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イスラエルの独立30周年を記念し、本日ここにエルサレムの平和を祈る大会をもつことは、極めて意義深いことである。
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「エルサレムのために平安(シャロ−ム)を祈れ」(詩篇122・6)と、
主(アドナイ)ご自身がそれを望み、祈るように求めておられるからである。
それは、エルサレムに平和なくしては、世界に真の平和はなく、
エルサレムの救いなくしては、
人類の救いもないからであると、聖書が啓示しているからである。
それゆえに、エルサレムの平和と、エルサレムの救いは、
イスラエルにとっても、人類にとっても重大問題であるからにほかならない。 |
しかるに今日、エルサレムを持ち上げようとする運動が、
世界的スケールにおいて起ころうとしていることは、すべての人の知るところである。 |
預言者ゼカリヤは、神より啓示を受け、
この終末時代にエルサレムが持ち上げられることを予見し、
エルサレムを持ちあげるものは
みな致命傷を受けると警告しているのである。(ゼカリヤ12・1〜3) |
エルサレムがかかる危機に直面している時、
今なさねばならないことは何か、
その回答を、わたしたちはイザヤ預言62章において見いだし得るのである。 |
「シオンの義が朝日の輝きのようにあらわれいで、
エルサレムの救いが燃えるたいまつの様になる」(イザヤ書62・1)ことなのである。
すなわち、終末時代に約束されていた、
イスラエル民族のうちに信仰復興が起こることにほかならないのである。 |
そのためにこそわたしたちは、
シオンの平和のために、エルサレムの救いのために、
アドナイに向かって熱烈にとう告するようにと、すすめられているのである。 |
預言者イザヤ、エレミヤ、エゼキエル、ゼカリヤも、
終末時代に主(アドナイ)がイスラエル民族をかえりみ、
歴史的前例を見ないすばらしい奇跡的救い、
イスラエル民族の霊的回復をなしとげられると預言しているのである。 |
二節(イザヤ書62・2)に注目いたしたい。
「もろもろの国はあなたの義を見、もろもろの王は皆あなたの栄を見る。
そして、あなたは主の口が定められる新しい名をもってとなえられる。」
このみことば、あきらかに全人類が一見して認めることができるまでに、
イスラエル民族が宗教的に道義的に変容することを示している。 |
イスラエル民族の太祖であるアブラムが、
アブラハムとの新しい名をもってとなえられるようになったのは、
彼の99歳の時のことであった。
アブラムが生ける神との出会いの体験において、
全く新しく生まれ変わり、それを記念してアブラハムとされたのである。 |
「アニー・エル・シャダイ」と御名を啓示され、
生ける全能の神ご自身が彼のうちに宿られることによって変容したその時から、
彼の名はアブラハムととなえられるに至ったのである。(創世記17・1〜5) |
ヤコブもまた同じように、神との出会いを体験したその時、
イスラエルに変容し、
それ以来新しい名をもってとなえられるにいたったのである。 |
彼らは生ける神との出会い、神の御顔を受けとり、
そして、存在そのものをもって生ける神の証人、
神ご自身の栄光を反映する者となったのである。
今日、主がイスラエル民族に求めておられることは、
アブラハムの子孫である選民ひとりびとりが、
神との出会いを体験し、
アブラハムになることであり、イスラエルに変容することにほかならないのである。 |
そのときこそイスラエル民族は、
「主の手にある麗しい冠となり」、「神の手にある王の冠となり」(イザヤ書62・3)、
まことに「聖なる民」となり祭司の民となり、人類にとって祝福の源泉となるのである。 |
そのときイスラエル民族は、四節(イザヤ書62・4)にしるされているごとく、
主ご自身においても「ヘフジバ−−−わが喜ぶところの者」ととなえられる存在となるのである。 |
そのときアドナイは、「あなたをビウラ−−−わが配偶」ととなえられるのである。
これこそは実に愛の頂点であり、感動のクライマックスである。
さらに五節(イザヤ書62・5)を注目いたしたい。
「花婿が花嫁を喜ぶようにあなたの神はあなたを喜ばれる。」
これが喜びのクライマックスでなくしてなんであろう。 |
さらに進んで六節(イザヤ書62・6)を注目いたしたい。
「エルサレムよ、わたしはあなたの城壁の上に見張人をおいて、
昼も夜もたえず、もだすことのないようにしよう。
主に思い出されることを求める者よ、みずから休んではならない。」 |
今日、この時点において、エルサレムにとって最も必要なものは、
エルサレムの平安と、平和の君であるメシヤの来臨を祈る人なのである。
今日、エルサレムをもちあげようとする国家・民族は多くあるが、
エルサレムの平安を祈る人はまことに少ない。 |
モーセのごとく、エステルのごとく、いのちをかけて祈る人こそ必要なのである。 |
最後に、7節(イザヤ書62・7)のみことばをもってわたしはこのメッセージをすべくくりたい。
「主がエルサレムを堅く立てて、
全地に誉を得させられるまで、
お休みにならぬようにせよ。」 |
「エルサレムが堅く立てられ」とは、説明するまでもなく、
平和の君であられるメシヤが歴史の中に介入され、
戦争に終止符をうたれ、永遠の平和を樹立されることである。
その暁(あかつき)において、エルサレムは世界平和のセンタ−となり、
「律法はシオンから出、主の言葉はエルサレムから出る」(イザヤ書2・3)ことを意味しているのである。 |
平和の君であるメシヤの来臨によってのみ、
イスラエルの、全人類の希望が満たされ、
全世界に永遠の平和が確立されるからである。
アーメン、メシヤよ速やかに来たり給え! |