3月14日の説教


その後
わたしはすべての人にわが霊を注ぐ。
あなたたちの息子や娘は預言し
老人は夢を見、若者は幻を見る。
その日わたしは
奴隷となっている男女にもわが霊を注ぐ。
天と地に
それは、血と火と煙の柱である。
主の日、大いなる恐るべき日が来る前に
太陽は闇に、月は血に変わる。
しかし、主の御名を呼ぶ者は皆、救われる。
主が言われたように
シオンの山、エルサレムには逃れ場があり
主が呼ばれる残りの者はそこにいる。

(ヨエル3:1〜5)


実に、人は心で信じて義とされ、口で公に言い表して救われるのです。
聖書にも「主を信じる者は、誰も失望に終わることがない」と書いてあります。
ユダヤ人とギリシア人の区別はなく、すべての人に同じ主がおられ、
御自分を呼び求めるすべての人を豊かにお恵みになるからです。
「主の名を呼び求める者は誰でも救われる」のです。

(ローマ10:10〜13)

わたしたちが失望するのはどういうときでしょうか。
あらゆる望みが絶たれたときです。
しかし聖書は言います。
「主を信じる者は、誰も失望に終わることがない」
必ず神からふさわしい時が与えられるのです。
ですから、今与えられている情況・場所で一生懸命力を尽くすことが大切です。

与えられた環境を良いものと考えるか、悪いと考えるかは本人次第です。
しかし「主を信じる者は、誰も失望に終わることがない」
この「誰も」の中には、わたしもあなたも、誰一人漏れていないのです。

たとえ自分で自分のことを嫌いだと思っていても、神はあなたがたを見捨てません。
「わたしはあなたを決して失望させるようなことはしない」とおっしゃるのです。
「だからあなたもわたしを呼びなさい」とおっしゃるのです。

神の与えてくださる情況を「恵み」と考え、感謝して生きることが大切です。
今、不登校の生徒が13万人いると言われています。
みな、自分に自信がもてない、と言います。
そんな子どもたちに、「大丈夫だ!」と言える大人がいるでしょうか?
それはイエス・キリストのメッセージがわたしたちの中にあるかどうか、で決まります。

イエス様に守られていて、幸せだと感じる人は、優越感にも劣等感にも縛られません。
その人は、たとえ自分の欠点を指摘されても、素直に受け止めることができます。
優越感や劣等感にさいなまれている人は、欠点を指摘されると怒ります。

これこれが気になる、と言う人がよくいますが、気になるということは気に入らないことですね。
そういう自分に気づくことが大切です。
そして「主よ、そういうわたしを助けてください」と呼び求めることが大切です。
主はかならず助けてくださるのです。

「あなたは生きていていいのだ、あなたの命は神の愛の証である。
あなたは生きなくてはならない」
主はいつもわたしたちにこのメッセージを伝え続けています。

創世記に、神が「あなたはどこにいる」と呼びかける場面があります。
それに対し、わたしたちは
「わたしはあなたと共にいます」と答えることができるよう、
今週も主を見上げて歩いていきたいと思います。


                                                (説教:菊池丈博牧師)


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