グイノ・ジェラール神父のプロフィール |
上の写真 Montrichard
(モントリシャール) フランス中央にある中世の町
私の故郷
下の写真 下の写真
私の洗礼の教会 (Notre
Dame de Nanteuil 私の司祭叙階の教会 (eglise Ste Croix)
ナントーユの聖母 (11世紀
) 聖なる十字架の教会 (12世紀)
私は フランスの中央にある とても美しい中世の町で 1948年1月9日に生まれました。 5歳の時、司祭職への 神の最初の招きを聞いて、11歳になって 私の教区の小神学校に入りました。 21歳の時 宣教への 神の第二の招きに答えて、パリー宣教会の神学校に入る許可を受けました。 が、実際は、1年間半の兵隊の義務を終えて すぐ チョコレートの工場で 1年間働きました。 その次パリーの聖ヨゼフ病院において 3年間 看護の務めを果たしてから やっと パリー宣教会の神学校に入りました。 1976年6月26日、最初に神の呼びかけを受け止めた故郷の教会で 司祭叙階を迎えました。 その後1年間位イギリスで英語の勉強をしながら、ロンドンの小さな小教区で 司祭の活動を行いました。 1977年8月10日来日してから、すぐ東京の六本木で2年間日本語の勉強をしました。 そうして 大阪教区の神戸市の 下山手、兵庫、中山手、垂水、洲本の教会に赴任して 現在に至るまで福音宣教に励んでいます。 |
(St Martin)ツールの
聖マルチノは(317−399) この泉の所でMontrichard の人々に洗礼を授けた。 彼は 私の町の最初の宣教師であり 又、Montrichard の小教区の創立者でもある。 |
Montrichardでは12,13,14,15世紀の 美しい家はあちらこちらに発見できる。 私が 生まれた家とは 14世紀の家です。 隣家は 13世紀のユダヤ教の会堂でした。 |
15世紀の終わりぐらい この病院はMontrichard
の貧しい人々の為に建てられた。 私の若い時代には まだこの目的で老人ホームとして使われていた。 家のすぐそばにあったので 私はいつも この庭で友達とよく遊んだ。 |
「 谷川の水を求めて あえぎさまよう鹿のように 神よ私はあなたを慕う。」詩篇42-1 |
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求めなさい。そうすれば与えられる。探しなさい。そうすれば、見つかる 門をたたきなさい。そうすれば、開かれる。だれでも、求める者はうけ、探す者は見つけ、門をたたく者にはひらかれる。あなたがたのだれが、パンを欲しがる自分の子供に、石を与えるだろうか。魚を欲しがるのに、蛇を与えるだろうか。このように、あなたがたは悪い者でありながらも、 |
神ってどこにいるの? 主よ どこに泊っておられるのですか? ヨハネ1,38 主は 確かにここにおられるのに、私はそれをしらなかった! 創世記28,16 私は世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる。 マタイ28,20 |
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神はいわれる 見よ、私はあなたと共にいる。あなたがどこへ行っても、私はあなたを守り、決して見捨てない。
二人または三人が私の名によって集まるところには、私もその中にいるのです。 マタイ18,20 私のいるところに、私に仕える者もいることになる。 ヨハネ12,26 |
神の探求 |
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詩編139,1-7 「主よ、あなたは私を究め、私を知っておられる。座るのも、 |
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「心の清い人々は幸いである、その人たちは神を見る (マタイ5,8) |
神 それは きみの人生にさし昇る 曙の光 神の愛の輝きで きみの人生を 燃えたたせるため 神 それは 真昼の太陽 きみをご自分の方へ熱心に招く方 神の愛の極みに 神 それは 地平のかなたに沈むことなく きみの眠りに 心を配るかた 夜の暗闇から きみを しっかり守るため 神 きみの神は 夕日の輝きのうちに きみの人生の地平線におられる きみの人生は 神の命 (神への道に まかれた小石 グイノ・ジェラール神父作)より |
私の幸せ、主よ、それは 私の生涯のすべての日々を あなたと共にいること 私のよろこび、それは あなたに留まることができること 私の生涯をあなたと共に生きる 私の誇り それは あなたの 住いとなる為に私の存在の全てを 素直に あなたに委ねること 私の満足 それは あなたが 私のうちに住みたいとお望みだと 確信を持っていること 主よ 私があなたに憩うために どうか あなた自身が私の魂に 憩いに来てください 主よ、私があなたに住む為にどうか あなた自身が私に住みに来て下さい 私が永遠に あなたと共にいる為に 毎日 私に留まりに来て下さい (神への道に まかれた小石 グイノ・ジェラール神父作)より |
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