民の父アブラハム
始祖アダムから20代目の子孫にあたる「偉大な父(アブラム)」は神の忠実な僕として有名なヘブライ人の族長でした。
旧約聖書の伝える物語によれば、神はその忠誠に報い、彼の子孫に新しい土地で一大国家を築かせることを約束すると共に、「民の父(アブラハム)」という新たな名を与えたとされています。そして、その契約は彼の孫ヤコブの時代に成就しました。ヤコブの12人の息子たちが、それぞれイスラエル12部族の父祖となったのです。
名は体を表す
古代ヘブライ人にとっての名前とは、単なる固有名ではなく、多くの場合はインディアン・ネームなどに近い「その者の存在の仕方」を指すものだったと考えられます。
「偉大な父(アブラム)」が、神によってイスラエル民族の父祖となることが決まった後、「民(数多い者)の父(アブラハム)」という名に改名されたのは前述の通りですが、他にも名前にまつわるエピソードは数多く存在します。
近いところでは、アブラハムの末子であるイサクはヘブライ語で「笑い」という意味を持ち、これは神によって胤<タネ>(つまり家系を継ぐ男子)の誕生が預言された時、すでにアブラハムが100歳、妻のサラが90歳という高齢だったため、二人が「こんな年老いた夫婦にどうやって子供ができるだろう」と笑い飛ばしたことに由来しています。しかし、預言は成就し、二人は別の意味で笑いが止まらなくなったことでしょう。
また、そのイサクの次男ヤコブの名は「かかとを捉える者」。出生時、先に産まれた双子の兄エサウのかかとを掴んでいたことからこの名が付けられました。実は、この名前には「年長の者を越え、従える存在になる」という預言的暗喩が込められています。
次男ヤコブはどうやって家を継いだのか
アブラハムの孫で、後に13人もの子供に恵まれ、イスラエルの族長たちの父となったヤコブ。彼にはエサウという双子の兄がおり、れっきとした次男です。長子が家を継ぐことを伝統とするヘブライ人の社会で、いかにして次男のヤコブが一大部族の父となる権利を得たのでしょうか。
エサウ、ヤコブという双子の誕生に際し、両親は神から「年上の者が年下の者に仕えるようになるだろう」と預言を受けていました。そして、二人が成長したある日のこと‥‥。
兄エサウが狩りから帰ってきました。へとへとに疲れてお腹はペコペコ。そんな兄を見て、賢いヤコブはすかさず用意していた煮物を差し出しました。そして、それを食べさせる交換条件として、長子の権利を譲ってくれないかと持ちかけたのです。心底お腹が減っていたエサウは、目の前に差し出されたおいしそうな煮物の誘惑に耐えきれず、気もそぞろに二つ返事でOKしてしまいましたとさ。
なんと、こんなことでエサウは長子でありながら家を継ぐ資格をあっさり失い、代わりに次男ヤコブが、神の契約を継ぐ者として後のイスラエル12部族の父となったのでした。あれあれ。
なんだかずるい気もしますが、いくら腹減りだからといって煮物につられて長子権を売ってしまうような軽薄な人間に大事な契約は継がせられないよ、というのが神の本音だったようです。
ヤコブの子孫が「イスラエル人」なわけ
イスラエルとは、ヘブライ語で「神と戦う者」の意。
普通なら父の名をとって「ヤコブ人」だとかなりそうなもんですが、それが「イスラエル人」となったのにはちょっとしたわけがあります。いや、ヤコブってのは並々ならぬ「漢」なのですよ。
ある日、一族を連れて旅をしていたヤコブは、突然天使(が顕在化した男)と出会いました。これがRPGなら、何かすごいアイテムをもらうとか、旅に役立つアドバイスを受けるとかしそうなところですが、なぜか、本当になぜか、ヤコブはこの男と取っ組みあいの格闘を繰り広げました。それも夜通しで。
意味不明です。そもそもの出来が違う天使を相手に肉弾戦を挑む感覚が、とても普通ではありません。よほど我慢ならないことでも言われたのでしょうか。それともヤコブがただ○○だったのか。誰もが疑問に思うその理由は、聖書中にも言明されていないので不明です。
しかも、彼のすごさはそれだけでは終わりません。いつまでもいつまでもしつこく絡んでくるヤコブを相手に、なんと天使はついに「自分が優勢でないのを見て(創世記32章25節)」彼の股関節を外し、やっとのことで振りほどくのです。
「まだ、まだだ‥‥。僕はどうしても勝たなくちゃいけないんだぁっ!」ってのび太ですかあなたは。いやぁ、人間あきらめなければ何でも出来るものですね。天使相手に体力勝負で勝つとは尋常ではありません。しかも動機がわからないし。
ともかく、さしもの天使もヤコブのど根性ぶりには恐れ入ったようで、畏敬の意をこめて彼に「神と戦う者(イスラエル)」という新たな名前を与えたのでした。‥‥クラスチェンジのイベントだったのでしょうか?
そんなわけで、彼の子孫は誉れ高き「イスラエル人」となりました。
ちなみに、このイベントの舞台となった場所は、彼が「顔と顔を合わせて神(の使い)を見たのに、祝福された」ことを記念して、「神の顔(ペヌエル)」と名付けられました。
しかし、天使の方もさすがに負けっ放しでは気が済まなかったのか、彼がその功績を鼻にかけることがないよう、外した股関節を治療することなく、片足を一生不自由なままにさせたということです。
※このエピソード、真面目に読もうとすれば「ヤコブが自分の弱さを克服するための精神的な戦い(祈り)だった」という解釈も可能です。真実は著者と本人にしかわかりませんが、ちなみにこの後ヤコブは、長子権を得るためにこすっからいことをして以来避けがちだった兄エサウとの和解に向かいます。ま、どっちにしろクラスチェンジしたのは間違いないようで。
※筆者は「その道」のプロではありませんので、どこかに思い違いもあるかもしれません。興味を持たれた方はぜひご自身でお調べください。決して鵜呑みにはしないことをおすすめします。
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