人生の深淵に立ちて
 
 今晩は求道者の方に対して、私の体験を通して、キリスト教信仰について
根本的な事柄を全く遠慮なく申上げ
たいと思います。
元来私は貧乏育ちと申すか、町場の家庭即ち商売人の家に生れたものですから、
小さい時から世間にもまれたので、多少人間というものを知っているのであります。
それで言葉もお話の内容もごく下世話に砕けた、上品ならざるものがありますので
お許しをお願いいたしたいと思います。
 私はどなたも経験される様に、十二三歳になって来たときに人生の淋しさ
というものを朧気ながら感ずる様に
なって来ました。
私の両親の両親までは分っているけれども、その先はと考えると限りない昔の事が
思われるし、私の来るべき人生、その極の死、そして死んだ後はどうなるのであるか、
時間というものの不思議、そしてこの生きている足場の地球と太陽系、
これを包蔵している大宇宙、星の世界、そこに空間の不思議があり、この時間と空間の
交叉しているところに、これを不思議がっている自分が居る。
自分は一体どこから来てどこに行きつくか知らない。その淋しさ、その孤独、
それは墓場を通る静寂にも似ている。
又その不安は知らぬ夜道を辿っているその不安にも似ている。この不安は両親も知らぬ。
友人にも分かって貰えぬ、誰にも分かって貰えぬ悲しさでもあった。
私は春の日長になった午後の一刻、誰も家に居ない室で時計がユックリと
時を告げている音を聞いているとき、畳にひっくりかえって淋しい言いようのない心を感じた。
六月の祭のとき、肉縞絆(じゆばん)の玉乗りの子供達の事を考えながら、
ジンタのメロディの流れを背に夜空の星を眺めて帰った日の物淋しさを今も忘れることが出来ない。
秋の木の葉の落ちるを見、空から無数に降って来る初雪のうすら寒い日に鳥の声を耳にすれば、
芭蕉ならずも「枯枝に烏のとまりけり秋の暮」が分かるのでありました。
 
 寂漠、荒涼、孤独も私共の若さ、成長、ハチ切れそうな四肢の欲求と運動にまぎらわされ、
運動選手の無邪気、快活な四六時は確かにまぎらしてくれるがそれも一時にすぎない。
やがて私たちは肉体が大人になるにつれて子供の時から持って来た大きな悩みに襲われるのである。
それは何人も逃れることの出来ない肉慾の悩みであり、性慾の問題である。
 人間の意志の問題は強くても知れたものである。肉慾、性慾の力にはかなわない。
生きて行く、ということは決して抽象的のことではなく、単なる思索でもなく、飲食の事、
睡眠の事と同様に、肉慾の圧倒的な力は、各人の青春に君臨せんとするのである。
 明治、大正の文豪で、又キリスト教の感化を受けて独自の文学的地歩を保つ徳富健次郎
即ち蘆花の書いたもの
に、自分は真に意志の弱い青年であったが兄の蘇峯は意志堅固で、
十五歳にして天下国家を論じ常に人の首(かしら)に立っていたので、兄の前に出ると、
どうしても頭が上らず、すくんだ様になるのを常としていた。
自分は異性に対しても肉慾的にも、誘惑を感じていたが、兄は異性に対してニコリともせず、
いつも女性を見下して卑しんでいた。
或時私は兄の室に入って行くと、兄は留守で机の上に書きかけの日記が置いてあったので、
好奇心に駆られて悪いこととは思いつつも頁を繰って読んでみると、驚いた事にあの金仏の様に
固い意志と表情の兄が悩んでいるのは肉慾の問題であり、異性に対して私と同じ悩みを持って居り、
只独りでいる時に肉慾に負ける自分の意志の弱さを実に切々たる名文をもって漢文口調で
毎日の様に書き綴っていることを発見した。
私は見付からぬ中にとこの部屋をソコソコに出たが、あの謹厳そのものの兄の悩みを知ってから
自分はもう兄と別な人間でない事を知って、それから兄を親しみの情をもって見る様になった、
と申して居ります。
 
 私はクリスチャンであって、日本の数少ない国際的人物であり、北大の生んだ偉大な日本人であった
新渡戸稲
造先生が告白されたものを見たのに、
彼は少年の時まことに意志が弱くいつも肉慾に負けて自分を自制することが出来なかった、
いつもいつも誰もいない時に誘惑に負けた。
自分の近眼はこの少年時代の不節制の原因に負うところ大である、と申されており、
私は烈しい人間の悩みが彼の如きものにもあったと云うこと、
しかもあの様な美しく高く清い人格に、徳富蘆花にせよ、新渡戸先生にせよ、造り変えられた秘訣を、
後になって生けるキリスト・イエスを信ずる様になってから分かったのであります。
 
