せ…せめて最終回だけでも…。と思い…、私から観た【救命病棟24時】の第11話を
かかせていただきたいと思いました。実はドラマの内容をしっかり書くのは、これが初めてで…(笑)
長いですよ〜かなり☆一語一句逃さず観てましたからね、最終回(笑)
最終回(2005年3月22日OA) |
最初から東都中央病院、高度,救命救急センターの最悪な事態から始まりました…。 やっぱり賞味期限が一週間前だったおにぎりを食べたせいたっだのねぇ? でも、うちの母と話をしていたのですが、きっと医局長と日比谷先生、師長は梅だったのではないでしょうか(笑)梅には消毒する作用がありますから(笑)って、そんなことを言っている場合じゃない!! 医師10名、看護師22名、計32名、3分の2のスタッフが倒れてしまった。そんな手が足りないときに、全身熱傷の8歳の男の子の受け入れをお願いされる。日比谷先生は今は無理だと医局長に言い、医局長も断ろうとする。 そんなとき!きました!!nice☆河野先生復活♪「僕はもう大丈夫です!」その言葉を信じ、進藤先生は食中毒のスタッフをナースに任して、医師だけで8歳の男の子を対応しようと決め、受け入れました。 和也君は自分を責め続けています。俺のせいで…俺のせいで…。お水の入ったペットボトルを思いっきり踏み潰す。(私だけでしょうか…もったいないと思ったのは(だいたひかる風に…笑)そんなとき、日比谷先生は「遊んでいる暇があったら仕事しろ!」と踏み潰したペットボトルを拾い、和也君に渡します。何気に優しさが溢れているよ、日比谷先生☆ 8歳の男の子、しん君は身体の80%の熱傷。諦めてしまいそうな両親に、楓先生は、水分管理を徹底し、感染を防ぐために軟膏をぬったガーゼを1日1回交換していくことを説明。感染してしまったら…熱があがってしまったら…という両親に対し、「見守りましょう…」と説得した。 そしてこんな状態では元気な救命スタッフさえも倒れてしまうと考え、医局長は寺泉さんに助けを求めます。最低医師5名、看護師15名の応援を派遣して欲しいと…。寺泉さんはこの話を官僚の三上にいうと、そんな最新機器がそろっていながら手が足りないのか…と嫌々ながら三上は「4〜5日かかると思う」といいます。 医局長はスタッフを集め、手が足りない現状を説明します。そんなとき、「こんな状態で24時間患者を受け入れるんですか!」という日比谷先生に、我らが進藤先生(すでにひいきしまくり…笑)は、「ここは第三次救命救急です、そうするのが当然です…」と言い放ちます。とりあえず、応援がくるであろう5日間をのりきることを目標にし、医局長・師長は、スタッフに22時間労働を頼みました。一瞬ひるんだスタッフも、すぐに目の色を変え、頑張ろうと決意。師長の「私も若い頃は朝までおどっ仕事に行ったものです…」という言葉に、微笑?苦笑い?をうかべ、仕事に戻りました。 そんな時、倒れてしまった医師の患者さんである立松さんの主治医をどうするか、進藤先生は医局長に相談します。医局長は自分がみることを進藤先生に言いますが、その立松さんはICUにおらず、筋トレをしていました。立松さんは右肺を切除したばかりだったため、医局長は「飛ばしすぎです」ととめます。しかし、立松さんは早い退院を望んでいました。 徐々に疲れが出てき始めていたスタッフ達。体温の安定していた熱傷のしん君を見ているときも河野先生はうとうとしてしまい、1時間しか寝る事ができないので、当然睡眠は足りません。このとき初めて日比谷先生の眼鏡なしのお顔を拝見できたので、すこし感動しましたが(笑)でも、ずっと考えていたことですが、救命の先生達はいつ寝ているんでしょうか。以前小島先生の仮眠の話は出てきましたが、進藤先生はねていらっしゃるのでしょうか…、私はそれが心配。 幸せそうに眠る食中毒で倒れてしまった佐倉さん達がうらやましくみえて当然でしょう(笑) 点滴を自らうち、なんとか身体を持たそうとする医局長。1階のスタッフステーションでカルテのチェックをしていても、眠気は襲ってきます。すると、そこへ和也君が「できれば患者さんと接する仕事を…」と仕事の依頼をします。しかし医局長は「いくらスタッフの手が足りなくても、それはできない…」と断ります。それは当たり前なんですよね。いくら医大に通っている和也君でも、資格がなければそれはできない。 氷水で顔を洗う日比谷先生や、起こされてシャッキっとするためにびんたをする河野先生。