~言泉集~



東方の星
「そのとき、弟子たちがイエスのもとにきて言った、
『いったい、天国ではだれがいちばん偉いのですか。』
すると、イエスは幼子を呼び寄せ、彼らのまん中に立たせて言われた、
『よく聞きなさい。
心をいれかえて幼子のようにならなければ、
天国にははいることはできないであろう。
この幼子のように自分を低くする者が、天国でいちばん偉いのである。』」(マタイ18・1~4)

キリストご自身にとって、
天国における最大の宝は、
天真らんまんにして、汚れなき宝石のごとく、
キリストをみごとに反映する子供達であることを示されし、重要な意味を持つみことばである。
「あなたがたは、これらの小さい者のひとりをも軽んじないように、気をつけなさい。
あなたがたに言うが、彼らの御使たちは天にあって、
天にいますわたしの父のみ顔をいつも仰いでいるのである。」(マタイ18・10)
野心をもたない、心の美しい子供達は、純真に、ただ一途(いちず)に、キリストご自身を求める。
心の清い人たちは、さいわいである、
彼らは
神を見る。」(マタイ5・8)
聖霊の豊かな御臨在の中で、
放心・恍惚(こうこつ)状態となった子供達は、
聖なる御名の連祷(れんとう)のうちに、
キリストご自身の顕現(けんげん)に接するのである。
時には、聖母マリヤとの出会いさえも体験するのである。
この神秘的体験は、否定することのできない信憑(しんぴょう)性を持っている。
その第一の理由は、キリストご自身の語られしみことばである。
第二の理由は、その体験時における子供達の恍惚状態、容姿の輝いた変容、感動の涙、その直後の霊的変化等である。
「しかし、祭司長、律法学者たちは、
イエスがなされた不思議なわざを見、
また宮の庭で『ダビデの子に、ホサナ』と叫んでいる子供たちを見て立腹し、
イエスに言った、『あの子たちが何を言っているのか、お聞きですか。』
イエスは彼らに言われた、『そうだ、聞いている。
あなたがたは「幼な子、乳(ち)のみ子たちの口にさんびを備えられた」とあるのを読んだことがないのか。』」(マタイ21・15~16)
最近、子供達より寄せられし手紙を紹介したいと思う。
「言は神なり、神がすべての者にあって、すべてとなられる。
僕は、この間高浜教会の聖会に参加しました。
お母様が生まれ住んでおられた高浜に行けて、胸があつくなるほど、うれしかったです。
海はすんできれいでした。僕は思う存分泳ぎました。大変楽しかったです。
でも一番かんしゃだったのは、二日目の夜の聖会でした。
この聖会の目的は、この日本海の向かいのソ連にいる、三百万人のイスラエル人が、早く祖国に帰れるように、また、せまっている患難時代が、ちぢめられるように祈ることでした。
僕はそのことが実現されるようにと、涙を流して一生けん命祈りました。
御名が止まらないほど流出しました。
僕が聖霊を受けたのは、イスラエルの救いのためだと思うと、どうしても大聖人になって、熱心に祈るものとならなければならないと思いました。
この聖会で多くの子供達が聖霊をうけ、大変うれしかったです。
その集会後食べたスイカは格別おいしかったです。」(N・S)
「愛するファ-ザ-
おたん生日おめでとうございます。心からお祝いいたします。
聖イエス会に私のような罪人が導かれ、
とうとい聖霊をいただいたことは、本当に感謝でたまりません。
私は聖霊をうけたことによって、
主の深い愛を知り、主のとうとい御心を知ることができたからです。
でも一つ悲しいことがあるのです。それはほかではありません。
せっかく聖霊を受け、心では本当に聖人になりたいと思いながら、
またしても失敗して罪をおかし、再びイエスさまを十字架にかけることです。
そのために、家族や友人が救われないのだと思うと、悲しくてなりません。
愛するファ-ザ-、どうか罪人なる私のために、とりなし祈って下さい。
『わたしが聖なる者であるから、
