月刊紙「収穫の時」

1999年 3月号 、Vol.156 より


 


イエス・キリストの愛と恵み

(平安と希望と喜びの人生)

公認会計士 梅 津 善 一

(99年1月第3週放映)





 
**最愛の姉の死と空しい人生**

 私が幼稚園の時に、最愛の姉が十二月のクリスマスイブに亡くなりました。姉が死んだ時のことは、つい昨日のことのように思い出します。私は、この最愛の姉の死を通して、人間は死んだら何処へ行くのか、ということを考えるようになりました。

 大学時代に、クリスチャンの友人に誘われて教会へ行きましたが、イエス・キリストのことがわからず、救われませんでした。私は、何かりっぱなこと、何か良い行いをして胸を張って神の前に出ていこうとしていたのです。大学卒業後、私は五回目の受験でやっと公認会計士二次試験に合格し、充実した人生を送ることが出来ると期待しました。しかし、仕事に追いかけられ、疲れるばかりでした。私は仕事の失敗を恐れ、人を恐れていました。人をねたみ、人を裁き、平安がなく、心は飢え乾くばかりで、酒もたくさん飲むようになりました。私は、これではいけないと思い再び聖書を読み始め教会へも行くように示されていました。しかし、なかなか行くことができませんでした。
 


**自分の罪深さと十字架の恵みを知り救われる**

 そんなとき、次女が小児ゼンソクになり、私たち親子は夜中に救急病院へ駆けつけることが多くなりました。そして、家内が疲れ果ててしまいました。家内に聖書を読むように勧めましたがわからなかったようです。頑なな私も、やっと千里ニュータウンバプテスト教会へ行きました。そこで、牧師の小川先生に導かれて救いの福音がはっきりとわかりました。神に逆らっているこの私を神様が愛してくださっていることを知りました。私に必要だったのは、自分のプライドを捨て悔い改めることでした。私は、自分の罪を認めて悔い改めて、イエス様を私の救い主と信じ受け入れました。私の罪が赦され、神様の子供とされ、永遠のいのちが与えられました。私は、イエス様の十字架の愛と恵みを覚え感謝と喜びに満たされ、涙が止まりませんでした。

 私は、イエス様の十字架の恵みを覚える時に、古い自分(罪に支配された自己中心的な自分)が弱くなり、新しい人(御霊に支配された人)が強くなるという原理を、少しづつですが体験するようになりました。恐れ、不安、ねたみ、人を裁く心、いらだち、お酒、また様々な囚われ、といったものから徐々に解放されていきました。代わりに、愛、平安、喜び、希望、力、慎み、自由が与えられました。救われる以前は仕事に疲れていました。イエス様の十字架の贖いによって救われた今は、以前の何倍もの仕事をさせていただいていますが、平安と希望と喜びがあり、以前のように疲れることはありません。確かに、神を恐れるようになると、人を恐れなくなります。また、私たちを閉じこめている様々な思いや囚われから解放されて、自由になります。生まれながらの私の内には、人のことを思いやる愛はありませんが、イエス・キリストの十字架の愛を覚えるときに、神の愛を覚えます。神を愛するようになると、恐れはなくなり、他の人のことを思
いやることができるようになります。

 主は、私の家族をも救いに導いて下さり恵み祝福して下さいました。家内は一九八六年に私と同じ日に救われ、その年に二人一緒にバプテスマの恵みにあずかりました。あの時が、私たち夫婦の主イエス・キリストにある本当の結婚だと思います。その後、子供三人と私の両親、家内の実家の家族七人全員が救われました。今は、幼い二人を除き全員がバプテスマの恵みにあずかりました。

 ふたりは、「主イエスを信じなさい。そうすれば、あな たもあなたの家族も救われます。」と言った。(使徒16・31)

 私は、仕事を通してたくさんの人にお会いします。このチャンスを無駄にしないように、一人でも多くの方にイエス・キリストの救いの福音を伝えることができるように祈っています。

 私は、少なくても一日に一人以上の方に、トラクトを渡したり、イエス・キリストの救いの福音を証し出来るように祈っています。主は、私の祈りに、いやそれ以上に応えて下さり多いときには二、三人以上に証し出来る恵みにあずかることもたびたびあります。

  しかし、聖霊があなたがたの上に臨まれるとき、あなたがたは力を受けます。そして、エルサレム、ユダヤとサマリヤの全 土、および地の果てにまで、わたしの証人となります。」(使徒1・8)



**イエス・キリストを目指してまっしぐらに走る**

 私の人生については神様のご計画があり、私の計画ではなく、神様のご計画だけが成就していきます。私は、私の走るべき道のりを主イエス・キリストを目指してまっしぐらに走り抜けていくことができるように祈っています。何時の日にか、イエス様に目と目を合わせてお会い出来る日を待ち望んでいます。

 キリストは、万物をご自身に従わせることのできる御力によって、私たちの卑しいからだを、ご自身の栄光のからだと同じ姿に変えてくださるのです。(ピリピ3・21)私は、弱い罪人ですから、すぐに自分の考えや自己中心的な思いが出てきて失敗することがあり、心がくじけることがあります。また、イエス・キリストを証しすべき時に証し出来ないことがあります。そのような時にいつも弱い私を励まして下さる次の聖書の御言葉で、私の救いと信仰の証しを終わります。

 しかし、主は「わたしの恵みは、あなたに充分である。というのは、わたしの力は、弱さのうちに完全に現れるからである。」と言われたのです。ですから、私は、キリストの力が私をおおうために、むしろ大いに喜んで私の弱さを誇りましょう(第2コリント12・9)

 言葉で言い表せない主イエス・キリストの愛と恵みと祝福に感謝し、主の御名を賛美します!





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