2004年6月11日(金) |
アブラハムはユダヤ教、キリスト教、そしてイスラム教と、世界の一神教の宗教にとって、主要な人物です。すべての一神教信仰は彼から発しています。しかし、彼には謎が多いのが現実です。それぞれの謎を挙げながら話を進めていきましょう。 アブラハムの祖先のセムとその家系 アブラハムから遡ること、ノアの三人の息子の一人であるセムから話を進めましょう。セムはヘブル語の「シェム」で、「名前」という意味です。今でも、「ハ・シェム」と言えば、「御名」という意味で、創造主たる神を表します。セムは、今のユダヤ人や、アラブ人もセムを祖とすると言われています。で、ハムは「熱い」という意味で、戦争などをも意味し、それを預言するものです。イスラエルの死海方面から吹く熱い東風の事を「ハムシーン」と今でも呼ばれています。ハムはクシュ(エチオピア)、ミツライム(エジプト)カナン(カナン人)そしてミツライムからペリシテ人が別れでます。そしてヤペテは「ヤフェット」で、「開かれた」という意味です。ヤペテの子供はゴメル(ドイツ地方)、マゴク(ロシア地方)、アシュケナズ(東欧−今でも東欧系ユダヤ人の事を「アシュケナジー」と言います)、タルシシュ(シリアやバルカン半島)など、主にインド・ヨーロッパ語族に当てはまる人々がヤペテの子孫とだいたい言われています。ヤペテには「開かれた」という意味があり、それゆえにキリスト教がこの地方に主に広がったのではないかという説を唱える人もいます。このように、聖書の人名には必ず意味があり、その意味には預言的な意味合いが込められていました。 謎その1:なぜアブラムはカナンに向かったのか? 創世記11章28節に、アブラハムの父テラの歴史が書かれています。父テラは、家族を連れてカナンに行くために生まれ故郷のウルから出て、途中カランに立ち寄り、そこでテラは亡くなっています。 テラやアブラムはセムの末裔であり、セムは「名前」つまり、神の御名を運ぶ役割をもたらすのではないかと、ユダヤの伝統は伝えています。ここで言う神の御名は、「YHWH」つまりヘブル語の「ヨッド・ヘー・ヴァヴ・ヘー」の4文字を表し、テトラグラマトンと呼ばれるもので、ユダヤ人はこれを発音せず、「アドナイ」と言い換えています。主の御名は聖なる名なので、むやみに発音してはならないということから、この4つの頭文字を使います。創世記の2章にすでにこの文字は使われており、4節の「神である主」が「YHWH」に当たります。この、「YHWH」は、「行澤」という名前の意味以上に、神はどういうお方であるか、そのご性質を表すもので、「神はすべての源」「神は永遠(時間を超越した存在)」そして「ありてある方」という意味です。セムの子孫達は、その「御名」を持ち運ぶようにされているのです。 では、なぜカナンに行ったのであろうか。カナンはハムの子孫であり、カナンは呪われていました。創世記9章25節でノアが「のろわれよ。カナン。兄弟たちのしもべらのしもべとなれ」と言いました。これは、カナンが父の裸をあばいたからだと言われています。カナン人が住むカナンの地は偶像礼拝の地であり、そこに神の御名を持ち運んだのです。これは、いわば異邦人に主の福音を述べ伝える型となっています。 謎その2:アブラムはどうして主の声を聞き分けられたのか。 当時、ウルの地、カランの地やカナンでは、偶像礼拝が甚だしく行われていました。そこでどうしてアブラムは主の声を主と認識できたのでしょうか。創世記12章から主はアブラムに語られました。その時アブラムは75歳でした。もし、その時初めてアブラムに主が語られたならば、きっとアブラムは「あなたはどなたですか。」と聞いたはずです。 ここで少し話が横にずれますが、創世記14:13に「ヘブル人アブラム」という表現が出てきて、明らかにカナン人と区別しています。また、14:17からシャレムの王メルキゼデクという人物が出てきます。 シャレムの王メルキゼデクの正体は? この人は、「いと高き神の祭司」と14:18には書かれています。また、ヘブル書7:2-3には「サレムの王、すなわち平和の王です。父もなく、母もなく、系図もなく、その生涯の初めもなく、いのちの終わりもなく、神の子に似たものとされ、いつまでも祭司としてとどまっている。」と書かれています。