~聖なる道~



第28日 いつも共にいる
「見よ、わたしは世の終り(完成)まで、いつもあなたがたと共にいるのである。」(マタイ28・20)
主イエス・キリストより命ぜられた、
全世界の福音化という偉大な使命(マタイ28・18~20)を、
いかにしてなし遂(と)げるか、
いつの時代にもこのテ-マが取りあげられ、様々な方法手段が採用された。
それに対する聖書の解答は使徒行伝である。
一人の人が生ける復活のキリストと出会い、
聖霊に充満され、
自分自身のうちにキリストの現存を見いだし、
いつもキリストと共なる霊的生活、
キリストとの一致、
キリストのいのちそのものに生きるとき、
どれ程偉大なことをなし得るか、
エルサレムからロ-マまで、いかに迅速(じんそく)に福音化し得たかを示しているのである。
その偉大な力の秘密とは何かを、使徒パウロ自身に聞くこととしよう。
「わたしは、・・・・・・使徒たちの中でいちばん小さい者である。
・・・・・・しかし、神の恵みによって、わたしは今日あるを得ているのである。
そして、わたしに賜った神の恵みはむだにならず、
むしろ、わたしは彼らの中のだれよりも多く働いてきた。
しかしそれは、わたし自身ではなく、
わたしと共にあった神の恵みである」(コリントの信徒への手紙一15・9~10)
と言っているのである。
神こそは彼のすべてのすべて、神が共におられる、それで十分なのである。
真実神と全く一致している者においては、すべてが可能なのである。
すべての使徒が、パウロのように、
神に生き福音に生きるなら、
福音は世界を征服することができるのである。
全世界の福音化は、この聖なる道以外に絶対にあり得ないのである。
初代教会時代のすべての使徒達は、
キリストの現存を、
うちに鮮烈に意識し、
その意識によって、わたしはもうひとりのキリストとの自覚を持ち、
それゆえ、わたしの生活はキリストの地上生涯の再現・延長である、
との確信に生き、大胆に行動したのである。
使徒行伝におけるリバイバルを解明する鍵がここにある。
「キリストがすべて。」(コロサイの信徒への手紙3・11)
「見よ、わたしは世の終り(完成)まで、いつもあなたがたと共にいるのである。」
キリストの現存を再発見し、
わたしはもうひとりのキリストとの鮮烈な確信、
しかしてわたしにあって生き行為するものはキリスト、
との不動の確信のもとに行動するとき、
間違いなく「キリスト者はキリストのごとく」、
「教会は使徒行伝のごとく」との大理想をみごとに再現するにいたるであろう。
現代の使徒達が、初代教会時代の使徒達の自覚に目覚めるとき、
この終末時代をすべくくる大リバイバルの黎明を、まことに呼びさますに至るであろう。
「神よ、わが心は定まりました。
 ・・・・・・・・・・・・・・
わが魂よ、さめよ。
立琴よ、琴よ、さめよ。
わたしはしののめを呼びさまします。」(詩篇108・1~3)