5. 弟子たち及び信じるすべての人たちへのとりなし; 17章6〜26節
(1) 弟子たち ・・・ 御父が選び、御父が御子に下さったみことばを、受け入れ信じた人々。(17−8)
〜 御父の御名(*)の中に保つ。御父と御子が一つであるように、弟子たちも(御父、御子と共に)一つとなるため。(17−11)
(2) 信じるすべての人々 ・・・ 弟子(使徒)たちのことばによって信じるすべての人々(17−20)
〜 彼らがみな一つとなる事によって、世が信じる。(17−21)
栄光を与えた。御父と御子が一つであるように、彼らも一つであるため。(17−22)
御父の御名を知らせ続ける。御父の御子に対する愛が、彼らの中にあるため。(17−26)
御父と御子イエス様がすべてを超越した、どんなに強い愛の絆によって結びついているかについては、前述の通りである。 イエス様は、その無限の愛の中に、弟子たちも、弟子たちの言葉によって信じる人たちをも入れてくださるように、御父に祈っている。 それは、イエス様の公生涯の歩みで現わされ続けたような、神の御名の栄光のわざ、すなわち、聖霊のわざが、彼らを通して起こり続けることによってなされる。 このようにして、信じる者は、キリストの花嫁として一つにされるのである。(御名=栄光の実質)
我々、奇跡を信じるクリスチャンは、物理的奇跡であれ、摂理的奇跡であれ、主がいかに奇しいわざで私たちを愛してくださっておられるかを話題とし、あかしをし、(自慢するわけではないが)、そして、共に、その栄光を現わしてくださった神をほめたたえるのである。 御霊による一致は、本来このようにしてもたらされる。
使徒たちは、御名の栄光の中に保たれ、使徒たちのことばによって信じる人々(教会)にも、御名が知らされ続ける。
使徒たちの使命は、教会形成をし、教会を建て上げ、主の力ある愛のわざをもって、すべての信じる人々を一つにする事にある。
(cf. にせ使徒にはわざが起こらない。にせ預言者は兄弟愛を示さず、分裂をもたらす者、告発者、迫害者である。)
使徒たちは、当時の11使徒たちにも見られるように、人間的に見るならば、かなりバラエティーに富んでいて、とても一致できないような人々の集まりである。おそらく神は、そのあかしのために、そのような人々を選んだと思われる。彼らを一致させるのは、愛と力と慎みの霊である、継続的な聖霊様の働きによるしかない事があかしされるのである。(教理や組織上の権威・秩序や迫害によっても一時的には一致できるが本質的ではない。)
* 主の御名について;
名前はその実質を表す。 聖書に書かれた人物の名前にもそれぞれの意味がある(**)。 主の御名には、主なる神のさまざまな実質が描かれている。そして、主を信じて子とされた私たちにも、その実質が現れるのである。
「わたしは全能の神である。」(創17−1)
「主はいくさびと。その御名は主。」(出15−3)
「あなたはほかの神を拝んではならないからである。その名がねたみである主は、ねたむ神であるから。」(出34−14)
「ダビデはペリシテ人に言った。「おまえは、剣と、槍と、投げ槍を持って、私に向かって来るが、私は、おまえがなぶったイスラエルの戦陣の神、万軍の主の御名によって、おまえに立ち向かうのだ。」(Tサム17−45)
「あなたの御名がとこしえまでもあがめられ、『万軍の主はイスラエルの神。』と言われますように。」(Uサム7−26)
「栄光の王とは、だれか。強く、力ある主。戦いに力ある主。」(詩24−8)
「その名は 「不思議な助言者、力ある神、永遠の父、平和の君」と呼ばれる。」(イザ9−6)
「あなたは知らないのか。聞いていないのか。主は永遠の神、地の果てまで創造された方。疲れることなく、たゆむことなく、その英知は測り知れない。」(イザ40−28)
「イスラエルの王である主、これを贖う方、万軍の主はこう仰せられる。「わたしは初めであり、わたしは終わりである。わたしのほかに神はない。」(イザ44−6、黙22−13)
「イスラエルの神、救い主よ。まことに、あなたはご自身を隠す神。」(イザ45−15)
「わたしのほかに神はいない。正義の神、救い主、わたしをおいてほかにはいない。」(イザ45−21)
「ヤコブの分け前はこんなものではない。主は万物を造る方。イスラエルは主ご自身の部族。その御名は万軍の主である。」(エレ10−16)
「わたしが 「わたしはある」 という者であることを信じなければ、あなたがたは自分の罪の中で死ぬのです。」(ヨハ8−24、出3−14)
「見よ、世の罪を取り除く神の小羊。」(ヨハ1−29)
「知恵に富む唯一の神に、イエス・キリストによって、御栄えがとこしえまでありますように。アーメン。」(ロマ16−27)
「神は祝福に満ちた唯一の主権者、王の王、主の主、」(Tテモ6−15)
「信仰の創始者(指導者)であり、完成者であるイエスから目を離さないでいなさい。」(ヘブ12−2)
「すなわち、私たちの救い主である唯一の神に、栄光、尊厳、支配、権威が、私たちの主イエス・キリストを通して、永遠の先にも、今も、また世々限りなくありますように。アーメン。」(ユダ-25)