点滴をうち寝ていると、いつの間にか1時間経って進藤先生に起こされた医局長のあの疲れた表情は、なんだか本物のようでした。 それでも、次々に運ばれてくる患者さんに、スタッフ達は一生懸命対応します。しかし、何もできず無力感に満ちていた和也君のあの視線は、悲しかった…。 そんな時、片方の肺を切除した立松さんは一生懸命リハビリをします。それをとめる医局長と師長。しかし、立松さんは辞めません。それには理由がありました。 立松さんは入院前にしていた仕事は郵便局で手紙の配達をしていたものだった。その仕事に早く戻りたかったのです。それまで、その仕事が嫌いだったという立松さん、それは、せっかく瓦礫の中住所を頼りに家を探し当てても、家がなかったため、、ただやりきれなかった…。しかし、現金書留だと簡単に差し戻しができないため、避難所を何箇所も回らなければいけなかった…。そんなとき、本人に渡すとめちゃくちゃ喜んでくれる…。郵便の中身がペットボトルの入った小包だったりすると、エレベーターの動かないマンションの14階まで階段で上がらなければいけない…。だから、体力が必要なんですといい、「この地震で誇りが持てました」という立松さん。地震全てが悪い方向に進んでいるわけではないと、少しだけ希望をもらった医局長と師長。 しかし、5日たっても応援は東都中央病院にいかない。官僚の三上に「現場を知らないからノーテンキなことを言っていられるんだ」という寺泉さんに対し、三上は「今回の地震の被害は国家予算の1.5倍に相当する」と言いました。 この2人の話を聞いていたとき、一瞬私が大学で習った地域経済の話を思い出しました。日本経済の中心を担う企業の本社のほとんどが東京にある。現在海外へ進出し多大の収入を得ている企業であっても、本社は東京にある。ネットや交通が発達した現在は、わざわざ地方に置かなくても、東京にだけ本社を置けば、日本をシェアできると考えたため、全ての中心が東京に集まってしまったのです。そのため、東京からの指示をまっているといっても過言ではない垂直支配の中にいる地方都市は、東京が潰れても立ち上がっていける力はない。これはかなり現実的な話でした。そう、今本当にこの中央集権的東京の支配を分散させなければ、「たった20秒揺れただけで国が滅びる…」という三上のセリフが現実になります。 そして救命センターでも悲しいことが起こります。ずっと容態が安定していたしん君ですが、突然熱があがってしまいました。細菌に感染してしまったのです。しん君の両親は「皮膚移植でもなんでもいい、しんを助けてくれ…」と叫びます。しかし、小島先生は「私はしん君の生命力を信じています。人間にはもともと、健康体に戻ろうとする力があるんです。」と3日以内に熱がさがることを信じ、両親に見守ることを説得します。その小島先生の強い瞳と、”生命力を信じる”という言葉を聞いた進藤先生は、医局に戻ると、ネットで神戸新聞社をみつけました。 救命センターに帰ってくる寺泉さんと青木さん。「ひとがいない…」という現状を目の当たりにします。そこへ、医局長は「もう7日目です。みんな限界です…」と、目の下にクマをつくり、やつれた表情で言葉をこぼします。そんな時も容赦なく受け入れを求めてくる患者さん。復興工事中に瓦礫の下敷きになってしまった工事現場の男性でした。 すでに意識はなく、危険な状態。「瀬戸は助かるんですか!!」付き添っていた男性は和也君に必死に聞きます。ソファーで寄り添う和也に、自分達は東京の復興のために、仙台からきたといいます。そんな中作業中に警報の笛が聞こえなかったため、事故にあってしまった。 そんななんとも悲しい現実は、なおもおそってきました。処置中瀬戸さんの心拍は急に止まります。突然の急変に直接心臓をもむ進藤先生。他のスタッフも必死に蘇生させようとします…しかし…。肝臓からも出血がおこり、日比谷先生は医局長にもう無理だと、首を振りました。このときの日比谷先生は、壊れた機械を直す…という観点から患者を診ているのではく、本当に無理であると判断したように思えました。だから日比谷先生の目は悲しそうだった…。 オペ室から出てくる進藤先生。「瀬戸は…」と聞く男性に、「申し訳ありません…全力を尽くしましたが…。…なくなられました」。声を震わせ、涙を含ませ、これ以上の言葉は口にできない…というような表情で伝えた進藤先生。本当にこの映像は悲しくて悲しくて、私自身目から流れる涙はとめることができなかった。