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@「『この儀式はどんな意味ですか』と問うならば、あなたがたは言いなさい、『これは主の過越の犠牲である。
・ エジプトびとを撃たれたとき、エジプトにいたイスラエルの人々の家を過ぎ越して、われわれの家を救われたのである。』」(出エジプト記12・26〜27)
A聖なる預言者たちの口を通して語られていた約束されしメシヤ(ルカによる福音書1・70)を、選民は今や熱烈に待ち望んでいた。
Bおりしも神からつかわされた、メシヤの先駆者としての使命を受けし洗者ヨハネの声が、荒野にひびき渡った。
・ 「主の道を備えよ、
・ その道筋をまっすぐにせよ。
・ 悔い改めよ、天国は近づいた」と(マルコ1・3、マタイ3・2)
・ その声はあたかも天雷の如く、獅子吼(ししく)のごとく、人々の心を畏縮(いしゅく)せしめた。
Cその迫力、権威、風格に圧倒されし群衆は、彼のもとに列をなしてむらがり集い、自分の罪を告白し、ヨルダン川で洗者ヨハネより水のバプテスマを受けた(マルコ1・5)。
・ その中の多くのユダヤ人達は、彼こそ待ち望みしメシヤではないかと信じたほど、
・ 洗者ヨハネは彼らの目に、メシヤの如く写ったのであった。
Dしかし、彼自身は「わたしよりも力のあるかたが、あとからおいでになる。
・ わたしはかがんで、そのくつのひもを解く値打ちもない。
・ わたしは水でバプテスマを授けたが、
・ このかたは、聖霊によってバプテスマをお授けになる」(マルコ1・7〜8)と叫んで言った。 |
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@洗者ヨハネは自分とメシヤとの差、自分の使命とメシヤの使命との差をよく知っていた。
・ 自分は地より出たもの、彼は天よりのもの、
・ 自分が授けているのは、罪のゆるしを得させる、悔い改めのバプテスマに過ぎないが、
・ 彼のものは聖霊によるバプテスマ、神の性質に参与せしめ、人間を根本から聖化するものである。
A両者のバプテスマには天地の差がある。
・ 人間を本質的に新生せしめ神の子とするのは後者である。
・ アダムの子らは、聖霊のバプテスマの浸透によらずしては、原罪より解放されず、聖化・神化もまたあり得ないのである。
Bバプテスマのヨハネのバプテスマと、キリストによる聖霊のバプテスマとは、
・ 旧約と新約の相違、
・ ヨハネのものは肉の割礼を象徴し、
・ キリストのものは心に割礼を与えるものであるからである。
C女の生みし者の中にて、最も偉大な人物、洗者ヨハネにおいてすらこの奉仕あるのみ、
・ しかるに新約の使徒職においては、いと小さき者さえも、
・ 天国においては彼よりも偉大であるとは、ただ感嘆の他はない。
・ なぜそうなのであろうか。
・ 「神はわたしたちに力を与えて、新しい契約に仕える者とされた」(コリントの信徒への手紙二3・6)からに他ならない。
D「神の霊の伝達、すなわち、人々に聖霊を得させ、人々を聖霊に支配されたものにすることを使命としたこの霊的奉仕には、もっと偉大なもっと輝かしい栄光が伴っている」(コリントの信徒への手紙二3・8、詳訳)からである。
・ 新約の使徒職においては、ヨハネのものなる水のバプテスマと、
・ キリストのものなる聖霊のバプテスマ、
・ この二つのバプテスマを与え得るからである。
・ 新約の使徒、それはもうひとりのキリストを意味している。
Eさて、テ−マをもとに返そう。洗者ヨハネは実におびただしい群衆に取り囲まれていた。
・ 彼は突如自分の方に歩み来つつあるひとりの方を指し示し、
・ 「見よ、世の罪を取り除く神の小羊」と叫んだ。
・ 群衆の視線は指し示した方に集注された。 |
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@先駆者の宣言は、全くユダヤ人の意表をつくものであった。
・ 彼らの多くはその意味を理解し得なかった。
・ なぜなら当時のユダヤ人のメシヤ・イメ−ジには、世の罪を取り除く神の小羊のイメ−ジは、ほとんど消え失せていたからである。
Aもし先駆者が「見よ、ユダの獅子なるダビデの子、ユダヤ人の王」と叫んだなら、
・ 彼らは間違いなく、「ダビデの子にホサナ! ユダヤ人の王万歳!」と熱狂的歓呼をもって彼を迎え入れたであろう。
B永い世紀にわたり、異邦人より圧政支配を受け、その暴虐に苦しみ抜いてきた選民にとり、メシヤ・イメ−ジは次第次第に変化ぜざるを得なかった。
・ 彼らが待望するメシヤは、モ−セよりも偉大な解放者、英雄、王、ロ−マ支配から解放するところの、ユダの獅子であらねばならなかった。
C聖書が啓示するメシヤ・イメ−ジの中に、それは確かにある。
・ しかしそれはメシヤの一つの面であり、メシヤにはもう一つの面、神の小羊の面がある。
・ この小羊なるメシヤ、苦難の僕(しもべ)なるメシヤの面こそ、栄光のメシヤなるユダの獅子の面に先行すべきであった(ルカ24・26)。
D鋭い霊的洞察力を持つ洗者ヨハネは、当然のことながら、順序を正して、今群衆の面前に「神の小羊」なるメシヤを指し示したのである。
