49、第二イザヤ書2(49〜55章、帰国と挫折)――――――――――――苦難のメシヤ
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第二イザヤ書の後半に入ります。第二イザヤは、帰還の先陣を果たす使命を与えられます。
ここでは、あれほど賛美したペルシャ王キュロスの名は一言も出てきません。メシヤ・キュロスへに期待は幻滅に終わり、ペルシャ官憲の検閲を考慮して、当事者全ての名が伏せられています。
ペルシャ王キュロスの帰国の許可が出て(48章)、第二イザヤは、残りの者、捕囚民を祖国に帰らせるといいう具体的な使命と、預言者としての任務が再確認されます(49章)。僕の歌、第二です。ここの「主の僕」は、預言者自身と考えられます。
主の僕、第二歌(49・1〜6)―わたし(預言者第二イザヤ)の新しい使命
49:1
島々よ、わたしに聞け/遠い国々よ、耳を傾けよ。主は母の胎にあるわたしを呼び/母の腹にあるわたしの名を呼ばれた。
49:2
わたしの口を鋭い剣として御手の陰に置き/わたしを尖らせた矢として矢筒の中に隠して49:3
わたしに言われた/
あなたはわたしの僕、イスラエル/あなたによってわたしの輝きは現れる、と。
49:4
わたしは思った/わたしはいたずらに骨折り/うつろに、空しく、力を使い果たした、と。
しかし、わたしを裁いてくださるのは主であり/働きに報いてくださるのもわたしの神である。
49:5
主の御目にわたしは重んじられている。わたしの神こそ、わたしの力。
今や、主は言われる。ヤコブを御もとに立ち帰らせ/イスラエルを集めるために/母の胎にあったわたしを/御自分の僕として形づくられた主は49:6 こう言われる。
わたしはあなたを僕として/ヤコブの諸部族を立ち上がらせ/イスラエルの残りの者を連れ帰らせる。
だがそれにもまして/わたしはあなたを国々の光とし/わたしの救いを地の果てまで、もたらす者とする。
「いたずらに骨折り/うつろに、空しく、力を使い果たした」と思っていたイザヤは、長年の帰還運動の労苦が報いられたと、この使命に勇躍します。
政治的指導者Xの使命(49・7〜13)―王国の再興
次に、選ばれたあなた(政治的指導者X)の役割―ユダ王国再興が示されます
(49・7 〜8)。
49:7
イスラエルを贖う聖なる神、主は/人に侮られ、国々に忌むべき者とされ/支配者らの僕とされた者に向かって、言われる。
王たちは見て立ち上がり、君侯はひれ伏す。
真実にいますイスラエルの聖なる神、主が/あなたを選ばれたのを見て。49:8
主はこう言われる。
わたしは恵みの時にあなたに答え/救いの日にあなたを助けた。わたしはあなたを形づくり、あなたを立てて/民の契約とし、国を再興して/荒廃した嗣業の地を継がせる。
「あなた」と呼ばれる指導者Xは、ユダ王国再興の役割が与えられます。
帰国の旅は神が導き、神の慰めと祝福があると賛美されます
(49・9〜13)。
49:13
天よ、喜び歌え、地よ、喜び躍れ。山々よ、歓声をあげよ。主は御自分の民を慰め/その貧しい人々を憐れんでくださった。
廃墟となり、見捨てられていたシオンは、主なる神によって回復されます(49・14〜50・3)。
主の僕・預言者の忍耐(50・4〜11)―反対者の侮辱に耐えて
主の僕の第三歌(50・4〜9)は、預言者イザヤの告白です。
この帰国は、無謀な企てとして、迫害されますが、じっと耐え忍びます。激しく帰国に反対したのは、バビロンで成功し、すっかり定着した人々だったのでしょうか。安定した生活が脅かされると思ったのでしょう。
50:4
主なる神は、弟子としての舌をわたしに与え/疲れた人を励ますように/言葉を呼び覚ましてくださる。朝ごとにわたしの耳を呼び覚まし/弟子として聞き従うようにしてくださる。
