夏の風景


「ルヴァ様こんにちは。今日はエリューシオンをたくさん育成して下さい。」
 日一日と暑さが増す飛空都市の聖殿の中に、大地の守護聖ルヴァの執務室を訪れた女王候補アンジェリークの元気な声が響き渡る。
「おやー、いらっしゃいアンジェリーク。いつも元気ですねえ、あなたは。たくさん育成ですね。解りました。忘れずにやっておきますよ。」
 机の上に広げられた数冊の本に目を落としていたルヴァが突然の訪問者を笑顔で迎える。
「あのー……ルヴァ様? 何か良い事でもあったんですか? 何だか嬉しそうですよ。」
 普段から人当たりの良いルヴァの、いつにない機嫌の良さに気がついたアンジェリークが不思議そうに尋ねる。
「えっ? そうですか? いえね、大した事では無いんですよ。ゼフェルの事なんですけど……。あの子もやっと向学心に目覚めてくれたみたいで。ここ数日、私の執務室にある蔵書の中から何冊かの本を持って行くんですよ。きっとあなたやロザリアのお陰でしょうねえ。本当に喜ばしい事です。感謝してますよ。アンジェリーク。」
 細い目をさらに細くして嬉しそうに話すルヴァに笑顔を返して、アンジェリークはルヴァの執務室を後にした。


「ゼフェル様。こんにちは。」
 ルヴァの話に好奇心を抱いたアンジェリークは、今度は鋼の守護聖ゼフェルの執務室を訪れた。
「あらっ? いらっしゃらないわ。変ね。外出してらっしゃるのかしら?」
 きょろきょろと部屋の中を見回すアンジェリークの目に、数冊の本が机の上に無造作に置かれているのが見えた。
「これかしら? ゼフェル様がルヴァ様からお借りしている本って。……ふぅーん。写真がたくさん載っている本ばっかりなのね。……………あっ、これなんか凄く綺麗。こんな海で泳いだら気持ちいいだろうなぁ。」
 パラパラとページをめくるアンジェリークの手が、コバルトブルーの海と白い砂浜のコントラストを映し出す一ページで止まる。
「……………。あっ、いけない。いけない。ゼフェル様に会いに来たのよね。何処に行かれたのかしら?」
 ややしばらく写真に見とれていたアンジェリークが、当初の目的を思い出し本を閉じる。


「あら? 何の音かしら?」
 部屋の中を歩き回っていたアンジェリークの耳に、かすかな機械音が聞こえてきた。
「んー……。この壁の向こうから聞こえるんだけど……。ゼフェル様の事だから隠し部屋でも作ってるとか…。」
 言いながらコンコンと壁を叩いていたアンジェリークの手が、すっぽりと壁の中に入ってしまった。
「ええっ? 何これ? 隠し通路……なの?」
 手探りで恐る恐る壁の中に進んでいったアンジェリークは、薄暗い機械だらけの部屋に到着した。
「すごぉーい。これ全部ゼフェル様がお作りになったのかしら? ……あらっ?」
 薄暗い部屋の中を見回していたアンジェリークは、一冊の本が開かれたままの状態で奇妙な装置の中にセットされているのを見つけた。
「………この本もルヴァ様の所からお借りした物なのかしら? …………きゃっ!」
 機械にセットされた本を眺めていたアンジェリークは、勢い良く開けられた扉の音に驚いて悲鳴を上げた。
「げっ。アンジェリーク!」
「……ゼフェル様!? ええっ〜?」
 ゼフェルの姿を確認したアンジェリークは、ゼフェルの後ろに広がる風景に驚き、呆然と立ち尽くした。
 そこには、すぐ脇にある装置にセットされていた本と同じ風景が広がっていたのであった。


