第13日 豊かなあがない |
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「イスラエルよ、主によって望みをいだけ。 主には、いつくしみがあり、 また豊かなあがないがあるからです。」(詩篇130・7) |
「わたしがきたのは、羊に命を得させ、豊かに得させるためである。」(詩篇130・7~8) |
もしだれかが、「わたしが聖人になる・・・・・それは美しい手のとどかぬ高嶺の花。 神に用いられるリバイバリスト・・・・それもまた絵にかいた餅(もち)。 終末時代の残りの者である、十四万四千人のイスラエルに、 生ける神の印を押す東方の御使い・・・・・ それこそ夢のまた夢」と譫言(うわごと)を言い、 深い嘆息をもらしている人があるとするなら、 その人こそ、 キリストの豊かなあがないを、 不信仰によって極めて小さく評価しているのである。 |
餓死寸前の放蕩息子(ほうとうむすこ)が、父に立ち帰り受けしものは決してすくなくはない。 父の接吻(せっぷん)、 最上の着物、 指輪、 はきもの、 肥(こ)えた子牛、 生き返り、 ああ、なんと豊かなあがないであろう。 その一つ一つを手にとって味わい知る必要がある。 |
父の接吻・・・・・ 聖霊によって、 神の愛が、わたしたちの心に豊かに注がれることである。(ロ-マの信徒への手紙5・5) |
指輪・・・・・ キリストと一体とされ、 すべての契約にかかわりをもつ、 神の世嗣(よつぎ)とされたことを示している。 それはまた、生ける神の印を与えられたことでもある。 |
はきもの・・・・・ 罪の奴隷(どれい)の生涯から開放され、 神の子の特権にあずかり、 さらに平和の福音の宣教者とされしことをあらわしている(エフェソの信徒への手紙6・15) |
肥えた子牛・・・・・を食することは、 過越の小羊であるキリストご自身を排食し、 キリストの命に生きるものとされたことを示しているのである。 |
生き返り・・・・・とは、 「わたしはよみがえりであり命である」(ヨハネ11・25)、 キリストのいのちを豊かに受けて、死より命に復活せしことをあらわしているのである。 |
「このように、あなたがた自身も、罪に対して死んだ者であり、 キリスト・イエスにあって 神に生きている者であることを、認むべきである。」(ロ-マの信徒への手紙6・11) 実に神の賜物は、われわれの主キリスト・イエスとの一致による永遠のいのちである。 |
野生の野バラを掘り出し、その台木にアンネのバラを接木(つぎき)し、みごとにそれに成功することができた。 今そこに咲いているのは、貧弱な野バラの花ではない。間違いなくあの美しい香り高い、アンネのバラそのものである。 わたしの庭に咲き香っているアンネのバラは、今やテレビ、新聞、雑誌によって報道され、全日本の愛好家たちの、羨望(せんぼう)の的(まと)となっている。 |
「それゆえ、もしだれかがキリストにつぎ木されるなら、 その人は一つの新しい創造なのです。」(コリントの信徒への手紙二5・17、詳訳) 聖人となることは夢ではない。 |