 人間は元、神の前に裸であったのであります。アダムとイヴとエデンの園で神の命令に叛かぬ前は
平気で裸で
暮しておったのであります。
けれども一度神の目から隠れんとした時に裸ではおられなくなった、それで着物を着けたのであります。
しかしそれで解決は出来ませんでした。
 私達の血管にはこの始祖の血が流れているのであります。人は裸を見たいのであります。
人間は男でも女でも裸の姿を見たいと思っているのであります。
かくして恥ずべく隠れたる事に惹きつけられるのであります。「君子は其独りを慎む」と支那の
孔子は言ったが、君子ならざる凡人は人に見られては恥ずかしいのであるが、隠れてものをしたいので
あります。
小児の時から隠れて物を食べるとか、かくれていかがわしい本を読むとか、かくれて困ることをするとか、
は誰でも強く経験することであります。そして一方その隠れたものを見たいという衝動も強いのであって、
人の秘事や裸の姿を見たいのであります。今日、ストリップショウや映画の裸の場面や、
他人の赤裸々なものを見る仕掛が刺戟に麻痺した文明の裏面をなしているのであります。
私は約九年間の戦争の経験において、軍隊とその制服のもとに行われた
現地に於ける戦場の人間性の中に、どれ程多くのゆがめられた人間の姿を見たことであるか、
戦後のアプレゲールと称するものは実は人間の世界の本態であって、問題は人間その物にあるのである。
 人間の理性力や意志の堅固さや、道徳というものは何人でも頼りになる強い力のように思うけれども、
人間の肉慾や感情に打勝つものではない。
戦争はこれを明らかにした。ロシヤの大文豪レオ・トルストイの一生は正に人類の人道主義者
としての最高峯と申すことが出来る。
彼の晩年の偉大なる作品である「復活」は、主人公の貴族ネフリユ−ドフが学生時代に
自分の大農園に遊びに来て、小作人の娘カチューシャの寝室を遇然外から窺き、
丁度寝間着に着かえるときの姿に劣情を起し、遂に其娘の一生を破滅に陥れた。
しかも自分は全くその罪を知らずに平気で暮していたが、後年はからずも堕落したカチューシャの
陪審官として法廷に立ち、その可憐なる乙女カチューシャを今日の罪人にした原因が自分にあることを
知ってネフリュードフの一生は全く急転し、その罪の許しと解放の為にシベリヤに流される
カチューシャの橇を引いて行かざるを得なくなった物語であります。
老年になっても壮健で肉と霊との二つの間に苦しんでいた大トルストイが、実に生々しい筆致をもって、
ネフリュー
ドフが劣情に負けて行く姿や心を描き、あくまでもその犯した過失を雪(すす)がんとして
良心の道を進む有様こそは、トルストイの所謂宗教論として又「芸術論」 として
一貫している思想と悩みであった。
又彼の 「我が懺悔」 とか、「クロイツェル・ソナタ」を読んで、何人も人間の肉慾の前に
自己の破滅を感じないものはありますまい。
 
