〜キリストこそはわたしたちの平和〜
@イエス・キリストがダビデの町ベツレヘムに降誕されしそのとき、「いと高きところでは、神に栄光があるように、地の上では、御心にかなう人々に平和があるように」(ルカ2・14)と天使達が賛美したのは当然であった。
A平和の君ととなえられるメシヤが、この殺伐とした地上に来たり給うた目的は、神の平和を人類にもたらし、地上に平和を建設するためであったからである。
B大預言者イザヤは、平和の君、メシヤの使命についてかく語っている。
C「そのまつりごとと平和とは、増し加わって限りなく、ダビデの位に座して、その国を治め、今より後、とこしえに公平と正義とをもってこれを立て、これを保たれる」(イザヤ9・6)と。
Dこの地上に平和の神の国を建設するためには、この地上の社会的存在である、個々の人間そのものから、根本的に新創造する必要がある。
Eなぜなら人祖アダムの堕罪の結果、すべての人の人格の最奥に原罪が宿り、神に反逆の歴史を人類はくりかえしてきたからである。
Fこの神に反逆している人間の罪をあがない、「その十字架の血によって平和をつくり、万物、すなわち、地にあるもの、天にあるものを、ことごとく、彼(キリスト)によってご自分(神)と和解させ」(コロサイの信徒への手紙(1・20)るためにこそ、平和の君を神はおつかわしになったのである。
G「神の国は・・・・・義と、平和と、聖霊における喜びとである。」(ロ−マの信徒への手紙14・17)
H神の国の根本精神は義と平和であり、この地上に平和の建設を望むなら、まず何よりも自分自身の心の中に、聖霊によれるこの平和をもたねばならない。
Iこのキリストの平和をうちに持ってこそ、人は初めて平和の建設者となり得るのである。
J「キリストこそはわたしたちの平和である。」(エフェソの信徒への手紙2・14)
〜キリストご自身を、自分自身の平和として受け入れる〜
@悲しいかな、まことに人類の歴史は戦争のくりかえしの歴史である。
Aなぜそうなのか、それは、平和の君、平和の創始者、平和それ自身であられる救い主を放棄し、人間の心から平和の君であられるキリストご自身を追放し、キリストの他に平和を求めているからである。
B人類は今こそ平和の精神に目覚め、この大いなる誤謬をかなぐり捨て、悔い改めて平和の君キリストご自身に、たちかえるべきである。
C人類が平和の君であられるキリストと出会う時こそ、全世界に平和が回復される時となる。「海が水でおおわれているように、地(全人類)は主の栄光の知識で満たされるからである。」(ハバクク2・14)
D「これは平和である。」(ミカ5・4)平和そのものであられる栄光のメシヤ、キリストの再臨によってのみ、真に平和と名付けるにふさわしい恒久平和が、全世界に確立されるのである。
Eしかし、栄光のメシヤが全地の王として再臨する前に、メシヤは全人類の罪をあがなう、苦難の僕として降臨せねばならなかったのである(ルカ24・25〜27)。
「まことに彼はわれわれの病を負い、
われわれの悲しみをになった。・・・・・・・・
彼はわれわれのとがのために傷つけられ、
われわれの不義のために砕かれたのだ。
彼はみずから懲らしめをうけて、
われわれに平安(平和)を与え、
その打たれた傷によって、
われわれはいやされたのだ。」(イザヤ53・4〜5)
Fイエス・キリストの十字架、贖罪、キリストご自身を、自分自身の平和として受け入れるとき、われわれは罪から解放され、いやされ、彼のいのち、キリストの愛に生かされるのである。
Gイエスは、かって群衆が自分をとらえ王としようと行動した時、それをさけ山に退かれた。(ヨハネ6・15)
Hしかるに今回は、かくも正々堂々と、華々しくエルサレムに入城されたのはなぜなのか。それは他ではない、エルサレムに、ユダヤ民族に、全世界に、ご自身がまがいもなく、預言者ゼカリヤによって預言せられし(ゼカリヤ9・9)、永い世紀を通じて待望されし、平和の王なるメシヤであることを、公然と示すためである。
I「見よ、あなたの王はあなたの所に来る。」彼はまさしく天の平和、キリストの平和、平和であるご自身を与えんために来られたのである。
Jもし、あなたが来たり給うた平和の君、平和の王と出会い、彼の心を宿し、他の平和を自己の平和とするとき、あなたは新生し平和の人となり、「平和をつくり出す人」(マタイ5・9)ともなるであろう。
K愛と平和の神が、内に宿り、キリストの平和が心を支配するとき、まことに「キリストはわたしたちの平和」そのものであることを、文字通り全存在をもって体験的に知るのである。
Lゼカリヤの預言(9・9)はかくのごとくして成就されたが、未だ9章10節の預言は成就されていないのである。
M第一の預言はキリストの初降臨、エルサレム入城の時点において成就されたが、第二の預言の部分、すなわち、
「わたしはエフライム(イスラエル)から戦車を断ち、
エルサレムから軍馬を断つ。
また、いくさ弓(兵器)も断たれる。
彼は国々の民(全世界)に平和を告げ、
その政治は海から海に及び、
大川から地の果てにまで及ぶ。」(ゼカリヤ9・10)
とのすばらしき預言は、キリストが平和の君、王の王、栄光のメシヤとして、地上に再臨される時に成就されるのである。
Nその時、「彼は国々の民(全世界、全人類)に平和を」宣言される。
「律法はシオンから出、
主の言葉はエルサレムから出るからである。
彼はもろもろの国のあいだにさばきを行い、
多くの民のために仲裁に立たれる。
こうして彼らはそのつるぎを打ちかえて、すきとし、
そのやり(一切の兵器)をうちかえて、かまとし、
国は国にむかって、つるぎをあげず、
彼らはもはや戦いのことを学ばない。」(イザヤ2・3〜4)
との預言はみごとに実現成就するからである。
O平和は、平和の君であられるメシヤによって、永遠に戦いを学ばない恒久の平和は、平和の王なる主イエス・キリストの再臨によって実現する。
P「ア−メン、主イエスよ、速やかにきたりませ!」(ヨハネの黙示録22・20)