやったのかしら?」
「は? お嬢様。どうかなさいましたか?」
 ポツリと漏らした疑問の一言を聞き咎めたばあやが、ロザリアに問いかける。
「何でもないわ。……ねぇ。ばあや。明後日の日の曜日。イチゴタルトを用意してくれる?」
「……はい。かしこまりました。お嬢様。日の曜日はお隣のアンジェリーク様とお茶会ですね。」
「ええ。お願いね。」
 察しの良いばあやがロザリアの言葉に頭を下げて退出する。
 ベッドに横になりながらロザリアは、日の曜日は他の誰よりも早く隣の部屋を訪れなければ…と心に誓ったのだった。


「で。あんたの聞いてほしい話ってなんなの?」
 日の曜日。
 隣の部屋と言う利点を最大限に利用しようと思っていたロザリアは、逆にアンジェリークの訪問を受けて渡りに舟とばかりに、入れたての紅茶を一口飲んで話を切りだしたのだった。
「うん。私ね。もうロザリアに話したい事がいっぱいあってね。早く日の曜日にならないかなってずっと思ってたの。ロザリアさぁ。ジュリアス様の生まれ故郷が主星だって知ってた?」
『やっぱりジュリアス様のお話なのね。ホント…判りやすい娘なんだから。』
「ええ。勿論知っているわよ。女王を何人も輩出しているカタルヘナ家と同様、ジュリアス様のご生家も光の守護聖を何人も輩出している名門のお家柄ですもの。それがどうかしたの?」
 心の中で思っていた通りの話題になった事に苦笑しながら、ロザリアはさらりと尋ねる。
 アンジェリークの思考回路は、ロザリアにとってとても判りやすいものだった。
「何だ。知ってたんだ。やっぱりロザリアは凄いなぁ。じゃあさ。ジュリアス様が守護聖になったのが五歳くらいの頃で、クラヴィス様の前の闇の守護聖様のお世話になってたってのは知ってた?」
「……………。」
 今度の話題にはさすがにロザリアも目を丸くした。
「知らなかった? ロザリアもこれは知らなかった?」
 アンジェリークは驚いたように目を丸くして黙り込んでしまったロザリアの様子に、パァッと顔を輝かせて聞いてきた。
「え…ええ。知らなかったわ。前の闇の守護聖様がジュリアス様のお世話をなさってたって事?」
「うん。そうなんだって。ジュリアス様。その人のこと好きだったって言ってた。きっとさ。その人と入れ替わりで来たクラヴィス様がその人の事を追い出したって思っちゃったんだろうね。小さいジュリアス様。ふふふ。ね。ロザリア。何か納得しない? ジュリアス様がクラヴィス様を嫌う訳。」
 さも、おかしくて仕方ないと言った様子でアンジェリークが笑う。
 おそらくアンジェリークの脳裏には、小さな幼児のジュリアスが同じく小さな幼児のクラヴィスに、あっかんべーをしている姿がインプットされてしまったのだろう。
「あんた…ジュリアス様とそんなお話しをしたの?」
「うん。ほら。前に守護聖様って何か近寄りがたくて話しづらいって言ったでしょ。その時、ロザリアにもっと守護聖様の事を知る努力をなさいって怒られたじゃない。実はね。ゼフェル様にも同じような事、言われてたの。俺とばっかり話してないで他の奴等とも話して見ろって。だからね。守護聖様方が守護聖になった時の事や、故郷のお話とか家族のお話なんかを聞きまくったの。そしたらね。皆さん親切に教えてくださって……。ロザリアやゼフェル様の言う通り、お話ししてたら近寄りがたい感じが無くなったの。ありがとね。ロザリア。」
『全く。この娘は……。何て事をするのかしら。自覚が無いって言うのか、鈍感って言うのか………。』
 小首を傾げてにっこりと笑うアンジェリークに、ロザリアが心の中で頭を抱えた。
 守護聖の殆どがアンジェリークに対して特別な想いを抱いていることを、ロザリアは知っていた。
 私情に走ったそんな守護聖達のお陰で、思い描いたような育成を進められずロザリアがどれだけ迷惑を受けたことか………。
 しかしだからと言って、ロザリアはアンジェリークを責めるつもりは毛頭なかった。
