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「わたしは..である」(ヨハネ福音書にみるイエスの自己紹介)

 ヨハネ福音書の中には、イエスご自身がどのようなお方であるかを、その当時の人々の身近なものを題材にして実にわかりやすく教えて下さった記事が多く記されています。それは今の私たちにとっても難しい哲学や神学ではなく、感覚的に理解できるものではないでしょうか。

 「言(イエス)は神であった。」(1:1)

で始まり、

 「これらのことが書かれたのは、あなたがたが、イエスは神の子メシアであると信じるためであり、また、信じてイエスの名により命を受けるためである。」(20:31)

で締めくくられる、ヨハネ福音書は「イエスは誰であるか」を示すことが目的です。以下の7つはその目的にふさわしいイエスの自己紹介だと思います。

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No.1 「わたしが命のパン」

 イエスは言われた。「わたしが命のパンである。わたしのもとに来
る者は決して飢えることがなく、わたしを信じる者は決して渇くこ
とがない。(6:35)

これは、昔イスラエル人がエジプトを脱出して荒野をさまよっていたとき、天から
与えられた「マナ」を連想させます。
イエスのうちには、決して失われる事の無い、魂の充足があります。

No.2 「わたしは世の光である。」

 イエスは再び言われた。「わたしは世の光である。わたしに従う者
は暗闇の中を歩かず、命の光を持つ。」 (8:12)

暗闇を歩いている人には、不安、恐れ、悲しみが伴い、罪と偽りが忍び寄って来ます。
イエスの光はこれらすべてを消し去って下さいます。

No.3 「わたしは羊の門である。」

7:イエスはまた言われた。「はっきり言っておく。わたしは羊の門で
ある。
8:わたしより前に来た者は皆、盗人であり、強盗である。しかし、羊
は彼らの言うことを聞かなかった。
9:わたしは門である。わたしを通って入る者は救われる。その人は、
門を出入りして牧草を見つける」 (10:7−9)

 このイエスの言葉は有名な詩篇23篇を連想させます。

 「主は羊飼い、わたしには何も欠けることがない。
  主はわたしを青草の原に休ませ/憩いの水のほとりに伴い」
  (詩23:1,2)

 羊は羊飼いに従って門を通って行かなければ、牧草を食べることができま
せん。同じように人はイエスという門を通らなければ、いのちを得ることは
できません。これは人を不自由にするのではなく、正しい場所へ導くためな
のです。

No.4 「わたしは良い羊飼いである。」

11:わたしは良い羊飼いである。良い羊飼いは羊のために命を捨てる。
14:わたしは良い羊飼いである。わたしは自分の羊を知っており、羊も
わたしを知っている。
15:それは、父がわたしを知っておられ、わたしが父を知っているのと
同じである。わたしは羊のために命を捨てる。(10:11,14−15)

 あなたがたは羊である、というメッセージを聞くと、「俺たちはそん
な弱虫じゃねえよ。」と嫌悪感を抱く人も少なくないでしょう。むしろ
狼のように一匹でも生きていける、と思っておられるでしょう。人間が
いかに無力な存在であるかは、それを体験してみないとわからないかも
しれません。病気に対して、死に対して、罪に対して、天災に対して、
人は無力です。そのことを知る医師は、謙遜にも「病気を治すのはあな
たの体であって、私はそのお手伝いをするだけです。」と言います。
我々は、何かに生かされているのだ、と感じられないでしょうか。

 中東の過酷な自然の中で、ユダヤ人は自分の無力さと生かされている
ことを実感しています。ですから、神が我々にとって羊飼いであるという
たとえは、体験的に容易に理解できたでしょう。

 そして、「羊のために命を捨てる」という言葉どおり、イエスは十字架で
私たちの罪のために死んで下さいました。

No.5 「わたしは復活あり、命である。」

25:イエスは言われた。「わたしは復活であり、命である。わたしを信
じる者は、死んでも生きる。
26:生きていてわたしを信じる者はだれも、決して死ぬことはない。こ
のことを信じるか。」(11:25−26)

イエスの与える命は肉体の死を超越して永遠に続く命です。
肉体の死は恐れる必要がありません。希望があります。                   

No.6 「わたしは道であり、真理であり、命である。」

 イエスは言われた。「わたしは道であり、真理であり、命である。
わたしを通らなければ、だれも父のもとに行くことができない。 (14:6)

 独善的なようですが、これが真理です。いや、イエスは事実、独善なの
です。イエス・キリストを無視しては、真理にも命にも到達できないので
す。イエス・キリストを無視することが、すでに罪であり、死であり、滅
びの道に通じているからです。

No.7 「わたしはぶどうの木である。」

 わたしはぶどうの木、あなたがたはその枝である。人がわたしにつながっ
ており、わたしもその人につながっていれば、その人は豊かに実を結ぶ。 (15:5)

 枝がきれいな花を咲かせ、おいしい実を実らせるのは、しっかりした幹と根
があるからこそ。目に見えないところで栄養を運んでいます。私たちは生かさ
れて、人生の美しい花を咲かせ、豊かな実(愛、喜び、平和etc.)を結ぶために
は、神から豊かな養分を頂かねばなりません。