あなたがたも聖なる者になるべきである。』(ペテロの手紙一1・16)
どうかこのみことばが、わたしになりますように、どうか聖人になれますようにお祈り下さい。
主のご再臨がせまっていますこのげんしゅくな時、
ファ-ザ-と心を一つにして、
もっと熱心に、わたしもイスラエルの救いを祈りたいです。
イエスさまのご再臨が、すこしでも早められるように祈ることができますように。
『義人の祈りは、大いに力があり、効果のあるものである。』(ヤコブの手紙5・16)
ですからどうしても、わたしは聖人になりたいとあこがれるのです。」(S・T)
「わたしはずっと前から、ファーザーに一度お会いしたいとあこがれていました。
今年(1977年)の年会に出席して、ファーザ-のお説教をはじめて聞き、
その力強さにうたれ、本当に主イエスさまが語っていらっしゃるのだと思いました。
わたしが聖霊を受けていても、聖人になれないのは、
主ご自身をすべてとしていないからだとわかりました。
今のわたしが祈っていることは、イスラエルの救いと、わたしを聖人として下さいということです。
わたしが聖人になるまで
わたしが主をわたしのすべてとするまで
主よ、あなたは 十字架でお苦しみになるのですね。
主よ、ごめんなさい、お許し下さい。
主が、わたしへの愛のために
死んで下さったように
わたしも あなたへの愛のために
死ぬことができますように。
どうかファ-ザ-、お祈り下さい。」(Y・O)
わたしがこの三通の手紙を紹介したのは、
大人が、これを読むことによって、大切なものをくみ取って欲しいからである。
この文面には共通点がある。
すなわち、聖イエス会に啓示された使命を、しっかりと把握していることである。
その使命を達成するためには、
どうしても、もうひとりのキリスト、聖人にならねばならないことを痛感していることである。
子供であっても、「聖霊を受けている以上は、
このいのちにかけても、聖イエス会に与えられた使命を成就しなければならない」との、
固い決意をありありと見ることができる点である。
このように、聖霊を受け、聖霊の支配を受けている数千人の子供達を現実的に与えられている聖イエス会の未来には、大いなる夢があり、希望があり、期待が持てるのである。
この子供達こそ、必ず近い将来において、
主ご自身の右手に握られた東方の
七つの星となり(ヨハネの黙示録1・20)、
生ける
神の印を持って
日の出る方より出現し、
ついに十四万四千人のイスラエル人に聖霊を伝達する使徒となるであろう、
との期待を抱かせてくれるからである(ヨハネの黙示録7・1~4)。
この子供達の賛美をきくとき、この子供達の証を聞くとき、この子供達と共に祈るとき、何とすばらしい御臨在が、聖堂に満ちみつることであろう。
そのとき、わたしは感極まり、子供達ひとりびとりの手を取り、神をほめたたえて老シメオンのごとく叫ばざるをえないのである。
「主よ、今こそ、あなたのみ言葉のとおりに
この僕(しもべ)を安らかに去らせてくださいます、
わたしの目が今あなたの救い、み民イスラエルの救いを
信仰の眼指しをもって見たのですから。」(ルカによる福音書2・29~32参照)
まことにわたしは、この子供達にわたしの夢を託すのである。
この子供達こそ、
必ず、わたしの託した夢をみごとに現実化してくれるであろうと確信するのである。
アンネのバラのステンド・グラス
わたしが初めて新しい聖堂に入ったとき
ステンド・グラスのバラが
私の目にとびこんできた
イスラエルのために祈ってほしいと
アンネが語りかけるように

今日本では、アンネのバラが接木(つぎき)され
次々と美しい花を咲かせている
野バラのようなわたしでも
イエスさまに接木され
アンネのバラにかわるだろう

わたしは新しいそのいのちを
イスラエルの救いのために献げよう
アンネが祈り続けた
平和なメシヤ王国を
この地上に建設するために
メシヤよ
すみやかに来たりたまえ!