 ロザリア自身も、アンジェリークの事を誰よりも大切な友人だと思っているからである。
 とにかく、私情に走りまくっている守護聖達がアンジェリークに故郷や家族のことを聞かれた事実をどのような意味に捉えたのか、ロザリアには手に取るように判ったのだった。
『それにしても………。』
 ふと、気にかかる事をロザリアは思い出した。
「ゼフェル様にもお聞きしたんでしょ。故郷のお話。」
「うん。勿論。ゼフェル様にはね。一番最初にお聞きしたの。ゼフェル様の生まれ故郷って人工的に作られた工業惑星なんだって。緑が殆ど無くって灰色の空ばっかりが広がる所だったって。だからゼフェル様言ってた。エリューシオンやフェリシアみたいに緑の広がる所こそ故郷って呼べるんだろうなって。」
 ロザリアは、このアンジェリークの言葉に目を丸くした。
 似た経緯を持つせいなのか、同い年と言う気安さなのか、ゼフェルの守護聖らしからぬ態度のせいなのかは判らないが、アンジェリークは割と最初の頃からゼフェルには懐いていた。
 だから当然、ゼフェルにも色々な話を聞いていただろうとは思っていたが………。
「ちょっと待ってよ。アンジェリーク。エリューシオンやフェリシア? エリューシオンじゃなくて? ゼフェル様が私のフェリシアを気にしていたって言うの?」
「うん。ゼフェル様こう言ってたよ。『おめー達の育成している大陸。フェリシアとエリューシオンっつったっけ? あんなのを故郷って言うんだろうな。』って。ゼフェル様。ちゃんとロザリアの事も見てるんだよ。」
『ゼフェル様が………。』
 アンジェリークの言葉にロザリアは、アンジェリークと接していても唯一態度を変えない鋼の守護聖の姿を思い浮かべた。
 はっきり言って、近づきたくはないタイプだった。
 乱暴で粗野で短気で怒りっぽいところもごめんだった。
 ゼフェルの方も、どうやら上流階級の人間を好きではないらしく、殆ど自分の元へ来ることは無かったし、ロザリア自身も育成のお願い以外で彼の元を訪れるようなことはしなかった。
 だからゼフェルはロザリアよりもアンジェリークと仲が良い。
『でも…そう言えば……………。』
 好き嫌いの態度がはっきりしているゼフェルではあったが、試験に関しては公平だった事をロザリアは思い出す。
 育成をお願いすれば、きっちりお願いした分はやってくれるのだ。
 誰とは言わないが某守護聖などは、育成をお願いした翌日に育成を頼んだ倍以上の力を勝手に引き上げたりする。
 そんな大人げない守護聖に比べれば、勝手に力を引き上げたりしないゼフェルの方が、よほど守護聖らしかった。
『これは…アンジェリークに言った手前、私も一度ゼフェル様とじっくりお話しをして、あの方を知る必要がありそうね。』
 キラキラとした表情で、先日仕入れたばかりのジュリアスの事を延々と喋り続けているアンジェリークに相槌を打ちながら、ロザリアは明日の予定を決めたのだった。


「開いてっぜ。…って、何だ。おめーかよ。珍しいな育成か?」
 軽いノックの後、一呼吸置いて室内に入ってきたロザリアの姿にゼフェルが驚いたように目を丸くする。
「ご機嫌よう。ゼフェル様。今日はお話に参りましたの。」
「………ますます珍しいな。俺と何の話をしようってんだよ。」
「アンジェリークの事なんですけど………。」
「あいつがどうかしたのかっ!」
 メカいじりの手を止めて驚いたように叫ぶゼフェルに、今度はロザリアが目を丸くする。
『ゼフェル様も…だったらしいわね。』
 ハッ! と自分の取った態度に気がついたのか、ゼフェルが慌てて顔を逸らすのをロザリアは冷静に観察していた。
「昨日の日の曜日。あの子と一日を過ごしましたの。」
「……知ってる。誘いに行ったら今日はおめーと話したいからっつって断られたから。」
「まぁ。存じませんで申し訳ありませんわ。ホントに。あの子ったら。守護聖様のお誘いを断るなんて………。」