トルストイの悩みは遂に救いを得なかったのでありますが、それは道徳や芸術や即ち文学は絶対に
人生のその深
い淵「滅亡」の淵の暗黒を前にしては、人生を解決し、これを救うものではない
ということを示すものであります。
 真剣な作家は皆、この暗黒の淵に辿り着いて死んで行ったのであります。有島武郎にしても、
芥川竜之介にし
ても太宰治にしても、又最近に於ては原民喜にしても、皆そうであります。
私は中学四年生の時、有島氏が「放浪者」という題で講演されたのを聞いたが、
人間は真剣に良心の声のままに生きようとすれば三日と生命が続かないと言われた言葉を忘れません。
太宰治が「人間失格」 の中に彼自身が神の前に、本来の人間としての失格であるというと共に、
世間の人間共から見て、そんな無良心な仲間と一緒になれないという意味での失格を叫んでいるのを見ます。
群像の五月号に、(昭和二十六年)原民喜の遺稿の「心願の国」というのを読みますと、目に見ゆる世界、
この冷え切った地球に絶望して、西荻窪と吉祥寺の間の電車道に毎日の様に死場所を探しつつも
尚彼は「調和が何時かは地上に訪れて来るのを僕は随分昔から夢みていた様な気がする」といったり、
「雲雀は高く高く一直線に全速力で無限に高く高く飛んで行く、そして今はもう昇って行くのでも
落ちて行くのでもない。 
ただ生命の燃焼がパッと光を放ち既に生物の限界を脱して雲雀は
一つの流星となっているのだ。
あれは僕ではない、だが僕の心願の姿にちがいない。僕は歩み去ろう、今こそ消え去って行きたいのだ。
透明の中に、永遠の彼方に」、ここで彼はパスカルの言葉を引用している。
「我々の心を弱め、我々の咽喉を締めつける一切の悲惨を見せつけられているにも拘らず我々は
自らを高めようとする抑圧することの出来ない本能を持っている」と。
 文学の世界は元来が人間中心の世界なのであるから、いわゆる色と慾を中心として丁度昔
東海道の宿場で女を
拐かす雲助や、胴中の財布を窺うゴマのハエが見ている世界と遠くないのであり、
人間そのものが如何に「しぶとい」自己中心の代物であるかを明らかにしたものである。
それ故に、この事実から如何にもして我が人生や、我自身が抜け出られないというならば
いくらでもこれと調和出来る。
又妥協して恥としない宗教や道徳が生れて来るのである。残念ながら東洋の宗教や道徳、
従って日本の宗教や道徳は、正にこの深刻な人生の事実に対して正しい道を開いていなかったのであります。
 東洋道徳と早婚、一夫多妻主義、妾を持つということ、男尊女卑の考えは今日も決して消えていない。
蒋介石や毛澤東の伝記を読んでも、彼等が一夫多妻の社会から脱け出る為に随分苦心しているのを見ても
分ります。
仏教は肉食妻帯を禁じて全く逃避せんとしており、出家遁世が僧侶である。何の解決もありません。
親鸞上人が比叡山で修業中、朋友の僧侶達が坂本の宿の女買いに夜山を下りて行くことを見て、
法然の下に他力の宗教を慕って下山したことは理由のないことではありません。
アンドレ・ジイドの「背徳者」を読んでもカミユの「ペスト」から見る人間観にしても、私は形式的な宗教、
偶像として神に対して人間の尊貴と人間の至上、人間の理性の勝利を、即ち人間性の中に一切が
許されている様に見えるのであるけれども「心願の国」は聖なる者によらずしては来ないのである。
 
生ける真の神は実はこの人生の深い根本的な事実と悩みに対して、聖なるものは聖なるものの意志から
生れる、その恩寵を以て解決を与え給うたのである。
これは神の独子、イエス・キリストを信ずる信仰の道であります。これは上よりの光なのであります。
理解でも哲学でもありません。
 
イエスの言葉は実に神の厳しさを以て人間の良心を両刃の剣でさし貫かねばやまぬのであります。
マタイ伝第五章の二十七節二十八節に於てモーゼの十戒「姦淫する勿れ」の戒律をその行為の根源に遡って、
其心の動機と人間の本質に於て捕らえ、凡ゆる君子人に迫っているのであります。
「義人あるなし、一人だにあることなし」と叫ばしめずにおかないのであります。
これは、この問題は自己の存在の亡び、魂の滅亡に関する問題だからであります。
二十九節以下に於て、片目になっても片手になっても全身全霊地獄に落ちぬ方が益であるとして、
滅びの恐ろしい事を警告しているのであります。
旧約聖書の箴言の六章三十二節にも「婦と姦淫を行ふ者は己の霊魂を亡ぼし、傷と凌辱(はずかしめ)を
受けて其恥を雪ぐこと能はず」と書いてあって、妥協を許さない烈しい言葉であります。
 
生ける神の存在の前に我々人間は隠れることが出来ないものであって、イエス・キリストの父なる神は
聖なる
神であるのであります。
この聖なる神は又我らの父であり、恵の神であることを現し給うたことは即ち今から一九五〇年の昔、
ユダヤの国のナザレ村に育ち給いしイエス・キリストによって知るのであります。
 私達は聖書を読むことによりイエス・キリストの御人格とその三十三年の生活と彼の業と彼の言葉と
遂に彼の
十字架にかかりて死に給いし事実と、
死して三日目に甦り給いし事実を知るのであります。しかもキリストを信じ彼の為に生き又死んだ多くの証人の
事実によって、又自分の小さい生涯と毎日の祈の中に、今なお我らの中に生きて働き給う聖霊を通して
イエスを愛するのであります。
 
 イエスは全人類の中に唯一人の罪なき聖なる存在であったことを、私達は知るのであります。
シモン・ペテロが初めてイエスに会った時、その御姿と業とによってイエスの膝下に平伏して「主よ、
我を去り給へ、我は罪ある者なり」と告白せざるを得なかったと同様に、彼の前に出る時何人も、
「我は罪人なり」と告白しない訳にゆかないところの、彼は真に罪なき方であったのであります。
故にイエス・キリストは神の独子、神そのものなのであります。
 淫欲を伴わず肉の願によらずして生れたるものを聖なるものとせば、処女マリヤより主イエス・キリストが
生れ給うたという信仰は、聖(きよ)き御(み)国、神の治め給う天よりのこれを信ずる者に与えられた
信仰の秘義である。
実際私達は決してこの肉体とこの世界とを離れて物を考え、物を理解し、物を納得するということが
出来ないのであります。自分の経験や思索を外にして何事も出来ない人間が、イエス・キリストは
処女マリヤより生れ給うたということを信ずる聖き信仰は、只自己の深い罪、救われない罪を自覚して、
ただイエス・キリストを仰ぐ時にのみ「アーメン」といって肯く事の出来る信仰なのであります。
「かかる人は血筋に依らず、肉の願によらず、人の欲によらず、ただ神によりて生まれしなり」 
「言は肉体となりて我らの中に宿り給へり、我らその栄光を見たり、実に父の独子の栄光にして
恩寵と真理とにて満てり」とヨハネ伝第一章に記してあるのはそのことなのであります。
 