でも、このときの汗をたくさんかき、前髪がすこし上がり、必死で言葉を伝えようとした進藤先生というか江口洋介さんがめっちゃ格好よくて、なきながら「格好いい」とさけび、一緒に観ていた家族にブーイングをくらいました。 「ちくしょう…」となくなられた瀬戸さんの近くに行き、悔しがる男性をみつめるスタッフ。「どんなに頑張ったって、こんなでかい街がめちゃくちゃにあったから、復旧なんて俺達には無理だったんだ…。瓦礫片付けて、ほりおこして埋めて、片付けて掘り起こして埋めて…いつまでこんなこと続くんだ…?」泣きながら訴える男性をみつめるスタッフ一同には”絶望”の思いで埋め尽くされてしまったのです。 「本当にいつまでこんなことが続くの?みんな限界です…」と問う師長の言葉も、必死でもがいても立ち上がれない現状に、応援の来ない現状に苛立ちの隠せない医局長は「わかりませんよ!僕も!!」と声を大きくしてしまいます。その声にさらに絶望を感じる師長と医局長。 しかも、しん君の体温は3日目を迎えても依然さがる気配がない。磯部さんが皮膚移植はできないのですか?ときくと、「この地震でスキンバンクに移植用の皮膚がなくなった」と悔しそうに河野先生が言います。ここにも襲い掛かる絶望。それでも小島先生は、細菌が体全体に感染していなければ大丈夫であるとし、ガーゼ交換を1日2回に増やし、あくまでもしん君の生命力を信じます。 絶望のふちに立たされた救命センター。和也君は途方にくれます。そばを通りすぎようとする進藤先生に、俺のミスでこんなことになってしまって…」と泣きながら言いました。「どこ行けば良いですか?俺、頭下げてきます。…患者さんを見捨てないでくれって・・・。」その和也君の言葉を聞いている寺泉さん。今まで応援のスタッフを派遣できなかったことを悔やんでいたのでしょう。 「せっかくここまでやってきたのに…小島先生は婚約者をなくし、黒木先生は家族にも会えず、兄貴だってぼろぼろなのに…。いろんなこと乗り越えてきたのに…俺のせいで終わった…。」うつむいて、決して自分のミスではないにしても、責任者として責任を重く感じている和也君。そんな彼に進藤先生は、多くを語りません言いません。ただこれだけは伝えたかった。「俺は…これで終わったとは思っていない…。希望を捨てるな…。」と。 その言葉を聞いた寺泉さんは、突然動き出します…。自分にもやらなければいけないことがあると決意し…。 国会の災害対策本部の会議では海外からの医療チーム受け入れの制限する声があると三上は伝えます。当然、寺泉さんはそのことに反発。現場で全てを目撃している寺泉さんには納得いかなくて当然です。それをすべてぶつける寺泉さんは、いままでずっと起てていた堀内先生に反発します。寺泉さんの必死の思いを「奇麗事」と片付けてしまうお偉いさん。仕方ないという表情でみるお偉いさんたちは「じゃあ視察を・・・」などと悠長なことをいっていたため、さらに寺泉さんはキレます。「のりのきいた作業着を着て、真っ白なヘルメットをかぶり、なんの危険のない道を歩く…そんなことに、そんな視察に何の意味があるんですか!!」と、見事に現代社会の政治家の視察風景をばっさりきっちゃいました、寺泉さん。この発言に賛成です、私。すこし三上も同感の様子でしたが…。「私の出逢った救命救急医たちは命がけで戦っています。今このときも、歯を食いしばって頑張っているんです。」無視され、三上に資料の読み上げを要求する堀内先生。「大至急東都中央病院に応援を…」といっても聞き入れてもらえない。そんな何も生まれない会議に嫌気が差した寺泉さんは、資料を机に投げつけ、会議の途中ながら部屋を出てしまいます。 本当にこの人は変わりましたね。最初は「なんだこいつ…」って感じでしたが、まっすぐな進藤先生や医局長、必死に挑む救命スタッフに触れることで、かわっていったんでしょうね。 その時、救命センターにはひとりの郵便配達員がきます。ボロボロの靴を履いて、バイクを降りた人。なんと西村さんじゃありませんか(笑)普通に笑っちゃいましたよ。しかし救命。またビッグキャストを起用しますね!!「お互い頑張りましょう」と師長に向けた笑顔…素敵でした。 届けられたものは、進藤先生が神戸の新聞社に頼んだものだった。「新聞社にお知り合いでも?」と不思議がる師長に進藤先生はあるものを見せます。そして師長はその”あるもの”を1階のICUの入り口に貼ったのです。 