 横を向いたまま頬杖をつくゼフェルの拗ねたようにも照れ隠しのようにも見える表情を見ながらロザリアは深々と頭を下げた。
「別に構わねーよ。あいつは自分がこうするって決めたらぜってー変えねーからな。で、日の曜日がどうかしたのか?」
「私のフェリシアの事をお気にかけて頂いていたそうですね。」
「あれは……。あいつがエコヒイキは絶対にすんなっつーからよ。それに…あいつから俺の故郷の話を聞いたか?」
「はい。聞かせて頂きましたわ。」
 ふてくされたようなゼフェルの言葉にロザリアは静かに頷いた。
「生まれ故郷が故郷なもんだからよ。俺はどっちの大陸も気に入ってっぜ。どっちもうまい具合に進みゃあ良いと思ってる。おめーは大変みてーだけどよ。」
 苦笑するゼフェルにロザリアも苦笑した。
 どうやらロザリアの大陸の現在の状況を、ゼフェルは知っているようだった。
「それよりよ。つい最近、あいつ、ジュリアスの野郎と話しなかったか?」
 ゼフェルの突然の話の切り替えに、ロザリアは一瞬きょとんとした顔をしてしまった。
「よくご存じですわね。金の曜日にアンジェリークの部屋から出てくるジュリアス様をお見かけいたしましたわ。」
「やっぱな。いや。今朝、ジュリアスの野郎が俺のトコに来て少し話してったからよ。」
『ジュリアス様がゼフェル様の所へ?』
 意外な言葉にロザリアは驚きを隠せなかった。
 ジュリアスにとって、ゼフェルは頭痛の種であったのでは無いだろうか?
 クラヴィスほどでは無いにしろ………。
「やっぱ驚くよな。俺もものすげー驚いたからな。」
「何の…お話だったんですの?」
「あ…まぁ……。試験の事とか色々な………。」
 ここで初めてゼフェルは言葉を濁した。
 あまりロザリアに聞かせられる内容では無かったのだろう。
『やっぱ本人、前にしちゃ言えねーよな。…っかしよぉ。あの堅物があんな事言ってくるなんて思わなかったよな。』
 横を向いたままゼフェルは、今朝方のジュリアスの言葉を思い出していた。


「ゼフェル。私はそなたを誤解していた。」
 部屋にやってきたジュリアスの、開口一番はこれだった。
「そなたはやはり立派な守護聖であった。アンジェリークの…彼女の女王候補としての資質をいち早く見抜いていたのだからな。」
「……………。」
 頬を紅潮させ嬉々として喋りまくるジュリアスに、ゼフェルはただただ呆然とする事しか出来なかった。
「彼女が女王になれば現女王陛下以上に宇宙は安定し平和に包まれることだろう。そんな彼女が己の将来の可能性を無にする道を選んでしまうことは残念ではあるが、彼女ほどではないとは言えロザリアも女王としての資質を十分に持っている。彼女を補佐官に据えればロザリアも心強いとは思わぬか?」
『おいおいおい。誰が将来を無にする道を選んだって?』
 強く問いかけるジュリアスに、ゼフェルは心の中で突っ込みを入れながら無言で頷いた。
「やはりそなたもそう思うか。うむ。やはり私とそなたの目に間違いは無かった。しかし…彼女はそなたと一番仲が良いと思っていたがそれは友人としてだったのだな。……では私は失礼する。今後も彼女と仲良くしてやって欲しい。頼むぞ。ゼフェル。」
 言いたいことだけ言って去っていくジュリアスの黄金に輝く長い金髪を、ゼフェルは呆然と眺めてしまったのだった。


「何となく…想像できますわ。」
 ロザリアの言葉にゼフェルが我に返る。
「大方、私よりアンジェリークの方が女王に相応しい…とでもおっしゃったのでしょう。ジュリアス様のお部屋を伺うたびに、それに近い事を言われますもの。女王候補としての自覚がどう…と。私、アンジェリークじゃありませんのよ? 今更、女王候補としての自覚云々を、人から諭されるとは思いませんでしたわ。」
「……だろーな。」
 ロザリアの心底嫌そうな顔にゼフェルが苦笑する。
