CHAPEL NEWSLETTER
群馬キリストチャペル発行 第1号
神のなさることは、
すべて時にかなって美しい。
神はまた、
人の心に永遠への思いを与えられた。
−聖書−
目 次
神との出会い
小杉正雄
「人生は出会いで決まる。」といわれます。
一枚の写真を見たことがありました。十五人ぐらいの方が一緒になって、写真に写っています。皆さん笑顔で、楽しそうに笑っています。暖かい雰囲気が伝わってくるようでした。
私たちは、家庭で、学校で、職場でと、いろいろな人と出会います。そして、出会った人と、さまざまな関係が生まれ、影響を受け、与えます。 その中には、良き出会いがあり、又、思い出深い出会いもあります。
出会いの中で身近な人との出会いは、特に大切ということができます。夫、妻、父、母、兄弟、姉妹、・・・。これらの身近な人との出会いが、良かったと言えるならば、なんと幸いでしょうか。
さて、一番大切な出会いは誰との出会いでしょうか。聖書は、私たちが生きていくときの一番大切な出会いは「神様との出会い。」です、といっています。 この神様と出会うことにより、人生の土台が与えられ、本当の愛について知ることが出来ます。
「私たちは、私たちに対する神の愛を知り、また信じています。神は愛です。」Tヨハネ
4・16
* 今回より新たに「チャペル通信」をお送り致します。ご愛読ください。
命をともされる神
群馬町在住・元教員
いつも喜んでいなさい。
絶えず祈りなさい。
すべての事について、
感謝しなさい。
Tテサロニケ5章16〜18節
映像で見たクリスチャン
「人間は迷える小羊である」とか「人間は罪の子である」ということは、中学生のころ西洋史の授業の中で初めて耳にしたような気がします。
また、「クオ・バディス(主よ、何処へ)」の映画を見てとても感動しました。あの暴君ネロも頭を抱え込んだ場面。飢えたライオンの群に投ぜられても動ぜず死に赴くクリスチャンの姿。天の御国へ向かう大きな喜びがそうさせたのだと分かったのはしばらく後のことでした。
「罪の子」ということも私なりに理解していきました。
日本古来の神と主なる神
時は移り、今から二十数年前下小鳥のベッコン兄姉のもとへ小杉正雄兄と一緒にお邪魔したことがありますが、その時にベッコン兄に「お父さんは、神様の存在を信じますか」と聞かれ、しばらく考えた末、「信じます」と答えたことを今でもはっきり覚えています。しかし、この時の私の頭の中の神様という概念は神道の神と、天の主なる神とが混在していたような気がします。
日本の神道の中に祓戸神(はらえどのかみ)という神様があります。人間の罪汚れを祓ってくれるわけです。しかし、この神が人間の罪汚れをすべて引き受けてくれたという話は、神主さんから聞いたことはありません。また、徳川幕府の政策により、日本人は仏教徒という大きな枠にまとめられましたが、本心から仏教の真義を理解している人、又理解しようと思っている人は少なく、形式や習慣になっていることが多いのが現状だと思います。
このような惰性的な宗教感覚の中に生きてきた私ですが、三人の娘達や家内がクリスチャンになることには少しの抵抗も感じませんでした。
三人の娘の婚約式や結婚式における兄弟姉妹達の働きや雰囲気の中に、今で言いますと、一つの平安を感じ、感謝の心で一杯でした。
脳出血による入院
私にとって運命の日、平成八年四月二十六日。
全く思いもかけなかった脳出血という決定的衝撃により中央群馬脳神経外科に入院の羽目になりました。
この世には神も仏もいないという思いでいらだった夜、悶える日々が続きました。
しかし、たった一つしかない尊いこの命は、神より授かったものであるという従来からの私の思いはだんだん強くなり、自分には命を大事にしなければならない責任があるのだと自分自身に言い聞かせるようにもなりました。
とはいえ、いくら言い聞かせても、たった一人でいるといても立ってもいられなくなり、五月二十三日の夜、ナースコールで看護婦さんを呼び、家へ電話をしてくれるよう頼みました。
「こんな夜中では家の人もびっくりするから明日の朝一番で連絡してあげますからね」ということで二十四日の朝六時に電話をしてくれました。
家内と小杉兄姉が来てくれました。そこですべてを神にお任せしたいことを話しました。涙がとめどなく流れました。
積もり積もった悔恨の情もすっかり洗われ、その夜から不思議とよく眠れるようになりました。
心新たな日々
それからは、早朝四時半頃からと、夜九時消灯後のしばらくの間、羽鳥明氏の「世の光」や長野の尾崎氏の軽井沢バイブルキャンプのテープを楽しく聞く毎日を過ごしました。
羽鳥氏の「福音を恥としない」というテープを幾度も聞いて、宣教や伝道にかける情熱に打たれました。また、尾崎氏の実例を交えた話にもうなずきつつ七回聞き返しました。
幾度聞いても心新しい感動を受けることができました。そして心の底に神様のことが刻み込まれていきました。
イエス・キリストの復活の話も一言半句聞き漏らすまいと耳を傾け、私なりに受け入れ信じることができ、喜んでいます。
二ヶ月余りの入院も守られ、順調にリハビリが進み、大勢の皆様の祈りと、主なる神様の大きな愛に導かれ、七月一日退院の佳き日を迎えることができました。「おかげさまで」と、ただただ感謝の限りです。
先日、群馬町キリスト集会の兄弟姉妹の皆様の祝福の中にバプテスマ(洗礼)を受けることができ、改めて主なる神に感謝しております。そして、今一度神様の前に祈ります。
「これから後は、大勢の兄弟姉妹の一員に加えていただき、真摯に聖書の学びを続けていきたいと思います。この先も五年、十年と私の命をともして下さり、生かされてきた証が残せますようお導きとお守りをお願い申しあげます。アーメン」
「光あるうちに」
三浦綾子著
クリスチャン作家で有名な三浦綾子さんの自伝的三部作の最後にあたるもので、キリスト教の核心をわかりやすく書き表した作品です。まず、人間の弱さ、罪深さを作者の体験をもとに徹底的に説明しています。その人間を救う神の愛、イエス・キリストの十字架・復活など聖書の中心主題が述べられています。私たち日本人が聖書が伝える福音(良い知らせ)を理解するに絶対役立つおすすめの一冊です。
新潮文庫(定価440円)