マタイによる福音書 15:21〜28
カナンの女が出てきて、「主よダビデの子よ、わたしを憐れんでください。
娘が悪霊にひどく苦しめられています」と叫んだ。
しかし、イエスは何もお答えにならなかった。
・・・・・・・・・・・・・・そこで、イエスはお答えになった。
「婦人よ、あなたの信仰は立派だ。あなたの願いどおりになるように。」
そのとき、娘の病気はいやされた。
ヨハネによる福音書 15:7
あなたがたがわたしにつながっており、
わたしの言葉があなたがたの内にいつもあるならば、
望むものを何でも願いなさい。
そうすればかなえられる。
雅歌 4:12、15
わたしの妹、花嫁は、閉ざされた園。
閉ざされた園、封じられた泉。
園の泉は命の水を汲むところ
レバノンの山から流れてくる水を。
聖なる道 第4日 わが花嫁は閉じた園
霊的生活の目指すところは、神の現存を楽しむこと、聖霊に充満されること、
しかして自己をキリストに変容することにある。
ダムにおいて固く鉄のドアが閉ざされているのは、流入する水をむなしく流れ過させることなく、
満々と水をたたえるために他ならない。
使徒はもうひとりのキリスト、生ける水なる聖霊に充満された霊的ダムであらねばならない。
ついに、待ちに待った、神の川に水が満ちたのである(詩篇65:10)。
神のダムは放水された。
これぞ聖霊によるリバイバルである。
生ける水なる聖霊の流出、洪水がおこる時、ふしぎとしるし、癒される者、
聖霊を受ける者が続出するのである。
観想生活→キリストの現存の発見→キリストとの一致→聖霊の充満→聖霊の流出、洪水→大リバイバル。
このコースを通ってこそ、待望の大リバイバルに到達するのである。
わが道をゆくのではなく、神の道、この聖なる道をゆくものは幸いである。