「どうなってるんですか? これ?」
 真っ青な青空の下で風に揺れる緑の草原と薄暗い部屋とを、交互に眺めながらアンジェリークがゼフェルに尋ねる。
「……次元回廊の磁場を応用させて何か作れないかと思ってよ。何処でどうなったのか俺にもさっぱりなんだけど、この扉をくぐると別空間に入り込める様になったんだ。でまあ、色々改良してこうなった。と言うわけでな。だけどおめえ、よくここが解ったな。」
 型枠だけの扉をコツンと叩き、不思議そうに尋ねるゼフェルにアンジェリークは、この部屋まで行き着いたいきさつを話して聞かせた。
「……次からは鍵かけとかないとな。」
 頭を押さえてぶつぶつと呟くゼフェルに、開けっ放しの扉を出たり入ったりしていたアンジェリークが話しかける。
「ゼフェル様。もしかしてルヴァ様のお部屋から本をお借りしていたのって、このためなんですか? ………ルヴァ様、ゼフェル様が向学心に目覚めてくれたって喜んでらっしゃったのに……。」
 問われて大きく首を振るゼフェルを見てアンジェリークが溜息をついた。
「………! ねぇ、ゼフェル様。これって他の場所にもいけるんですか?」
 何かを思い出したかのようにアンジェリークが尋ねる。
「ん? ああ。おめえも見て解るだろ? 行きたい場所を開いてセットすれば何処でも行けるぜ。しかも本物だしな。ただ、人間の写っている写真とかは駄目だったけどな。」
 そう言ってゼフェルは草原の中に入り、足下の草を引きちぎり風に乗せる。
「あの……私、行きたい所があるんです。こっちに来て下さい。」
 アンジェリークはゼフェルの手を取って元の執務室へと戻り、先程眺めていたコバルトブルーの海の写真を見せた。
「ねっ。ゼフェル様。綺麗でしょ。皆で泳ぎに行きませんか? きっと楽しいですよ。」
 開かれた本を眺めていたゼフェルが顔をひきつらせる。
「おい……何だよ。その『皆』ってのは。俺の隠し部屋を他の奴等にばらすのかよ。冗談じゃないぜ。」
 嫌そうな顔をするゼフェルに、アンジェリークが困った顔を見せる。
「えっ? そんなぁ。………あっ! じゃあ、ロザリアとランディ様とマルセル様の3人だけ。それでもダメですか?」
 小首を傾げて尋ねるアンジェリークに、顔を赤くしたゼフェルはそっぽを向いて渋々承諾した。


「気持ちいい〜。」
 日の曜日になり計画を実行したアンジェリークは、例の装置により、コバルトブルーの海辺に立っていた。
「……すごいねえ。ランディ。」
「あっ…ああ。………ゼフェル。お前、こんな凄い物作ったのか。」
 アンジェリークに連れられてきた緑の守護聖マルセルと風の守護聖ランディが、交互にゼフェルに話しかける。
 そんなやりとりを横目で見ていたアンジェリークが、徐に着ていた服を脱ぎだした
「ちょっと! あんたったら。こんな所でいきなり何してるのよ。恥ずかしいと思わないの?」
 日差しの強い所に行くからとアンジェリークに言われて持ってきた、淡いブルーの日傘をさしたもう一人の女王候補ロザリアが、三人の守護聖の目を気にして叫ぶ。
「下に水着着てるから平気。ロザリアも泳ご。ねっ?」
 着ていた服を脱ぎ捨てて、いち早く水着姿になったアンジェリークがロザリアの手を引っ張る。
「私、日に焼けたくないの。ここにいるからあんたは泳いでらっしゃいよ。」
 ゼフェルとランディが張った日除けテントの下に、マルセルが椅子を並べる。
 その一つに腰掛けたロザリアが笑顔を作る。
「本当にいいのかい? ロザリア。」
 ランディが波打ち際へ走り出した他の者達を目で追いながら、一人その場に残るロザリアを気遣う。
「ランディ様、お気遣いありがとうございます。私に遠慮なさらずに行って下さいな。ただ、ランディ様も日焼けには十分お気をつけになった方がよろしいですわよ。」
 ロザリアのそんな言葉にランディは、平気だよと笑顔を作り、波打ち際へと走っていった。


