~聖なる道~



第14日 心の深みまで新たにされ
「心の深みまで新たにされて、
真の義と聖とをそなえた
神にかたどって造られた新しき人を着るべきである。」(エフェソの信徒への手紙4・23~24)
霊的生活において成功を勝ちとるために、
必要な条件の一つは、自分自身に対して厳格であることである。
自我と妥協することなく、絶対に自己を甘やかさない態度をとることが必要である。
「心の深みまで新たにされ」るためには、
徹底的な自己糾(きゅう)明、自己を深く掘りさげる必要がある。
サマリヤにあるあの有名なヤコブの井戸は、
約四千年前にユダヤ人の太祖ヤコブが、石灰岩の岩盤を三十二メ-トルも掘り抜き、
ついに豊富な地下水に到達したものである。
この井戸水は四千年後の今日も、豊かにたたえられているのである。
「荒野に水がわきいで、
さばくに川が流れるからである。
焼けた砂は池となり、
かわいた地は水の源となる。」(イザヤ35・6~7)
荒野や砂漠のような霊魂が、
神の川となり、水源地となるためには、何をしなければならないかを示す好例である。
すべての聖人達は、
自我とのきびしい闘いを徹底的に敢行(かんこう)し、
自我が死滅するまで、その手をゆるめなかったのである。
自我を粉砕し尽くした時、そのとき聖書に書いてあるとおり、
「その腹から生ける水が川となって流れ出る」(ヨハネ7・38)に至るのである。
自我が全く死滅するまで、自我の岩盤を打ちくだき、
生ける水が湧(わ)きあがり、流出し、ついに川となって流れるのである。
「おおよそこの川の流れる所では、もろもろの動く生きものが皆生き、
また、はなはだ多くの魚がいる。
これはその水がはいると、海の水を清くするためである。
この川の流れる所では、すべてのものが生きている。・・・・・・・・・・・・・・・・・・
これはその水が聖所から流れ出るからである。」(エゼキエル47・9、12)
永遠の命の水の湧きあがるところ、
生ける水の流れるところ、
この川の流れるところでは、
必ずリバイバルが起こり、多くの人が救われるであろう。