月刊紙「収穫の時」

1997年2月号 、Vol.131 より


神様の息吹、聖書を読もう!!
-- ハーベストタイムUSA 稲葉 寛夫


一、神の言葉は不思議な力

聖書を読んで、あまりインパクトを受けなかった方、おられますか。実は私が、その一人でした。学生時代、英語の教授が、「これからの時代、活躍したかったら、聖書を読みなさい。私はクリスチャンではないが、そのことだけは、はっきりとわかるんだ」と言い、夏休みの宿題は、聖書を読んでリポートを書くこととなりました。されど、残念ながら当時の私は、読んでも、強いインパクトは感じませんでした。
それで、リポートを書くためにと読んだ三浦綾子さんの本(旧約聖書入門)を通し、偏見が消え、その後、あるクリスチャンとの出会いを通して、私は信仰を持ちます。それからは、俄然、聖書が面白くなりました。ロシアの文豪ドストエフスキーが、死刑判決を受け、後に恩赦されるまでの獄中での四年間を、「聖書一冊あったのでとても充実した」と言った気持ちがわかるようになりました。そして今回、聖書を読むことが、さらに大好きになってしまう方との出会いがありました。

その方は、聖書のセミナーを行なったら、今、アメリカで最も人気が高いと言われるケイ・アーサー女史です。初めてケイ・アーサー女史と出会った場所は、三百人あまりが列をなす彼女のサイン会場でした。九六年度年間ベストセラー賞(バイブルスタディ部門)にノミネートされた彼女、これまでも三つの作品が、金メダルに輝きました。その秘訣を尋ねると、彼女は、「神の言葉には、力がそなわっています。その神の言葉にひたり、自信を持って伝える時、不思議な力が解き放されていきます」と、情熱的に話してくれました。

二、離婚、不倫、元の夫の自殺・聖書の奥義へ

その後、ケイ・アーサー女史への本格的な取材が許され、テネシー州にある彼女の本拠地を訪ねました。
ケイ・アーサー女史は、夫に暴力をふるわれ、離婚にいたった経験がありました。元の夫が、『自殺するかもしれない』と、電話をかけてきた時、彼女は『すれば』と答えました。当時、教会に通ってはいたものの、儀式的なもので、神様との個人的な関係は持っていませんでした。不倫の関係も、始まっていました。その後彼女は、イエスを自分の救い主と信じ、様々な束縛からも解き放され、神様とつなぐる新しい人生が始まりました。
そして、元の夫に和解を求めようと思った矢先、彼が自殺したと伝える電話を受け取りました。この悲劇をきっかけに聖書にめざめた彼女は、一九七〇年、神の言葉を神の言葉として伝えるプレセプト(神の格言)ミニストリーを創設、以後、帰納法的バイブルスタディの推進者として、世界的にその名を広めます。美しく、広大なキャンパスで、彼女は、聖書の奥義を説き明かしてくれました。彼女が示してくれた聖書の言葉は、次の箇所でした。

 聖書はすべて、神の霊感によるもので、教えと戒めと矯正と義の訓練のために有益です。(II テモテ 3・16)

「神の霊感による」という言葉を、原語から文字通り訳すると、「神の息が吹き込まれた」という意味になります。「聖書は、ただの書物ではなく、まさに、神様の息が吹きこまれた言葉です」と彼女は話します。つまり、聖書を読むことは、人生の知恵を得るだけではなく、神様の息そのものにふれる深い、深い意味を持つ、それゆえ、ペテロたち、世界を動かすことになった使徒たちは、祈りと聖書の教え(使徒6・4)に専念したと彼女は続けます。聖書を読むことが、すなわち、神様と出会い、息そのものにふれることだと、はっきりと認識した時、とても聖書が貴重なものとなるとのチャレンジを、皆様はどのように受け止められますか。

三、「神様、私に話しかけてください」と祈りながら読む

 「私は、クリスチャンでなかった時に、読んでもあまりインパクトを受けなかった。そのような方々に、何かアドバイスはありますか」と質問してみました。彼女は、「私も、クリスチャンになる前、とても退屈だった。全然、面白くなかった」と、あまりに正直な返事。「クリスチャンになった時、目のうろこが落ちたように、初めて、聖書の力に圧倒されたのです。実際、クリスチャンでない時は、目におおいがかけられて、神様の光が見えないようになっています(IIコリント 4・4)。ぜひ、イエス様のことが中心に書いてあるヨハネの福音書から読まれることをお勧めいたします。そして、『神様、もし、あなたが、本当におられるのでしたら、私のことを知り、心配しているというのなら、私に話しかけてください』と、祈ってみてください。そうすれば、神様は、必ず、皆さんが必要なことを話しかけてくださいます。なぜなら、聖書は普通の本ではないからです。聖書は神様の息が吹き込まれたものだからです」と、話してくれました。

 皆様も、是非、このすばらしき、神様の息が吹きこまれた言葉から、皆様御自身への語りかけを受け止めてみませんか。聖書には、私たちに注がれる神の愛、けれども、その神を否定し、自己中心的な道を歩んでいく、人間たちの悲しい本質が書かれています。しかし、神様は愛ゆえに、私たちが裁かれることを望まず、光の子、イエス様を地上に送ってくださいました。イエス様が、私たちの「やみ」の罰の身代わりとして十字架に架かることを自ら選ばれました。そして、この世の「やみ」の力、サタンは致命傷を負います。それ以来、私たちが持つ「やみ」や「心のとげ」を引き受けたイエスの名を信じる時、私たちは、光に包まれた新しい豊かな人生を選びとることができるようになりました。
 そうした神様との出会い、そして、日々私たちのくらしに具体的な光となる言葉が、聖書にはちりばめられています。「もし、あなたが本当に神様ならば、私に語ってください」と祈って、聖書を開けてみませんか。その時、聖書は、私たちの人生への助けとなる言葉、力、そして命の宝庫と変わります。

(『聖書は神の息吹 〜ケイ・アーサーのバイブルセミナー〜』は、今月第4週の放送です。)



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