~聖なる道~



「御霊も花嫁も共に言った、『きたりませ。』
これらのことをあかしするかたが仰せになる、
『しかり、わたしはすぐに来る。』
アァメン、主イエスよ、きたりませ。」(ヨハネの黙示録22・17、20)
旧約時代のすべての義人達の憧(あこが)れ、
切なる祈りは、
この悲惨極まる地上に、救いと平和をもたらす、メシヤの来臨を促進し、
「荒野に主の道を備え、
さばくに、われわれの神のために、大路をまっすぐにし」(イザヤ書40・3)、
メシヤを現実的に迎えることに集中されたのである。
「天よ、上より水を注げ、
雲は義(キリスト)を降らせよ。
地は開けて救(主)を生じ、また義をも、生えさせよ。」(イザヤ書45・8)
それはあたかも、旱(かん)天に慈雨を祈り求めるが如くであった。
かくして、ついに待望のメシヤを地上に迎えたのである。
「聖霊があなたがたにくだる時、
あなたがたは力を受けて、・・・・・・わたしの証人となる。」(使徒言行録1・8)
キリスト時代の弟子達、わけてもキリスト昇天直後の弟子達の祈りは、
「聖霊きたり給え」、この一点に集注されていた。
聖霊の降臨、預言者達の口を通して、神より約束されていた聖霊の傾注、
キリストご自身のみ口をもって約束されし聖霊の降臨(ルカ24・49)
「彼らはみな、婦人たち、特にイエスの母マリヤ、およびイエスの兄弟たちと共に、
心を合わせて、
(『聖霊来たり給え!』と)ひたすら祈りをしていた」(使徒言行録1・14)のであった。
ついにペンテコステの日がきて、
120名の弟子達が祈っていると、
聖霊がくだり、
炎のようなものが現れ、
ひとりびとりの上にとどまり、
一同は聖霊に満たされ、
彼らはエルサレムからロ-マまで、福音によって世界を征服するに至ったのである。
終末時代に臨めるわたしたちの使命は何か、それを明確にする必要がある。
わたしたち異邦人がこの終末時代に聖霊を受け、
生ける神の印(御名の印)を与えられたのは、
残りの者であるイスラエルの民、
14万4千人のものに、
神の印を押し、
教会(エクレシャ)において予定されている永遠のいのちの数を満たし、
花嫁なる教会を完成し、
教会の花婿であるキリストご自身の、
栄光の顕現(再臨)を促進し、ついに実現し、迎え奉(まつ)ることである。
旧約時代の義人・・・・・・・メシヤの降誕
キリスト時代の弟子・・・・聖霊の降誕
終末時代の聖徒・・・・・・栄光のメシヤの再臨
以上が各時代における預言者、使徒、聖徒に与えられし使命である。
「御霊も花嫁も共に言った『きたりませ。』」
「アァメン、主イエスよ、きたりませ。」