2002年7月28日(日)

「唯一神信仰と人間尊重」

山崎 明(元久礼教会牧師)

     



 唯一神信仰は慰め豊かな福音をもっています。今回は私が担当する最後のラジオ説教としてその福音に触れて終わりたいと思います。
唯一神信仰は神は唯一であるという信仰です。この「唯一」とは単にたった一つということではなく、「独自」ということを意味しています。神様は独自な存在であり、ユニークな方です。この場合のユニークは、日本語の語感が持つ「面白い」ということではなく、「独特」ということです。さてこの場合の唯一とはナンバーワンとしての意義を持つひとつなのか、オンリーワンとしての意義を持つひとつなのか、どちらなのでしょう。私たちの神様はナンバーワンなのかオンリーワンなのかという問題です。

 この問いの信仰的意義はこういうことです。神様がナンバーワンであるということは、複数いる神々の中でその先頭にあるということです。
つまり他の神々と比較したとき負けることなく、抜きんでているということです。この考え方は聖書的でしょうか。聖書全体からいうとむしろこの考え方は異教的なものではないでしょうか。つまりそれは多神教を前提にして考えられています。
聖書はむしろ他の神々といわれるものは真の神ではなく、偽物であり、偶像であるといいます。このことはイエス・キリストについても言えます。主イエスは修行を積み、人類の中で最も神に近い者となったという意味合いで神の子なのではありません。イエス・キリストは独特の意味合いで神であり、人間であるのです。神はナンバーワンとしての神というよりも、むしろオンリーワンとしての神です。オンリーワン、たった一人ということこそ神の唯一性を表しています。
オンリーワンとしての神は空虚な意味での唯一ではありません。それは孤立ではないのです。むしろ豊かな意味で唯一なのです。その唯一性はイエス・キリストにおいて地上に現実のものとして現れました。イエス・キリストにおいて最も知られている唯一性とは、神が罪の赦しを与えてくださる唯一の方であるということです。他の偶像の神々はもちろんこのような罪の赦しを与えてくれません。神は多くの人間の身代わりに独り子イエス・キリストを十字架につけ、罪の償いの生け贄とされました。イエス・キリストが私の代わりに十字架についてくださった救い主であるということを信じることによって罪の赦しが与えられるのです。

 この罪の赦しこそ、私たち一人一人の人格がオンリーワンとして認められる始まりです。罪の赦しが与えられることによって私たちは神様の喜びのうちに生きることそのものが許されます。
神様は私たち一人一人の人格を受け入れてくださり、個性あるものとして活かしてくださるのです。その始まりがイエス・キリストによる罪の赦しにあります。それは唯一の神様御自身が「私の目にあなたは価高く、貴く、私はあなたを愛し、あなたの身代わりとして人を与える」と言われていることから知ることができます。
「あなたの身代わりとしての人」とは主イエスです。あなたとはあなたなのです。一人一人の個性の重視や人格の尊重の問題と唯一神信仰は、主イエスへの信仰において結び付いているのです。これが唯一神信仰のもつ福音です。

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