「わたしを見た者は、父を見たのである」(ヨハネ14・9)とキリストは言われた。
彼は真実そう言うことのできる、ただひとりのお方であった。
「使徒はもうひとりのキリスト」と言われるのであれば、
「わたしを見た者はキリストを見たのである」と言い得る存在であるべきである。
「わたしがあなたがたに話している言葉は、自分から話しているのではない。
キリストがわたしのうちにおられて、
みわざをなさっているのである」(ヨハネ14・10参照)と言い得る存在となるためには、
どうしてもキリストに変容されていなければならない。