この中学二年生の少女の詩も、
啓示されし偉大な使命を、
か弱い少女であったとしても、
どうしても実現しなければならないとの、
やむにやまれぬ真情があふれていて、まことに感動的である。
子供達には、野心も汚れもなく、ただ真実一路、純情率直そのものである。
だれか心打たれぬ者があろうか。
満40年前、満州・奉天でキリストご自身と出会い、
一粒の麦として殉教した重利清子(しげとしきよこ)ちゃん(9歳)が、
不思議な星となり、
わたしを導き、
ついに生けるキリストに出会わせたことによって、
満州にリバイバルが起こり、
聖イエス会が誕生するに至ったことは、疑う余地のないことである。
小さき殉教者・清子ちゃん。
小さい聖人・清子ちゃん。
教会学校生徒の憧(あこがれ)れの星・清子ちゃん。
この清子ちゃんの帰天40周年を記念し、小さい記念堂(名称・清心堂・・・・・・
心の清い人たちはさいわいである、彼らは神を見る。」(マタイ5・8)
子の名よりヒントを得て清心堂とする。
建坪8坪の黙想庵(あん)、復活教会裏の土地に増設)
を建設することは、わたしの責務であると共に、聖イエス会の義務であると痛感する。
それはまた、わが教団の教会学校の発展のためにも、大きなプラスとなるであろう。
「あなたがたは、
これらの小さい者のひとりをも軽んじないように、気をつけなさい。」(マタイ18・10)
児童伝道の重大性と急務を、
わけても、この終末時代においてはいっそう急務であることを、告げてきたのであった。
しかし、いまだに対岸の火災のごとく、このことの重大性を痛感していない人もないわけではない。
わたしの出生地・綾部市白道路(はそうじ)町、「言泉祈之家」真正面にそびえる神浪(こうなみ)山を、東方変電所のあたりより一挑(ちょう)してほしいものである。
終戦直後のことである。
村の先覚者・上原氏が、「国破れて山河あり、長い不幸な戦争のために、すべてを失ったが、ここに山がある。
郷土を復興させるために、立ちあがろう。
あすと言わずきょうから、この山に総出で檜(ひのき)の苗(なえ)を植林しよう。
30年後に、必ず喜ぶ日が到来することを約束する。」
「30年後には、もはやわたしたちは生きてはいない」と、
不平をとなえる村人も中には少数居たが、村人は指導者に従い、山麓(ろく)から頂上まで、苦労にみちた仕事をなしとげたのである。
歳月は流れ、30年。今や全山檜が生(お)い茂り、巨億の資源を持つに至ったのである。
植林に参与した本家の大槻達雄君が、神浪(こうなみ)山を指しながら語ってくれた実話である。わたしは、このすばらしい郷土の物語を聞きつつ、ほほえみを禁じ得なかった。
児童伝道こそは、まさに植林に等しい。
風雪によって折れるものもあり、枯れるものも数多くある。
しかし、育つものは一番多く、立派な柱材も多く育ったのである。
児童伝道に情熱を傾け参与したものは、近い将来、必ず喜びの声をあげて凱旋(がいせん)するであろう(詩篇126・5~6)。
「わたしは、すぐに来る。
あなたの冠がだれにも奪われないように、自分の持っているものを堅く守っていなさい。
勝利を得る者を、わたしの神の聖所における柱にしよう
彼は決して二度と外へ出ることはない。
そして彼の上に、
わたしの神の御名と、
わたしの神の都、すなわち、天とわたしの神のみもとから下ってくる新しいエルサレムの名と、
わたしの新しい名とを、書きつけよう。
耳のある者は、御霊が諸教会に言うことを聞くがよい。」(ヨハネの黙示録3・11~13)