「御使ガブエルが、神からつかわされて、ナザレというガリラヤの町の一処女のもとにきた。
この処女はダビデ家の出であるヨセフという人のいいなづけになっていて、名をマリヤといった。
御使がマリヤのところにきて言った、『恵まれた女よ、おめでとう、主があなたと共におられます。』
この言葉にマリヤはひどく胸騒ぎがして、このあいさつはなんの事であろうかと、思いめぐらしていた。
すると御使が言った、『恐れるな、マリヤよ、あなたは神から恵みをいただいているのです。
見よ、あなたはみごもって男の子を産むでしょう。
その子をイエスと名づけなさい。
彼は大いなる者となり、いと高き者の子と、となえられるでしょう。
そして、主なる神は彼に父ダビデの王座をお与えになり、彼はとこしえにヤコブの家を支配し、その支配は限りなく続くでしょう。』
そこでマリヤは御使いに言った、
『どうして、そんな事があり得ましょうか。わたしにはまだ夫がありませんのに。』
御使いが答えて言った、
『聖霊があなたに臨み、いと高き者の力があなたをおおうでしょう。
それゆえに、生まれ出る子は聖なるものであり、
神の子と、となえられるでしょう。
・・・・・神には、なんでもできないことはありません。』
そこでマリヤが言った、
『わたしは主のはしためです。
お言葉どおりこの身に
成りますように。』」(ルカ1・26〜38)
聖イエス会が聖霊によって誕生して満30年を迎えたとき、
私は直感的にキリストの公生涯が30歳より始められたことを思い起こしたのである。

今年こそは聖イエス会の公生涯の開始、輝かしいリバイバルの年たらしめねばならないと、決意を新たにした次第である。
そのためには、ひとりびとりが聖霊の充満(プレローマ)を体験し、
聖霊の流出する川となる必要がある。
「神のことばを信じたものは幸いである、主の語られたことは必ず成るからである。」
現在見ゆるところがどうであろうとも、マリヤのごとく「成れかし」と信仰をもってこたえよう。
マリヤが神の啓示に対して「成れかし(フィアット)」と答えたことによって、
歴史の流れを変えキリスト時代を到来せしめたのである。
このマリヤの「フィアット」によって旧約時代に終止符がうたれ、
輝かしい新約時代が訪れたのである。
しかし、その背後にヨセフの「成れかし」があったことを忘れてはならない。
この新しい世紀、新約時代、福音時代は、
マリヤの「フィアット」とヨセフの「成れかし」によって開幕されたのである。
沈黙の語らいのうちに、神の啓示を受け入れ、
直ちに行動をもって「成れかし」とヨセフは応答したのであった。
ヨセフはダビデ王の家系であり、ダビデ王の血統を受け継いでいたのみではなく、
信仰においてアブラハムの信仰の保持者であり、
ダビデの信仰の保持者であり、継承者でもあった。
彼はメシヤの来臨のために偉大な使命を与えられたのである。
神はこの貧しくあるが信仰において富めるヨセフを厚く信任されたのである。
神に信任される人こそ、今日最も必要なのである。
ヨセフは、マリヤを信じた。マリヤは聖(きよ)い処女であり、姦淫する女性ではないと。
しかし、彼女がみごもったとき、この現実をどう解釈すべきか、悩まざるを得なかったのである。
天使が出現し、「ダビデの子ヨセフよ」と声をかけたとき、
彼は夢よりさめた人のごとく、事の重大性を直感したのであつた。
なぜなら、ダビデの家系よりメシヤが出現すると約束されていたからである。
「その胎内に宿っているものは聖霊によるのである。
彼女は男の子を産むであろう。
その名をイエスと名づけなさい。
彼は、おのれの民をそのもろもろの罪から救うものとなるからである。」(マタイ1・20〜21)
この天使のことばを聞いたとき、彼は預言者イザヤによって預言されていた、
「見よ、おとめがみごもって男の子を産む。
その名はインマヌエルととなえられる」(イザヤ7・14)を連想し、