その”あるもの”とは、神戸の10年前と今の同じアングルで撮られた街の写真でした。そう、10年前、阪神淡路大震災で大きな被害を受けた神戸。救命スタッフ達はその復旧の素晴らしさに言葉が出ません。 写真にをじっと見つめるスタッフ達に、神は手を差しのべました。「街は必ず復興します。人間が諦めなければ必ずよみがえる・・・。そのために頑張っている人たちが大勢いるんです。東京を立て直そうとして危険なところで働いている人たちが、大勢いるんです。…俺達がここで諦めたら彼らが傷ついたとき誰が助けるんです。確かに今は応援がくるかどうかわからない厳しい状態です。…でも、俺達は今、こうして立っていられるじゃありませんか…」(ハイ、このセリフ、一言一句間違ってませんよ…ホホホ。) この神の言葉(笑)にスタッフ達の目は輝きを取り戻します。こうして安全に立っていられる…こうして自分の力で立っていられる…そういった意味だったのでしょう。食中毒で倒れていた佐倉さんたちも、何もできないと嘆いていた和也君も、絶望感に襲われていたスタッフもみんな、”希望をすてるな!”ともう一度立ち上がりました。 確かに疲れはピークでした。医局で休んでいた進藤先生と小島先生。仮眠をとろうとした小島先生は、すぐに寝てしまい、話しかけた進藤先生もさすがに疲れているな…と現状を受け入れます。(でも、一緒に休んでる進藤先生。「起こしてやる…」といったはいいですが、あなたは寝なくて大丈夫なんですか!!!…それだけが心配。) そして進藤先生は小島先生を起こします。あの様子だと、「まだ一時間たってませんよぅ」みたいだったなぁ(笑)しかし、進藤先生は「ICUにもどれ!!」と起こします。すると何かを察した小島先生。そうなんです。しん君の容態が好転し、体温が下がったのです。喜ぶ両親。目を開けるしん君。「頑張ったね…頑張ったね・・・」と涙をこらえる松嶋菜々子さんの演技に、また私はやられてましたけどね。(ちなみにしん君の名前の漢字は”信”でした。…信じる、信用の”信”です) そしてずっと頼んでいた、応援のスタッフも寺泉さんの電話で、次の日に派遣してもらえるという事が決まりました。医師6名、看護師17名計23名。「遅くなって申し訳ない…」という寺泉さんの言葉に、「有難うございます、有難うございます」と泣きながらお礼をいう医局長の変わらない低姿勢に本当感動しました。 そしてその後、救命センターには人が溢れていました。応援スタッフも来て、みんなに笑顔が戻ったのです。余裕がでてきたため、章吾君と千尋ちゃんが描いた可愛いイラストを、和也君と青木さんが貼っていました。章吾君も震災で怪我した両親が迎えに来てくれるといいます。貼られていくイラストを見上げながら、最後は本当にそっくりな似顔絵でした。「パパ大好き」千尋ちゃんが描いた寺泉さんの似顔絵でした。 いくら32万人のひとが選挙で投票してくれていても、「たった一人に好きだといわれることがこんなにうれしいとは思わなかった。」と医局長に語る寺泉さん。この人も、震災で自分自身がかわり、家族への思いもかわり、つらいことがたくさんあったけれど、希望を持って、自らの意思を強く持って、生き抜いた人なんですよね。 また、医局長の「逢いたい…逢いたいですよ…」とお嬢さんのなつみちゃんを思う気持ちは、ストレートで感動しちゃいました。このふたりのコンビも本当に素敵でしたよね。寺泉さんにずっとお願いをしていたのは、医局長は”この人ならなんとかしていくれる…”と本当に思ったからなんでしょう。「今度は何を頼まれるかゾッとした」という寺泉さんのコメントには笑っちゃいましたけど(笑) 「政治家・・・辞めないでくださいね。復興には10年かかりますから」「辞めませんよ…ぜったい諦めません。」 震災で失ったものがたくさんあった。でも、得るものもあった。「人間が諦めなければ、街は必ず復興する」という進藤先生の言葉に、希望をもった2人の姿が…ここにありました。 ICUでは信君を見守る進藤先生。そのそばにいく小島先生。小島先生は、あの写真のお陰で勇気を貰った…と言います。その言葉に進藤先生はこういいます。「あれは人間の生命力だ…」と。最後まで信君の生命力を信じぬいた小島先生の姿勢をみて、あの写真を取り寄せようと思ったと。小島先生は、信君が運ばれてきたとき、痛いといって小島先生の腕を思い切り握った信君の力に”生きたい”という思いを感じたと言います。 