「さて、アンジェリーク、ランディ、ゼフェル、マルセル。そなた達四名、何故ここへ呼ばれたのか解るか?」
 月の曜日、光の守護聖ジュリアスの執務室に呼び出された四人は、前日の海水浴で見事なまでに真っ黒に日焼けした互いの顔を見合わせた。
「………。先程、所用があってランディの元を訪ねたのだが留守だった。その代わり、机の上にこんな物が置いてあったのだが……これは一体何なのだ?」
 深い溜息をついたジュリアスが、手にした紙をクルリと返すと、途端に四人の顔がひきつる。
 記念にと写した写真を、ジュリアスは手にしていた。
「ランディ。説明してもらいたいのだがな。」
「は…はいっ。あのっ……それは……………。」
「ジュリアス様! ごめんなさい! 私が悪いんです。私が皆様に無理を言ったから……。だから………。」
 口ごもるランディの代わりに、アンジェリークが叫ぶ。
「アンジェリーク。そなたの話は後で聞く。話を聞くのにも順序と言うものがあるのだからな。」
 ジュリアスの静かな物言いに、アンジェリークが肩を落として俯く。
「だったら、話す必要があるのは俺だけだぜジュリアス。他の奴等は関係ねーよ。」
 突然そう言って続けられたゼフェルの言葉に、ジュリアスの眉がピクリと動く。
「解ったろ。悪いのは全部俺なんだからよ。説教でも何でも好きに……。」
「いいえっ! ゼフェル様だけが悪いんじゃありません! 元はと言えば私が泳ぎたいなんて言ったから……。ジュリアス様! お叱りなら私に………。」
 ゼフェルの話を遮って叫んだアンジェリークの言葉を皮切りに、ランディやマルセルまでもが加わって、自分が悪い、いいや、自分の自覚が足りなかった等と騒ぎだす。
 そんな四人のやりとりをジュリアスは静かに見ていた。


「失礼いたします。ジュリアス様。日の曜日の事でアンジェリーク達をお呼びになったと伺ったので参りました。」
 突然、ロザリアが息を切らせて入ってきた。
「ロザリア。そなたには関係のない事であろう?」
「いいえ! 関係ございますわ。その写真には写っておりませんけど私もその場におりました。ですからアンジェリーク達を処罰なさるのなら私も同罪ですわ。」
 訝しげながら尋ねるジュリアスに即答を返して、ロザリアがアンジェリークの横に並ぶ。
「ロザリア………ごめんね。」
「いいのよ。昨日はあんたのお陰でいい気分転換になったんだから…。本当よ。お許しさえ頂ければ他にも行きたい所が山程ある位、ね。」
 小さく呟くアンジェリークに、ロザリアは笑顔を返す。
「………ゼフェル。その装置は危険性は無いのだな?」
 突然、ジュリアスがゼフェルに尋ねる。
「ん……あっ、ああ。危険性は全くねーよ。実際にはこの飛空都市から一歩も外に出てねえ事になるから他への影響も皆無だしな。」
 ジュリアスの問いに戸惑いを見せながら、ゼフェルが答える。
 押し黙ったまま考え事をしているジュリアスを、五人は不思議そうに見つめていた。
「……いくら守護聖や女王候補と言えど、息抜きは必要かもしれぬな。今後、その装置を使用する場合は必ず私の許可を得るように。よいな。五人共。もう下がってよい。今回の事は不問とする。あえて私が罰を与えずとも、それなりの報いは受けるだろうしな。」
 ジュリアスの言葉に目を丸くした五人は、深々と礼を取り部屋を出た。
「ジュリアス。今回はやけに物わかりがいいじゃねーか。」
 ただ一人礼を取らずに部屋を出るゼフェルが、扉の影から顔だけ出して嬉しそうに言った。
「………後でそなたの所へ行く。その装置を見に…な。」
 ジュリアスの言葉に、ゼフェルは手をひらひらさせて扉を閉めた。


 その後、ゼフェル達守護聖三人は、日焼けでヒリヒリする身体を他の守護聖達にバシバシ叩かれて、大変な思いをしたそうである。
 アンジェリークとロザリアはと言うと、育成の依頼が思うように出来ず、困っていた。
 それと言うのも、守護聖達がゼフェルの作った例の装置で、思い思いの風景の中を満喫していたからである。
 ともあれ、五人はジュリアスが言っていた『それなりの報い』と言うものをしっかりと受けていたのであった。


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