・ さすがに彼は偉大な人物であった。
Eメシヤ・イメ−ジを全く転倒しているユダヤ人にとり、彼の宣言は一種の驚き、失望、つまずきとさえなったのである。
・ しかし、「神の小羊」こそは、聖書が啓示し、人類が最初に信じ受け入れるべき、メシヤへの信仰の第一段階なのである。
・ この第一段階を登り、しかる後第二段階へとのぼるべきである。 |
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@先駆者が神の小羊と宣言したとき、それは極めて重大な意味を含んでいた。
・ これぞまことの過越の小羊、
・ この小羊の犠牲の血によってこそ、すべての人の罪は取り除かれ、
・ 人類は罪より解放され、
・ この肉を食するものは真の命に生かされ、
・ 永遠のいのちそのものに生きるものとせられる。
Aこの小羊こそは神殿にいけにえとしてささげられる常供(じょうく)の燔祭(はんさい)、イザヤがその53章に啓示したるところの、
・ すべての人の罪を負い、
・ ほふられる神の小羊を啓示していた。
Bエルサレム、ユダヤ全国より集い来たりし群衆は(マルコ1・5)、
・ 今まのあたり「世の罪を取り除く神の小羊」と対面し、
・ 出会いながら、
・ 心にそれを信じ受け入れなかったために、
・ 真実の意味においては救い主なるメシヤとは出会わなかったのである。
Cしかし、偉大な先駆者ヨハネによって、正しいメシヤ・イメ−ジを持っていた、
・ ごく少数の彼の弟子達は、
・ 久しく待望してやまなかったメシヤなる、
・ 神の小羊と出会ったのである。
Dかの過越の犠牲の小羊こそは、影でありシンボルに過ぎず、
・ この神の小羊こそは真のもの、
・ 実体そのものであるから。
Eユダヤ人の意外な反応失望に気付いた彼は、更に声を大にして第二弾を放った。
・ 「『わたしのあとに来るかたは、わたしよりもすぐれたかたである。
・ わたしよりも先におられたからである』とわたしが言ったのは、この人のことである。」(ヨハネ1・30)
F人間としての誕生という点よりすれば、この方はわたしよりも後に来られたが、
・ しかし、この方は神性の面よりいえば、前に存在しておられたのである。
・ 彼は永遠からの存在者である。 |
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@先駆者はメシヤの先在性、神性を強調するのである。
・ だがしかし、彼の期待はまたも裏切られ、選民はかたくなに反応を示さない。
Aここで彼は第三弾を放ち、とどめを刺そうとして叫んだ。
B「わたしをおつかわしになったかたが、わたしに言われた、
・ 『ある人の上に、御霊が下ってとどまるのを見たら、
・ その人こそは、御霊によってバプテスマを授けるかたである。』
・ わたしはそれを見たので、このかたこそ神の子であると、あかしをしたのである。」(ヨハネ1・33〜34)
Cこの現実こそは、まことにイザヤの預言第11章1〜2節の成就である。
・ 「エッサイの株から一つの芽が出、
その根から一つの若枝が生えて実を結び、
その上に主の霊がとどまる。」(イザヤ11・1〜2)
・ 「わたしの支持するわがしもべ、
わたしの喜ぶわが選び人を見よ。
わたしはわが霊を彼に与えた。」(イザヤ42・1)
・ 「主なる神の霊がわたしに臨んだ。
これは主がわたしに油を注いで・・・・・・」(イザヤ61・1)
・ を指し示しているのである。
Dメシヤの使命、その最もメシヤ的使命は、彼(イエス)の神性とメシヤ性を信ずるものに、御名(ハッシェ−ム)により、聖霊のバプテスマを授け、永遠の生命を与えることにある。 |
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@しかるにユダヤ人の期待したものは、
・ どこまでもユダの獅子、ユダヤ人の王、
・ 外敵を征服し、イスラエルを回復し、地上にメシヤ王国の楽園を建設する、政治的解放者なるメシヤであり、
・ 毛を切る者の前に黙して自らを差し出し、柔和、平和、従順な、全人類の罪を背負い死に行く、犠牲の小羊ではなかった。
A「見よ、世の罪を取り除く神の小羊。」
・ ユダの獅子一辺倒のメシヤ・イメ−ジから、神の小羊への、メシヤのイメ−ジ・チェンジを試みし彼の革命的運動も、
・ このすばらしいメシヤ思想の革命も、
・ 大成功を見ることなくして、
・ 遂に彼はこの偉大な使命のために殉教する結果となった。
Bこの偉大なメシヤの先駆者の運動は、またメシヤの受ける運動のシンボルともなる。
Cしかし、彼のこのム−ヴメントは完全に失敗したわけではない。
・ 彼の血をはくが如き宣言、遂に血をもってする証明は、やがて実を結ぶ。
・ まず彼の愛弟子の二人、ヨハネとアンデレとが、イエスに従い、彼らはイエス・キリストの最初の弟子、最初の使徒となる。
・ しかも大使徒大聖人となるに至るのである。
D「一粒の麦が地に落ちて死ななければ、それはただ一粒のままである。
・ しかし、もし死んだなら、豊かに実を結ぶようになる。」(ヨハネ12・24)
E彼によって投ぜられしム−ヴメントの波紋は、次第に拡がり、やがて全世界地の果てにまで及ぶであろう。 |