 生まれた時から女王候補としての教育を受けてきたロザリアに対する言葉で無いのは、ゼフェルにも理解できたからだった。
「それよりあいつ。まだやってたんだな。いい加減、もう止めとけっつったのによ。」
「やってる…って……。」
「他の奴等の話を聞く事だよ。おめーも言ったんだろ。守護聖を知る努力をしろってよ。俺も他の奴等と話せっつったけどよ。」
 握りっぱなしになっていたドライバーで、こめかみの辺りをかきながら呟くゼフェルに、ロザリアが『あぁ』と納得する。
「いい加減、守護聖の方々が誤解をするから止めた方が宜しいんですけれども………。」
「全くだぜ。…っとによぉ。ひとつ教えてやるよ。ちょっと前だけどな。ランディの野郎とあいつの部屋の前で鉢合わせした事があってよ。その時、あの野郎。言うに事欠いて『俺のアンジェに何か用かい?』だぜ。家族の話をした事があるんだと。で『俺の家族に興味があるって事は俺の事を好きだって事だもんな。悪いな。ゼフェル。』だぜ。しかもあの気色悪りぃ、ハハハ笑いつきでよ。勘違いもほどほどにしときゃあ良いってのによ。」
 ゼフェルの言葉にロザリアは、あの天真爛漫な風の守護聖が満面に笑みを浮かべている姿を脳裏に思い浮かべて頭痛を覚えた。
 つけたくも無かったと言うのに、真っ黒に日焼けした笑顔に真っ白な歯がキラリと光るオプションまでつけてしまった。
「………あの娘に止めるように伝えますわ。」
「そうしとけ。俺も言っとく。あいつにその気があってやってるならともかくよ。その気も無ぇのに続けてたら勘違い野郎が増えるだけだ。」
 全くその通りだとロザリアは思った。
 それにしても……………。
『ゼフェル様って…私の想像以上に冷静な方だったのね。』
 当初の目的以上のことを果たせたようで、ロザリアは今日一日を充実して過ごせたと思った。
 ゼフェルを知る事も出来たし、仲良く…とまでは行かなくとも、お互い共通点のようなものを見出せた気がしたのだった。
「………あいつが来るみてーだな。」
 本日の成果に満足していたロザリアの耳にゼフェルの呟きが届く。
 廊下の向こうの方からパタパタと軽い足音がこちらに向かって近づいて来ていた。
 バターン…と激しくドアが開いて飛び込んできたのは、ゼフェルが言った通りアンジェリークだった。
「あんた…何なの? 失礼でしょ。守護聖様のお部屋に挨拶も無しで入ってきて。」
「あっ! ロザリア。来てたんだ。聞いて聞いて聞いてっ! ゼフェル様も聞いてっ!」
「……聞いてやっから落ち着け。」
 諭すロザリアの言葉も耳に入らないほど興奮した様子のアンジェリークに、ゼフェルは諦めたように呟いた。
「あのね。あのね。オスカー様ってね………。」
 ここまで話して、アンジェリークは思い出したかのように声をあげて笑い出した。
 お腹を押さえて…目尻には涙まで浮かんでいた。
「アンジェリーク。オスカー様がどうかなさったの?」
「あ…あの…ね。オスカー様のお家って代々軍人さんの家系なんだって。あ…あんな……。女ったらしな軍人さんなんて………。」
 きゃはははは…と、アンジェリークの笑い声がゼフェルの執務室に響き渡った。


「ゼフェル様。陛下をご存じありませんか?」
 二階の回廊から中庭を見下ろしているゼフェルに、女王補佐官となったロザリアが声をかける。
 ロザリアの方へと顔を向けたゼフェルは、呆れた様子で無言のままクイッと顎を中庭へ向けた。
「? ………あの娘ったらまた……。ゼフェル様。歴史は繰り返すって言葉…ご存じ?」
「あぁ。知ってっぜ。」
 不思議そうに中庭へと視線を向けたロザリアが、頭を抱えた直後ゼフェルにポツリと呟いた。
 中庭では、平服姿のまま楽しそうな笑顔を見せる女王を、新しい宇宙の二人の女王候補達や協力者達、そして守護聖達までもが取り囲んでいた。


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