~聖なる道~



第7日 わたしの証人
「聖霊があなたがたにくだる時、
あなたがたは力を受けて、
エルサレム、ユダヤとサマリヤの全土、さらに地のはてまで、
わたしの証人となる。」(使徒言行録1・8)
使徒行伝は、エルサレムからロ-マまでの輝かしい福音の行進、
福音による世界征服のすばらしい記録である。
注目すべきことは、聖霊ということばが、41回もしるされていることである。
それゆえ、一名聖霊行伝とも言われるゆえんがここにある。
たしかに使徒行伝は、かしらなるキリスト(のみ霊)と、
からだなる教会(使徒達)との共同事業に他ならない。
福音によって使徒達は、旧(ふる)き時代の流れに終止符を打ち、
全く新鮮ないのちの流れの、新時代を到来せしめたのである。
かくして世界を刷新したのである。
しかるに終末時代と言われるこの時代に、
久しくリバイバルを見ないのはどうしたことであろうか。
それにはそれなりの理由が存在するのである。
試みに、現代キリスト教界より出版されている出版書を見るとき、
聖霊という文字に、
神学という文字が取って替わっているという事実である。
もし真に終末時代のリバイバルを望むなら、
神学は聖霊に王座をゆずるべきである。
聖霊に替わるべきものは何もない。
使途行伝の再現を欲するなら、聖霊が、すべてのものの上に崇められるべきである。
もしあなたの使徒職において、
リバイバルを望むなら、一回のメッセ-ジに、
聖霊ということばを、41回語ってみることである。
「聖霊があなたがたにくだる時、
あなたがたは力を受けて、・・・・・・わたしの証人となる。」(使徒言行録1・8)
「また、舌のようなものが、炎のように分かれて現れ、ひとりびとりの上にとどまった。
すると、一同は聖霊に満たされ、
御霊が語らせるままに・・・・・語り出した。」(使徒言行録2・3~4)
「神がこう仰せになる。
終りの時には、わたしの霊をすべての人に注ごう。」(使徒言行録2・17)
「『主よ、・・・・僕(しもべ)たちに、思い切って大胆にみ言葉を語らせて下さい。
そして・・・・・イエスの名によって、しるしと奇跡とを行わせて下さい。』
彼らが祈り終えると、その集まっていた場所がゆれ動き、
一同は聖霊に満たされて、
大胆に神の言を語り出した。」(使徒言行録4・30~31)
「みんなが聖霊を受けるようにと、彼らのために祈った。
・・・・・そこで、ふたりが手を彼らの上においたところ、
彼らは聖霊を受けた。」(使徒言行録8・15、17)
「彼は聖霊と信仰とに満ちた立派な人であったからである。
こうして主に加わる人々が、大勢になった。」(使徒言行録11・24)
徹頭徹尾(てっとうてつび)聖霊である。
人間が、神学が、
聖霊に席をゆずり、
聖霊が崇められ、
聖霊ご自身をして一切をなさしめ奉ること、
自我独尊大将軍が、栄光の王なるキリストに大政奉還(たいせいほうかん)し、
恐懼謹慎(きょうくきんしん)、
黙想祈祷することである。
今は聖霊時代である。
「見よ、わたしは新しい事をなす。
俄然(がぜん)それは起こる。」(イザヤ43・19)