「俺達はみんな、信君に救われたんだな…」 素敵な笑顔で言う進藤先生に、ともに笑う小島先生。「頑張ろうね、信君。私も…頑張るから…」この震災で最愛の婚約者をなくしてしまった楓先生。その痛みは消して消えることはないけれど、忘れないで、それを力にして頑張ろうと…誓ったのだと思います。だからその誓いを、指輪に投げかけたのではないでしょうか。 ふっと、我に返ったときは横に進藤先生の姿はありませんでした。医局へもどろうと、階段をのぼる進藤先生を見つめる小島先生は、進藤先生の存在の大きさを感じたのかもしれません。(まぁ、恋ではなかったですけどね!) 医局にもどる進藤先生。誰もいない医局で、ひとり自分の席に座り、いままでのことを考えます。1月11日。東京直下の地震が発生してからのすさまじい時間の流れを…。 そんなとき電話が鳴ります。急患だと思いすぐにとる進藤先生ですが、それは国際人道支援師団からでした。気づけば夜中3時ころだった時間は、いつの間にか朝。「東京の様子はいかがですか?」そう聞かれる進藤先生は、こう答えました。朝日に向かって 「希望がみえてきました…(あぁ英語がわからない。誰か教えてください…)」と。 そこから話は2年後の月日が流れたあとになります。東京という大きな街も復興が進み、本当に「希望がみえてきました」。 救命センターでは真っ白な医療服に身を包んだ人と、青の術着に白のパンツ、そして黒の靴を履いた人が歩いていました。そう、国家試験を突破し見事研修医として舞い戻ってきた問題児だった和也君と、研修医から一人前になった河野先生がいました。「ちゃんとみんなに挨拶するんだぞ!」そういって救命センターに入った2人は、ともに震災を乗り越えてきた仲間を嬉しそうに出迎えてくれました。「よく国家試験通ったな、研修医!」と、また研修医と呼べる人ができて嬉しそうだった日比谷先生の笑顔に感動♪いらっしゃい、と迎えた楓先生は、今度は和也君の指導医になります。一緒に震災を乗り越えた磯部さんも、救命で働いていて、思わぬ再会に一同の笑みは満開でした。 「兄貴だからって口出しするんじゃないぞ」といった日比谷先生の優しさ溢れるコメントもよかった。本当、この人もこの震災で、そして進藤先生のまっすぐさに触れて、かわった人ですよね。 そしてICUの入り口にはまだ貼られていました、あの写真が。「あの震災からこれまで、ここは24時間高度救命救急で在り続けた…。それは私たちの誇りです…。」と誇らしげに語る医局長の顔もなんだかのびのびとしていて、素敵でした。でも、あの写真が進藤先生の形見みたいでなぁ〜(笑)そして進藤先生を思い「どこにいらっしゃるんですかね」と、”いらっしゃる”といった素晴らしい敬語を遣っていた和也君の成長にさりげなく感動しました。「どこかの国で患者さんを診ていることは…間違いないでしょう」という医局長の言葉の後に、頑張っている進藤先生の映像が流れてくれたらよかったのになぁ、って思いました(思い残り…笑)。あくまでも進藤先生命!!ですから。 あの章吾君と千尋ちゃんが描いたイラストは、寺泉さん寄贈により、綺麗な額にかざられ、震災直後を懐かしんでいました。たくさんの人が辛く苦しい日々を送っていたけれど、今はそれぞれの人生を送っている…、そういったことも考える事ができました。本当、やじさん、きたさんとかどうしてるんかなぁ。 そして「よろしくぅ〜」といって手を差し出した楓先生が、和也君の手を強く握り締めるおちゃめさん的感じがとても嬉しかったです。 章吾君と千尋ちゃんが描いたイラストの真ん中には、我らが進藤先生がいました。一瞬で「似てる〜」て叫んじゃいました。上手いよ、千尋ちゃん。 さりげなく映った進藤先生の回想シーンにまた、ないた私。ここでも、できれば今頑張っている進藤先生の映像が欲しかったですが、まぁ良いです☆ 本当にこの震災で、この東都中央病院救命救急センター内のスタッフの様子さえ変わりました。信頼が深まり、絆は強くなり…。もう、この救命センターが崩れてしまうことはないでしょうね。それもこれも、あの神様のお陰なんですよね!!大好きです、進藤先生。 つうかこれで【救命病棟24時】おわらないで〜。シリーズ4、5…永遠にやってぇ〜。 |
最終回をえがいたこの文章。最後まで読んでくださって有難うございました。
なんと、数えたら1万字近く在りました(笑)所要時間は3時間。本当にこんな乱文読んでくださってありがとうございました。