50:5
主なる神はわたしの耳を開かれた。わたしは逆らわず、退かなかった。
50:6
打とうとする者には背中をまかせ/ひげを抜こうとする者には頬をまかせた。顔を隠さずに、嘲りと唾を受けた。
50:7
主なる神が助けてくださるから/わたしはそれを嘲りとは思わない。わたしは顔を硬い石のようにする。わたしは知っている/わたしが辱められることはない、と。
50:9
見よ、主なる神が助けてくださる、と主に信頼して、自力で帰国への道を歩もうと、第一陣の人々を激励しますが、苦悩のうちに挫折することを予感しているようです。
50:11
見よ、お前たちはそれぞれ、火をともし/松明を掲げている。行け、自分の火の光に頼って/自分で燃やす松明によって。わたしの手がこのことをお前たちに定めた。お前たちは苦悩のうちに横たわるであろう。
シオンへの帰還(51・1〜16)とエルサレムでの迫害(51・17〜23)
51:11
主に贖われた人々は帰って来て/喜びの歌をうたいながらシオンに入る。頭にとこしえの喜びをいただき/喜びと楽しみを得/嘆きと悲しみは消え去る。
喜び勇んでエルサレムに到着しました。
しかし、たちまち諸々の困難が待ち受けています。占拠外国人の侮辱と迫害です(51・7、8)。残留ユダヤ人は頼りにならず(51・18)、二組の災い(飢饉と剣)が襲い(51・19)、ユダの帰還民は打ち倒されます(51・20)。帰還民は、抵抗する力もありません。されるがままです。
51:23b。彼らはあなたに言った。「ひれ伏せ、踏み越えて行くから」と。あなたは背中を地面のように、通りのようにして/踏み越える者にまかせた。
主は王となられた(52・1〜52・12)―ヤーウェの再即位と暗転
この「無割礼」の外国人のエルサレム侵入占拠にたいして、エルサレムを解放すると主なる神は、うち倒れ絶望した帰還民を激励します。
52:1
奮い立て、奮い立て/力をまとえ、シオンよ。輝く衣をまとえ、聖なる都、エルサレムよ。無割礼の汚れた者が/あなたの中に攻め込むことは再び起こらない。
2:7
いかに美しいことか/山々を行き巡り、良い知らせを伝える者の足は。彼は平和を告げ、恵みの良い知らせを伝え/救いを告げ/あなたの神は王となられた、と/シオンに向かって呼ばわる。
しかし、事態は急激に悪化したようです。帰還民は、エルサレムを退去せざるを得なくなります。
52:11
立ち去れ、立ち去れ、そこを出よ/汚れたものに触れるな。その中から出て、身を清めよ/主の祭具を担う者よ。52:12
しかし、急いで出る必要はない/逃げ去ることもない。あなたたちの先を進むのは主であり/しんがりを守るのもイスラエルの神だから。
主の祭具を担う、指導者Xは(エズラ1・11b、5・13によると、首長シェシュバツァル※1)、エルサレムからの脱出を預言者から勧告されます。ところが「しかし、急いで出る必要はない/逃げ去ることもない」と、なにやら、非常に混乱した状態が記述されています。事件があったようです。
苦難の僕の挽歌(52・13〜53・12)―政治的独立の失敗
イザヤたち帰還グループの行動は、ユダ王国独立運動とされ、エルサレムから全員排除されかかったのです。しかし、指導者Xの犠牲死によって、奇跡的に事件は収まります。Xはペルシャの官憲か、敵対外国人に殺されたのです。その挽歌が、第4の主の僕「苦難の僕※2」の歌です(新約の、仲保者イエスの受難の姿が重なります)。
52:13
見よ、わたしの僕は栄える。はるかに高く上げられ、あがめられる。
52:14
かつて多くの人をおののかせたあなたの姿のように/彼の姿は損なわれ、人とは見えず/もはや人の子の面影はない。
52:15
それほどに、彼は多くの民を驚かせる。彼を見て、王たちも口を閉ざす。だれも物語らなかったことを見/一度も聞かされなかったことを悟ったからだ。
