ダビデの星と十字架 (この不思議なマークの意味するもの) |
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「ダビデの星の中に、桜の花びらで形どった十字架が組み合わせされた、 この世にも不思議なマークは、何を意味するのか」との質問を、 わたしはしばしばユダヤ人よりうけるのである。 この世にも不思議なマークの考案者(デザイナー)であるわたしは、 その質問に答える責任を痛感し、ここに回答する次第である。 |
「それは、日本クリスチャン・平和の友の会のシンボル・マークである」と、まず答えるものである。 シンボルは、重大な意味を一見してわかるように外部に表示する役割をもつものであることは、申すまでもないことである。 つまり、それはわたし達の思想の表現であり、使命の表示にほかならないのである。 |
ダビデの星と十字架のマークは、 不幸にして過去永い世紀にわたり、ユダヤ教とキリスト教とを区別するためのシンボル・マークとして使用されてきたのであった。 この両者の間には強い対立があり、この両者の間にある深い淵(ふち)は、何者をもってしても永遠にうずめることのできない深淵と考えられてきたのであった。 |
たとえ今日までそうであったとしても、今後も永遠にそうであると考えるなら、 それはイスラエルの聖なる神の全能性も、 神の啓示そのものである聖書のことばをも、 信じ得ない不信の徒との刻印を押されることとなるであろう。 |
イスラエルの偉大な預言者たちは、 神より啓示を受け、 終末時代に起こるべきすばらしいアドナイのみ業を、 はるかに予見し、声を大にして叫んでいるのである。 |
「終りの日に次のことが起こる。 主の家の山は、 もろもろの山のかしらとして堅く立ち、 もろもろの峰よりも高くそびえ、 すべて国はこれに流れてき、 多くの民は来て言う、 『さあ、われわれは主の山に登り、 ヤコブの神の家へ行こう。 彼はその道をわれわれに教えられる、 われわれはその道に歩もう』と。 律法はシオンから出、 主の言葉はエルサレムから出るからである。」(イザヤ書2・2〜3、ミカ書4・1〜2) |
「主は言われる、シオンの娘よ、喜び歌え。 わたしが来て、あなたの中に住むからである。 その日には、多くの国民が主に連なって、 わたしの民となる。 わたしはあなたの中に住む。 ・・・・・・・・・・・・・・・・ 主は聖地で、ユダを自分の分として取り、 エルサレムを再び選ばれる。」(ゼカリヤ2・14〜16) |
「多くの民および強い国民はエルサレムに来て、 万軍の主を求め、主の恵を請う。 万軍の主は、こう仰せられる、 その日には、 もろもろの国ことばの民の中から十人の者が、 ひとりのユダヤ人の衣のすそをつかまえて、 『あなたがたと一緒に行こう。 神があなたがたと共にいますことを聞いたから』と言う。」(ゼカリヤ8・22〜23) |
イスラエル民族が、この終末時代に、ついに神との出会いを体験し、 聖なる民と変容されるとき、 全世界人類に対して、 生ける真の神、唯一絶対の真のメシヤを啓示する、しるしの民となるのである。 そのとき、諸国民は、この聖なる民との出会いを通して、 真の神を認識するに至るのである。 主ご自身がこれを語り、聖書がそれを啓示しているのである。 |
わたしはここに、ひとりのすばらしい証人を紹介いたしたい。 彼の名は RON REDLICH君である。 彼は熱烈なユダヤ教徒であり、空軍将校である。 わたしは最近、彼より極めて感動的な手紙を受け取ったのである。 その一節をここに紹介いたしたい。 |
「イスラエル民族の未来のために、 熱心に祈っているクリスチャンのグループが、 日本の京都にいるということを、 イスラエルの著名なジャーナリストであるバシャン氏が、 アハロノット氏に記した記事を読み、 私は大いに感動し、どうしても自分で行って、確かめてみたいという願いから、 世界一周旅行を敢行したのであった。 |
今、ついにわたしはその目的を達成し、さらに大きな感動をもって叫ぶものである。 そのグループの人達にわたしは出会ったのであると。 わたしは、この人達こそ、世界にやがて起ころうとする変化、 人類全世界に真の平和をもたらすための変化、 そして、ユダヤ民族の使命を全世界が認め始めたという変化の、 生きたすばらしい証拠であると信ずることができたのである。 |
やがて近い将来、イスラエル民族はメシヤ的使命を帯びて、 世界に道徳的律法と正義を樹立するために、立ちあがるであろうと信ずるものである。 |
イスラエルを心底より愛して、 あんなにも熱烈に預言の成就を祈っているグループの方々への、 わたしの愛には制限がない。 わたしは京都で記念にいただいた、 小さいダビデの星の中に花の十字架が組み合わせられた、 平和の友の会のバッジを、いつも大切に記念のしるしとして身につけている。 |
わたしにとって、これは、全世界にある宗教間の、将来の調和と一致、 来たらんとする平和を告げ示す、時のしるしであると確信するものである。 これこそは、イザヤが預言した第六十章三〜四節のみことばの実現の始まりであると見るのである。 |
『もろもろの国は、あなたの光に来、 もろもろの王(指導者)は、のぼるあなたの輝きに来る。 あなたの目をあげて見まわせ、 彼らはみな集まってあなたに来る。』 |
異邦人であり、キリスト教徒である、日本クリスチャン・平和の友の会のメンバー五千人が、すでにそれを認めているという現実こそは、 イザヤの預言がすでに成就し始めたのであり、 メシヤ時代の始まりが、まさに近いと確信する理由なのである。 敬愛するメンバーの諸氏が、一日も早く聖地に来られることを、イェルシャライムにおいて再開し得るときの、一刻も早からん事を切望する次第である。 シャローム。 あなたがたの親しき友 RON REDLICH」 |
最後にわたしは、ホセア書三章五節の預言をもって、このメッセージを結びたいと思う。 |
「そしてその後イスラエルの子らは帰って来て、 その神、主と、その王ダビデ(メシヤ)とをたずね求め、 終りの日におののいて、 主とその恵に向かって来る。」 |
人類を超越し、宗教を超越し、世界の平和と人類の祝福とのために、 神ご自身を求め、平和の君であらせられるメシヤご自身を求めよう。 マゲン・ダヴィドそのものが象徴しているところの、メシヤご自身を熱烈に求めよう。 それこそは、完全なユダヤ教徒の、 また完全なキリスト教徒の、信仰の目標であるからである。 「アーメン、メシヤよ速やかに来たりませ!」 |