ヨセフはメシヤの処女降誕の神秘を信じたのである。
マリヤを別にすれば、まことにヨセフこそ、メシヤの処女降誕を信じた最初の人なのである。
神は世紀の流れを通じて、全き信仰の人、
神のみことばに対して「成れかし」とこたえ得る人を求めておられたのである。
しかしてついに神の期待にこたえ、
「成れかし」と応答する二人の人を見いだされたのであった。
早朝、庭を散歩したとき、庭木の葉にキラキラとダイヤモンドのように輝く露の玉を見てその美にうたれ、しばし魅了さてたのであった。
この露の美しさと輝きは、太陽の顔を受け取り反映しているからにほかならない。
天使ガブリエルは開口一番マリヤに言った、
「恵まれた女よ、おめでとう、主があなたと共におられます」と(ルカ1・28)。
超自然的にして天的なまでのマリヤの美しさは、単に無原罪からきているのではない。
聖寵によるものである。
聖寵の充満(プレローマ)によってマリヤは輝いていたのである。
天使は、聖寵満ちみつる恩寵の傑作である聖処女に出会い、
「神の恵みで充満された処女よ、本当におめでとう。
神の現存があなたと共にあるのだから」と、あいさつしたのである。
いつの時代にも、恩寵の傑作である使徒・聖人のみが真実な意味において
神の大経綸に参与し、神のために偉大なことを成し遂げたのである。
「成れかし」との信仰によって。
マリヤは肉体のイエスを宿す前に、
神の恩寵の充満(プレローマ)を、神の現存の体験をもっていたのである。
マリヤは人類の歴史の中で、後にも先にもない一回きりの偉大な出来事、
ロゴスが人性をとり、メシヤとして降誕されるために、召命を受けたのであった。
何とそれは厳粛な瞬間であったことであろう。
天使はさらに、「マリヤよ、あなたは神から恵みをいただいているのです。
見よ、あなたはみごもって男の子を産むでしょう。
その子をイエスと名づけなさい。」(ルカ1・30〜31)
イザヤがメシヤの処女降誕、インマヌエル預言をしてから、740年の歳月が流れていた。
人類は、世紀の流れを通じて、
聖処女にこの受胎告知が与えられる日を久しく待ち望んでいたのである。
待ちに待ったその日がついに訪れたのである。
今や天も地もすべてのものが、大いなる期待のうちに、
マリヤの返答を待っているのである。
聖ベルナルドが言ったように、「ああ、聖なるおとめよ、ご回答を急いで下さい。
天も地も首を長くして待っているお言葉を、お答え下さい。
早く! 早く! 神様があなたのお返事をお待ちでございます。」
深い静寂が宇宙をつつんでいた。
そこでマリヤが言った、「わたしは主のはしためです。
お言葉どおりこの身に
成りますように。」
静寂の中に「フィアット」とのマリヤの声が、美しい声がひびき渡った。
かくして言(ロゴス)は人間性をとられたのである。
マリヤの比類なき信仰、献身があったればこそ、
神の御計画はみごとに実現・成就したのである。
私は、過去二回ナザレの受胎告知聖堂を訪問し、
マリヤが天使ガブリエルより告知を受けた場所に立った。
そこに記念の祭壇があり、VERBUM CARO FACTUM EST「ここにてみことばは肉体となりたまえり」の文字が刻(きざ)まれている。
熱い感動の涙があふれ落ち、とどめることができなかった。
ひとりの聖処女の「成れかし」によって、
人類の待望久しかったメシヤはついに来たり給うたのである。
神は、メシヤの初降臨において、ひとりの聖処女の協力、
全き献身、「フィアット」の回答を必要とされたのであった。
キリストの再臨、万物の回復、イスラエル民族の救い、人類救済のために、
神はもうひとりのマリヤ、もうひとりのヨセフを求めておられるのである。
万物は深いうめきのうちにあって、あなたの「成れかし」を期待しているのである。
きょう献身を新たにしてこたえよう、「成れかし」と。