53:1
わたしたちの聞いたことを、誰が信じえようか。主は御腕の力を誰に示されたことがあろうか。
この人、指導者Xは滅びかかったダビテ家の希望であったが、指導者としての、押し出しの立派さや、風格が無かった。しかし、人の苦しみのわかる謙虚な人であった(53・2〜4)のに、わたし達は、軽蔑していたのだ。彼は、私たちの苦痛を一身に負っていたのだ。そして犠牲となった。
53:2
乾いた地に埋もれた根から生え出た若枝のように/この人は主の前に育った。見るべき面影はなく/輝かしい風格も、好ましい容姿もない。
53:3
彼は軽蔑され、人々に見捨てられ/多くの痛みを負い、病を知っている。彼はわたしたちに顔を隠し/わたしたちは彼を軽蔑し、無視していた。
53:4
彼が担ったのはわたしたちの病/彼が負ったのはわたしたちの痛みであったのに/わたしたちは思っていた/神の手にかかり、打たれたから/彼は苦しんでいるのだ、と。
53:5
彼が刺し貫かれたのは/わたしたちの背きのためであり/彼が打ち砕かれたのは/わたしたちの咎のためであった。彼の受けた懲らしめによって/わたしたちに平和が与えられ/彼の受けた傷によって、わたしたちはいやされた。
53:7
苦役を課せられて、かがみ込み/彼は口を開かなかった。屠り場に引かれる小羊のように/毛を切る者の前に物を言わない羊のように/彼は口を開かなかった。
53:8
捕らえられ、裁きを受けて、彼は命を取られた。彼の時代の誰が思い巡らしたであろうか/わたしの民の背きのゆえに、彼が神の手にかかり/命ある者の地から断たれたことを。
53:9
彼は不法を働かず/その口に偽りもなかったのに/その墓は神に逆らう者と共にされ/富める者と共に葬られた。
53:10
病に苦しむこの人を打ち砕こうと主は望まれ/彼は自らを償いの献げ物とした。彼は、子孫が末永く続くのを見る。主の望まれることは/彼の手によって成し遂げられる。
53:11
彼は自らの苦しみの実りを見/それを知って満足する。わたしの僕は、多くの人が正しい者とされるために/彼らの罪を自ら負った。
53:12
それゆえ、わたしは多くの人を彼の取り分とし/彼は戦利品としておびただしい人を受ける。彼が自らをなげうち、死んで/罪人のひとりに数えられたからだ。多くの人の過ちを担い/背いた者のために執り成しをしたのは/この人であった。
何の罪も無い、主の僕である、ダビデの若枝Xは、何故悲惨な、不条理な死を遂げたのか。神は何故彼を死に至らしめたのか。
それは、彼が帰還民の過ちを担い、犠牲となることで、残された人々が正しい者とされ、平和を得るために、神がなされたのだ、と。 指導者Xは代贖者・仲保者として(53・12b)、まさにイエスと同じ役割を、果たしています。
新しい祝福(54・1〜17)―エルサレムとその周辺への定着
帰還第一陣が受けた危機は、指導者Xの犠牲死により去りました。再び帰還民には奇跡的に平和が訪れます。神の新しい祝福がなされます。捕囚はもう2度とないと、神は約束―平和の契約をします。
54:9
これは、わたしにとってノアの洪水に等しい。再び地上にノアの洪水を起こすことはないと/あのとき誓い/今またわたしは誓う/再びあなたを怒り、責めることはない、と。
54:10
山が移り、丘が揺らぐこともあろう。しかし、わたしの慈しみはあなたから移らず/わたしの結ぶ平和の契約が揺らぐことはないと/あなたを憐れむ主は言われる。
メシヤ契約(55章)―第二イザヤのまとめ
御言葉の力が語られ(55・1〜13)、将来への希望が高らかに謳われます。ダビデ契約を超越した、永遠の(苦難の)メシヤ契約を結ぶと、言います。第二イザヤは、政治的メシヤを願望する申命記史家の立場を超えています。
55:3