 ここに於て、私達は生れながら肉のままでは如何なる決意も如何なる意思も如何なる人間の工夫も
努力も克己
も修養も、聖なる神の前に罪と滅びから逃れることは出来ないのであって、
只独子イエス・キリストの聖なる愛と聖なる御意志と聖なる選びによって神がイエス・キリストの十字架の
審きと許しとを通して私達を罪に死せしめ新らしく生れしめ、神の子となし給う恩恵と信仰を識らねばならぬ
のであります。
 イタリー、アシジの聖フランチェスコは今から約七七〇年前の人であり、始めは決してセントではなかった。
父は富裕なる呉服商で彼は若い時はおシャレで金遣いの荒い不良青年の団長であったのが、
アシジとベルギャの
戦争で功を立てんとしたりして、二十二歳の頃大病にかかり、初めて肉の体から
霊の世界に目を開かれ、病の癒ゆると共に一切のもの、その着ている着物まで脱いで裸となり、
二十八歳の時(一二一〇年)十人の同志と共に、清貧、貞潔、服従、の共同生活に入って、
ポルチウンクラ会堂に於てあの鳥や獣までも来って、その教に従い、キリストの十字架の痕を身に帯びて
奉仕の生涯を走り、聖なる者にせられたのは実にこの証であります。
セント・オーガスチンの生涯を見ても分る様に人間の堕落を力強く認めることなしに、人生の深い淵に
佇み正に死
の淵に身を投げんとする者に非ずして、
イエス・キリスト、罪なき神の独子による罪の許しの福音を信じて、神に依って生れたる聖き生涯に
進むことは出来ないのであります。
私達の感謝しなければならないことは、処女マリヤより生れ給いし聖き神の御子を信ずる事に依って、
私達の人生は新らしきものに変り、
我はあくまでも罪人として懺悔の日々を送りながら、何時も光の中を歩み、聖(きよ)き者に聖くせられ、
イエス・キリストの御感化によって聖き志に生きるということであります。
 
 信仰は修養ではありません。信仰は活ける神、聖なるイエス・キリストの感化により光を浴びること
であります。
イエスは、「潔(きよ)くなれ」といわれてしばしば病める者を癒(いや)し給いました。
 あの有名なヨハネ伝第八章十二節で姦淫の女の石で打たれ様とするのを救い、これを許し給うた後に
「我は世の光なり、我に従う者は暗き中を歩まず生命の光を得べし」、と人々に語り給うておられます。
私達はイエス・キリストの愛と光の中に歩む時にのみ、聖くなることが出来るのであります。
人生の深い悩みは解決されるのであります。
 
 人生の深淵は又こうも言えます。それは「人間は虚偽を言う」という事であります。
動物にはない人間のみの
現象であります。
子供のときから、虚言を言う。人間とはそも何であるか、心と言葉、心と行為、二重の心、二重の人格、
裏と表のある人間、両極端に生きる人間、私はこれが社会の罪か、人間の宿命か、人間性の故か、
大きくは国際間に、人間同志に、我自身に、一つとして信ずべき何物もない虚偽、そこには、日本も、
世界も、社会も築くことは出来ない。本日は時間がないので詳しくお話は出来ませんが、
私達は如何にしてかこの虚偽から救われたいのであります。
「噫(ああ)、我悩める人なるかな、此の死の体より我を救はん者は誰ぞや」とロマ書第七章廿四節に
絶叫しているパウロに今更の様に共感し、「今やイエス・キリストに在る者は罪に定めらるることなし、
キリスト・イエスに在る生命の御霊の法は、汝を罪と死との法より解放したればなり」と感謝する外は
ないのであります。
 
 今日ここにお集り下さった皆さんがどうか新しい生命の発足をイエス・キリストに来る事によってこの教会で
共に聖書を研究し、祈りの生活を励み、同じ聖き志に進むことによって根本的に自己の生活を悔なき者と
すると共に、愛する祖国を神の御心の行われる国にしたいものであります。
 
                         (一九五一年五月一二日、於札幌北一条教会)



アクロバットファイル