~聖なる道~



第12日 あなたの愛は
「どうか、あなたの口の口づけをもって、
わたしに口づけしてください。
あなたの愛はぶどう酒にまさり、
あなたのにおい油はかんばしく、
あなたの名は注がれたにおい油のようです。」(雅歌1・2~3)
この聖なる愛のうたは、
キリストの愛に傷つけられし花嫁が、
キリストの口づけを叫び祈り求むるところである。
愛の最高の表現は口づけであり、
口づけは、愛するものに惜しみなくすべてを与えつくした表現でもある。
神の口づけの神秘、それは聖書にしるすところのものである。
「この時セラビムのひとりが火ばしをもって、
祭壇の上から取った燃えている炭を手に携え、
わたしのところに飛んできて、
わたしの口に触れて言った、
『見よ、これがあなたのくちびるに触れたので、
あなたの悪は除かれ、あなたの罪はゆるされた。』」(イザヤ6・6~7)
聖霊の火によるバプテスマこそ、それである。
「そして主はみ手を伸べて、わたしの口につけ、主はわたしに言われた、
『見よ、
わたしの言葉をあなたの口に入れた
見よ、わたしはきょう、あなたを万民の上と、万国の上に立てた』」(エレミヤ1・9~10)と。
「父は彼をみとめ、哀れに思って走り寄り、
その首をだいて
接吻した。」(ルカによる福音書15・20)
かくのごときが神の口づけであり、
神の最高の愛の表現とは、「
神は愛である
神はそのひとり子を世につかわし、
彼によってわたしたちを(永遠のいのちに)生きるようにして下さった。
それによって、
わたしたちに対する神の愛が明らかにされたのである。」(ヨハネの手紙一4・8~9)
聖霊のバプテスマにおいて賜る、
内住のキリスト、
永遠の生命こそ、神の口づけにほかならない。
神の内的現存を体験せずしては、
人は心の空虚を満たすことはできず、
霊的渇きは解消され得ないのである。
聖霊の火のバプテスマによって、
「御子をわたしのうちに啓示して下さった時」(ガラテヤの信徒への手紙1・16)、
キリストの甘美(かんび)な抱擁愛撫(ほうようあいぶ)に恍惚(こうこつ)となり、
主ご自身をしみじみ味わい楽しむのである。
この愛は最もはげしく、死よりも強いものであり、
全存在を燃焼させずばやまないものである。
この愛のはげしい炎に身を焼かれた者は、
苦しみこそはわたしの願い、
十字架のみを愛し求めます。
一つの魂を救うためにも、
千度の死をも忍びたい!  (小さきテレジヤ)
全世界の福音化という、偉大なビジョンに燃えに燃えて、
殉教をねがいつつ、水火の中をもおそれることなく飛び込み進み行くのである。
「神よ、あなたの誉は、あなたのみ名のように、
地のはてにまで及びます。
あなたの右の手は勝利で満ちています。」(詩篇48・11)