耳を傾けて聞き、わたしのもとに来るがよい。聞き従って、魂に命を得よ。わたしはあなたたちととこしえの契約を結ぶ。ダビデに約束した真実の慈しみのゆえに。
55:4
見よ/かつてわたしは彼を立てて諸国民への証人とし/諸国民の指導者、統治者とした。
この啓示は、必ず成就すると、約束します。雨が地を豊にして、必ず天に戻るように。神意必遂の信仰告白です。決して諦めない不抜の信念がユダヤ民族を支えています。
55:10
雨も雪も、ひとたび天から降れば/むなしく天に戻ることはない。それは大地を潤し、芽を出させ、生い茂らせ/種蒔く人には種を与え/食べる人には糧を与える。
55:11
そのように、わたしの口から出るわたしの言葉も/むなしくは、わたしのもとに戻らない。それはわたしの望むことを成し遂げ/わたしが与えた使命を必ず果たす。
以上の様に、第一次帰還者たちは、昂揚した気分の中で、性急にダビデ王朝の再興を試み、失敗しましたが、劇的な、「僕」の死によって、壊滅を免れます。帰還の民は、ともかくエルサレムとその付近に定着する道が開かれます。しかし、周囲の占拠外国人の反対で、神殿は再建出来ません。
ダビデ王家の復興を願う、申命記史家グループはこれに屈せず、約20年後、再び政治的独立と神殿再建を企図するに至ります(ハガイ2・20〜23)。この政治的メシヤ擁立は失敗しますが、神殿再建は成功し、祭司的メシヤが誕生しやがて祭祀共同体が成立します。
次回はそのハガイ書を見ます。
※1、祭儀を携えて帰国した指導者―首長シェシュバツァル、エズラ5・13
エズラ記.5:13
しかし、バビロンの王キュロスはその治世の第一年に、この神殿の再建をお命じになった。
5:14
また、ネブカドネツァルがエルサレムの神殿から取り出して、バビロンの神殿に持ち帰った金銀の祭具を、キュロス王はこのバビロンの神殿から取り出し、長官に任命したシェシュバツァルという名の人に託し、5:15 これらの祭具を携えてエルサレムの神殿に行き、そこに納め、神殿をかつてあった所に再建せよ、と言われた。
5:16
そこで、そのシェシュバツァルはエルサレムに来て、その神殿の基礎を据えた。そのときから今に至るまで建築は続いており、まだ完成していないのである。
※2、苦難の僕のモデルは?―新約聖書に生き続ける
苦難の僕とは誰か。ユダヤ教では、神の民イスラエル。キリスト教では新約のイエスキリスト。これをもう少し発展させて、今歴史の中で色々な形で苦しめられている人々も含めて、苦難の僕とした。「苦難というものをこのように、この世界の救済に役立つべき手段として、熱烈に栄光化した」のが、第二イザヤと、マックス・ヴェバーは言っています(古代ユダヤ教、岩波文庫、888頁参照)
歴史的には、苦難の僕のモデルは、ヨヤキン王或いは、孫のゼルバベル
(歴上3・19)という説もあるが、年齢的に無理で、上記※1の首長シュシェバツァルではないか、といわれます。
「旧約聖書の中心」、156頁、木田献一著によると、ユダの首長、長官、シェシュバツァルは、苦難のメシヤのモデルで、ダビデ王朝の復興を期待された。首長として、第一次帰還したが、すぐに抹消された(エズ1・11b、エズ5・13)のは、第二イザヤに指導されてイスラエルの政治的独立を図り、ペルシャ官憲に殺されたとされる。捕囚となった、ヨヤキン王(エコンヤ)の四男シェンアツァル(歴上3・17)がシェシュバツァルといわれる。
旧約の歴史の中では、メシヤ像は、ダビデの栄光のメシヤ像―政治的メシヤから、自己犠牲としての苦難のメシヤ像、或いは宗教的メシヤに変化が見られます。イザヤ書では、平和のメシヤ(第一イザヤ11・1〜9)が、第二イザヤでは、苦難のメシヤになり、第三イザヤでは、解放のメシヤ像として描かれ(61・1)、民を解放する自己犠牲的なカリスマ的救助者が真のメシヤの姿とされるようになります。