2000.5.28
イエス様の証人となる(使徒行伝1:6〜11)
イエス様をキリストだと信じることによって、誰でも救われます。「彼(イエス)を受け入れた者、すなわち、その名を信じる者には神の子となる力を与えた」(ヨハネ1:12)とあるとおりです。
その救われた者に、イエス様は使命を与えたいと願っています。イエス様が復活なさったとき、弟子たちに対して、“父が私を遣わされたように、今度は私があなた方を遣わすのだ”と言われ(ヨハネ20:21)、その使命を果たすために聖霊を受けよと、命じておられます(ヨハネ20:22)。
イエス様は、見ることの出来ない神を顕わしてくださいました(コロサイ1:15)。「私を見た者は父を見たのだ」とも言われました(ヨハネ14:9)。つまり、イエス様が天の父から受けた使命は、父を顕わすことでした。
天の父が生きておられるまことの神であること、その天の父は御子(イエス・キリスト)を十字架につけて人類の罪を赦すほどに愛してくださっている方であることを、イエス様は顕わしてくださいました。その使命のバトンは、イエス様を信じる私たちに渡されています。
永遠の昔から神の子であったイエス様は、マリヤの胎を通して世に来られました。しかし、キリストとして活動を開始されるとき、聖霊を受けられました(マタイ3:16)。イエス様は神の子であっても、父の使命を果たすためには聖霊の内住を受けなければなりませんでした。
私たちも、イエス様を信じて神の子として生まれた時点で救われて、永遠の生命を受けました。しかし、「父が私を遣わされたように、あなた方を遣わす」と言われたイエス様の御心に従うためには、私たちにも聖霊の内住が不可欠です。
イエス様は、十字架で死なれる以前では、ご自分がキリストであると伝えることを、極力制限なさっています。マルコによる福音書では、@いやされたライ病人に対して(1:44)、A汚れた霊に対して(3:12)、B死人からよみがえらさた少女の両親に対して(5:43)、Cいやされた聾唖の人に対して(7:36)、Dイエスをキリストと告白した弟子たちに対して(8:30)、Eイエスが栄光の姿に変貌したことを目撃した弟子たちに対して(9:9)、いずれも、イエス様のことを宣べ伝えてはならないと命じています。
それは、聖霊によってはじめて、イエス・キリストを正しく理解して宣べ伝えるためです。その聖霊は、@イエスの言葉を思い起こさせ、Aイエスについて証しをし、B真理に導き、Cイエスに栄光を得させます(ヨハネ14〜16章)。
人間の一時的な感動や浅薄な理解で、イエス様のことを宣べ伝えるなら、その内容は歪められ、人間的な自慢話(イエスに栄光を得させない)になったり、異なった信仰(異端)になってしまいます。2000年来のキリスト教は、逸脱した時代もありましたが、宗教改革や様々の聖霊刷新運動によって、イエス様のことが歪められることなく、今日まで宣べ伝えられているのは聖霊の働きによるのです。
イエス様が裁判を受けているとき、偽りの証人たちは、次々とイエスに不利な証言を語りました。そのような時こそ、イエス様について本当の証言をすべきはずのペテロも、イエスを否んでしまいました。だからこそペテロに、いいえ私たちにも、聖霊の内住が必要なのです。今日もなお、聖霊を受けて、「イエス様の証人」となって働く人を、神は求めておられるのです。