~聖なる道~



第18日 待っている人のように
「腰に帯をしめ、あかりをともしていなさい。
主人が婚宴から帰ってきて戸をたたくとき、
すぐあけてあげようと待っている人のようにしていなさい。
主人が帰ってきたとき、
目を覚ましているのを見られる僕(しもべ)たちは、さいわいである。」(ルカ12・36~37)
キリストの再臨は切迫している。
それは、もはや疑う余地のないものである。
キリストが再臨される直前に、地上に起こると預言されていた、
すべての預言としるしが、ほとんど実現し、出揃(そろ)ったからである。
使徒ペテロが語っているように、
「神の日の到来を熱心に待ち望んでいるあなたがたは、
極力、きよく信心深い行いをしていなければならない。」(ペトロの手紙二3・11~12)
はたしてあなたは、この自覚のもとに、
きよい信心深い行いを営みながら、
キリストの再臨を待っている人のように、準備万端(ばんたん)成り、
一日千秋の思いを込めて、待望生活をしているであろうか。
時は一刻も停滞することなく、厳粛な主の日に向って進行しつつある。
確かにもう時はいくばくもない。
一刻一刻がまさに貴重な時なのである。
再び返ることのないこの貴重な時を、
極力信心深い行いのために、最大限に活用しなければ、
悔いを千歳に残すこととなるであろう。
なぜなら、わたしたちの永遠の運命は、
この地上で到達した霊性に応じて、
天界においてそれに適合する段階に決定されるからである。
わたしたちの成聖を急がねばならない必要性が、実にここにあるのである。
今一つの理由のためにも、時を最大限に利用しなければならない。
義人ノアが、神の啓示に従い、
箱舟を造りながら、
声を大にして宣教にはげんだのは、
洪水の時が予告され、時があまりにも切迫していたからである。
「人の子の現れるのも、ちょうどノアの時のようであろう。」(マタイ24・37)
愛する兄弟姉妹達よ、
あなたの愛する家族は、愛する友は、すでに箱舟の中に入っているであろうか。
「見よ、今は恵の時、見よ、今は救の日である。」(コリントの信徒への手紙二6・2)
救いを保証することのできる時は、今のこの時のみである。
今という恵みの時、今というこの救いの唯一のチャンスを、絶対確実なものとする必要がある。
刻々過ぎ去ってゆくこの瞬間をとらえて、
永遠のいのちを獲得するなら、時を永遠化することができるのである。
瞬間の時を永遠化する、それは何とすばらしいことであろうか。
「腰に帯をしめ」は、身支度(じたく)することを意味する。
「すなわち腰を引きからげ、足にくつをはき、手につえを取って、
急いでそれを食べなければならない。これは主の過越である。」(出エジプト記12・11)
「あかりをともして」「『さあ、花婿(むこ)だ、迎えに出なさい』と呼ぶ声がした。
そのとき、おとめたちはみな起きて、それぞれあかりを整えた。」(マタイ25・6)