「言(イエス)は神であった。」(1:1)
で始まり、
「これらのことが書かれたのは、あなたがたが、イエスは神の子メシアであると信じるためであり、また、信じてイエスの名により命を受けるためである。」(20:31)
で締めくくられる、ヨハネ福音書は「イエスは誰であるか」を示すことが目的です。以下の7つはその目的にふさわしいイエスの自己紹介だと思います。
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No.1 「わたしが命のパン」 イエスは言われた。「わたしが命のパンである。わたしのもとに来
る者は決して飢えることがなく、わたしを信じる者は決して渇くこ
とがない。(6:35)
これは、昔イスラエル人がエジプトを脱出して荒野をさまよっていたとき、天から
与えられた「マナ」を連想させます。
イエスのうちには、決して失われる事の無い、魂の充足があります。
No.2 「わたしは世の光である。」
イエスは再び言われた。「わたしは世の光である。わたしに従う者
は暗闇の中を歩かず、命の光を持つ。」 (8:12)
暗闇を歩いている人には、不安、恐れ、悲しみが伴い、罪と偽りが忍び寄って来ます。
イエスの光はこれらすべてを消し去って下さいます。
No.3 「わたしは羊の門である。」
7:イエスはまた言われた。「はっきり言っておく。わたしは羊の門で
ある。
8:わたしより前に来た者は皆、盗人であり、強盗である。しかし、羊
は彼らの言うことを聞かなかった。
9:わたしは門である。わたしを通って入る者は救われる。その人は、
門を出入りして牧草を見つける」
(10:7−9)
このイエスの言葉は有名な詩篇23篇を連想させます。
「主は羊飼い、わたしには何も欠けることがない。
主はわたしを青草の原に休ませ/憩いの水のほとりに伴い」
(詩23:1,2)
羊は羊飼いに従って門を通って行かなければ、牧草を食べることができま
せん。同じように人はイエスという門を通らなければ、いのちを得ることは
できません。これは人を不自由にするのではなく、正しい場所へ導くためな
のです。
No.4 「わたしは良い羊飼いである。」
11:わたしは良い羊飼いである。良い羊飼いは羊のために命を捨てる。
14:わたしは良い羊飼いである。わたしは自分の羊を知っており、羊も
わたしを知っている。
15:それは、父がわたしを知っておられ、わたしが父を知っているのと
同じである。わたしは羊のために命を捨てる。(10:11,14−15)
あなたがたは羊である、というメッセージを聞くと、「俺たちはそん
な弱虫じゃねえよ。」と嫌悪感を抱く人も少なくないでしょう。むしろ
狼のように一匹でも生きていける、と思っておられるでしょう。人間が
いかに無力な存在であるかは、それを体験してみないとわからないかも
しれません。病気に対して、死に対して、罪に対して、天災に対して、
人は無力です。そのことを知る医師は、謙遜にも「病気を治すのはあな
たの体であって、私はそのお手伝いをするだけです。」と言います。
我々は、何かに生かされているのだ、と感じられないでしょうか。
中東の過酷な自然の中で、ユダヤ人は自分の無力さと生かされている
ことを実感しています。ですから、神が我々にとって羊飼いであるという
たとえは、体験的に容易に理解できたでしょう。
そして、「羊のために命を捨てる」という言葉どおり、イエスは十字架で
私たちの罪のために死んで下さいました。
No.5 「わたしは復活あり、命である。」
25:イエスは言われた。「わたしは復活であり、命である。わたしを信
じる者は、死んでも生きる。
26:生きていてわたしを信じる者はだれも、決して死ぬことはない。こ
のことを信じるか。」(11:25−26)
イエスの与える命は肉体の死を超越して永遠に続く命です。
肉体の死は恐れる必要がありません。希望があります。
No.6 「わたしは道であり、真理であり、命である。」
イエスは言われた。「わたしは道であり、真理であり、命である。
わたしを通らなければ、だれも父のもとに行くことができない。 (14:6)
独善的なようですが、これが真理です。いや、イエスは事実、独善なの
です。イエス・キリストを無視しては、真理にも命にも到達できないので
す。イエス・キリストを無視することが、すでに罪であり、死であり、滅
びの道に通じているからです。
No.7 「わたしはぶどうの木である。」
わたしはぶどうの木、あなたがたはその枝である。人がわたしにつながっ
ており、わたしもその人につながっていれば、その人は豊かに実を結ぶ。
(15:5)
枝がきれいな花を咲かせ、おいしい実を実らせるのは、しっかりした幹と根
があるからこそ。目に見えないところで栄養を運んでいます。私たちは生かさ
れて、人生の美しい花を咲かせ、豊かな実(愛、喜び、平和etc.)を結ぶために
は、神から豊かな養分を頂かねばなりません。