サレムはエルサレムであり、元はエブス人の街でありましたが、それ以前にこのメルキゼデクという人物が住んでいたのではないかと言われています。つまり、カナンの地にはすでに天地を創られた神の祭司であり王が存在していたのです。 メルキゼデクはイエス・キリストの型であることは、ヘブル書にも説明され、アブラムは1/10の捧げものをメルキゼデクにしました。 さて、メルキゼデクは一体何者か。これは、古くからのユダヤ人の伝承として伝わっているものですが、メルキゼデクはセムその人ではないかと言われています。セムの年齢を見ますと600歳まで生きています。ノアの時代からアブラムの時代まで、創世記11章10-26までをセムの歴史が述べられていますが、セムの子孫達が生まれ、その生涯を全うする間、セムは生き続けていました。そして、アブラムの時代まで、彼は生きていたのです。セム自身がシャレムの王であり祭司であるメルキゼデクではなかったか、アブラムや父テラはそれを知っていて、いわば巡礼として彼に会いに行ったのではないかと推測されます。 つまり、セムの子孫達は、すでに「創造主なる神」を知っていたということになり、当然その声をも聞き分けられたのだと思われます。 謎その3:主はなぜ何度も何度も同じ約束をアブラムに告げたのか。 アブラムと主の出会いは、まず創世記12:2の土地の約束、アブラムの名の祝福について述べています。13:14には土地と子孫の約束を述べています。その後何度も繰り返し主は同じ事を言っています。つまり、土地の約束と子孫の約束です。しかし、アブラムは15:2で、自分に子がないことを主に文句を言っています。6節で「彼は主を信じた。主はそれを彼の義と認められた」と書かれています。これがルターによる信仰による義であり、その後「聖化」のプロセスを遂げるという考え方が定着します。 しかし、例えばイエス・キリストを信じた瞬間義とさせられ、その後聖化していく、という考え方は、間違ってはいないが、ある意味誤解されるのではないかと思います。なぜならば、アブラムは主を信じた後、奴隷女ハガルに子を産ませるなどの行為を行っています。また、17:17では、彼は主の約束をまた聞いて「百歳の者に子どもが生まれようか。サラにしても九十歳の女が子を産むことができようか。」と笑っています。これは信仰による義と言えるでしょうか。17:5でアブラムはアブラハムと名が変えられ、そして子孫の約束が再び語られ、しるしとして割礼が施されます。割礼は、いわば民族の繁栄の象徴です。サライもサラへと名が変えられています。そのアブラハムが疑い故に笑っているのであり、信仰の父と言えるでしょうか。 しかし、アブラハムの信仰とは、主から何度も何度も同じ約束が語られ、疑いを繰り返し失敗を繰り返しつつも、徐々に実現していく約束を見て信仰が作り上げられていく、その全体のプロセスを指すのです。そしてついには、大変な試練を受けるわけですが、アブラハムは自分の一人子であるイサクを捧げる(アケダー)する事ができるようになるところにまで、その信仰がゆるがないものに成長したのです。 主は22:16で、アブラハムがイサクを捧げた後、「わたしは自分にかけて誓う」と仰せられた。これがいわばアブラハムの信仰の完成を表します。 アブラハムは失敗し、疑いながらも決して神から離れなかった。最後の最後まで神にしがみついた人である。それが彼の信仰なのである。 最後に、アブラハムの信仰の型として、セツの家系について説明します。 セツは、アダムとイヴの子、カインがアベルを殺した後に生まれた子で、ヘブル語で「シェッツ」つまり(生む。授かる)という意味です。そのセツの子孫のエノシュの時代、人々は主の御名によって祈ることを始めたと書かれています。偶像礼拝が主であった古代という一般通念がありますが、実際には創造主なる神に対する知識が、かなり人々の間にあったのではないかと推測されます。 主はその後、モーセに対してはご自分を「アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神」として現れています。これは、主がアブラハムと特別な交流があったことを示す神として、モーセの前に現れたのです。アブラハムの信仰とは、そこまで主との交わりが深まった事を表すのです。 |
back to Yukizawa-index
back to Top
Page