1997年 11月号 、Vol.140 より
遊び人から
キリストへ
米カリフォルニア在住 飯田克弥
飯田克弥さんは、ロサンゼルスのフラー神学校で勉学中。先月放送した『性ー聖書の教える幸せな関係』で、誠実な証しをしてくださいました。三年前に聖書を楽しく学ぶ集まりを始め、週末には多くの若者たちが集い、現在は三ヵ所で行うほどに成長しています。克弥さんの人生体験は、現代の多くの若者にアピールしているようです。 (ハーベストUSA 稲葉寛夫)
■悪友とともに
大学に入った時に一人の悪友ができ、彼は毎日私を遊びに連れて行ってくれました。彼がよく言っていたことは、「人生一回しかないから、遊ばなあかんよ!」それで昼はパチンコ、麻雀、夜にはナンパやパーティー…街にくりだし酒を飲み、女の子と遊んでいました。今楽しければそれでいいと思うようにしていました。しかし大学生活も終盤に入り、将来の選択を迫られました。(1)サラリーマンになる。(2)家業を継ぎ、金を稼ぎ、大きな家、幸せな家庭を築き、地位と名誉を得る。(3)どうせ一回しかない人生、遊んで遊んで快楽を求め続ける。以上三つの選択肢です。
■カナダに留学
ちょうどその時、カナダ留学という話が与えられました。少しは外国にも住んでみたいと考え、軽い気持ちで留学を決意しました。しかし実際行ってみると、そこは私にとって地獄のような所でした。
日本人はその町に私一人、周囲は完全な英語の世界、みんなが楽しそうに食事をしているのを横目に、一人ぽつりと食べることも多くありました。毎日二箱ほど煙草を吸っていた私には、校則によって煙草が吸えないことは非常な苦しみでした。言葉に加えて生活文化もわからず、三歳の子供に戻ったような情けない毎日でした。電話のかけ方も知らず、また言葉がわからないゆえに馬鹿にされたり、授業は全くついて行けず…と数えるときりがありません。
■求めなさい。そうすれば与えられます。
精神的にもどん底でした。ある日、一人きりの部屋で、本棚にあった聖書に目が止まりました。「求めなさい。そうすれば与えられます。捜しなさい。そうすれば見つかります。たたきなさい。そうすれば開かれます。だれであれ、求める者は受け、捜す者は見つけ出し、たたく者には開かれます。」(マタイ7・7-8)という箇所を読んだ時、わらをもつかむ思いで叫びました。「もし、もし本当に神様がいるのなら助けてください。私の力ではこの状態を変えることはできません!」
■神様との出会い
神様は生きておられます。翌日から「大丈夫だよ!」と後ろで支えている力を感じました。つらい状況は変わりませんが、その都度後ろで誰かが支えてくれます。それが、自分が叫んだ聖書の神様であることに、私は気づいていました。意志の弱い自分でも、神様の前に悔い改め、方向転換をし、神様と共に行ったら、色々なことが可能になるということを、カナダの生活を通して知りました。自分の将来は決まったのです。この神様のために、自分の人生を費やして行きたい!何をしていいかわからなかった私は、自分の人生の目的を発見しました。
■神学校へ
神様に一番効果的に仕えていくためにどうしたらいいか、祈りました。そしてフラー神学校に仮入学(英語力が足りないため、良い成績を取ることを条件に入学)できました。しかし聖書のこともよく知らず、英語もあまり分からないのに、アメリカの神学校(大学院)でいい点数が取れるはずもありません。中間試験の結果はクラスで最低でした。このままでは一学期で退学になります。私は神様に言いました。「こんなのは無茶苦茶です。神様、これはひどいです。あなたが導いてくださったのだから、あなたが責任を取ってください。」ハレルヤ!主はやはり生きておられ、いつも答えてくださいます。こんな私でも一学期を乗り切ることができ、今は卒業を間近にしています。
■悪霊追い出し
私の信仰の歩みは順風満帆だったわけではありません。教えられ、聖められる必要がありました。私の信仰生活に大きく影響した出来事は、神学校のクラスで祈りのミニストリーを見た時でした。教授が祈り始めた時、一人の男性が白目をむき、狼のように口を開き、揺れながら叫び出しました。私は開いた口がふさがりませんでした。今まで、ホラー映画では見たことはあります。そして、聖書の中にもイエス様が悪霊を追い出しているところを読んでいました。しかし私とは関係のない遠い世界のように思っていました。ところが、私の目の前で、悪霊にとりつかれている人が現実にいるではないですか。彼は色々な人の声で話しましたが、教授がイエス・キリストの名によって出て行け、と命じると、悪霊は出ていき、その男性は静まり、別人のようになったのでした。これを目撃してから、私の神様に対する姿勢は変わりました。神様も悪霊も間違いなく存在するのだ。聖書は真実なのだ。これからは私自身も生活を改め、イエス様のことを伝えていかなければと思いました。使徒行伝四章十二節に「この方以外には、だれによっても救いはありません。世界中でこの御名のほかには、私たちが救われるべき名としては、どのような名も、人間に与えられていないからです。」と書いてあります。これは、どんなことをしても伝えなければという熱い思いが与えられました。
■ファンキー・フライデー・ナイト開始
そして始まったのがファンキー・フライデー・ナイト(楽しい金曜の夜)です。九四年十月のことです。楽しく皆で食事をし、友達を作り、そしてイエス様の話を聞こうをモットーに始められました。友達が友達を呼び四十人ぐらいの人々が集まって会はスタートしました。困難もありましたが、多くの仲間が福音にふれ、とりわけ二十人余りの方が信じてくれたことは大きな喜びでした。今は三つのグループに増加し、一ヵ月に一度合同でパーティーを持っています。この会で出会った美貴子とは今年二月に結婚しました。ハレルヤ!どうしようもない遊び人でだらしない私を変え、生かしてくださったこの神様の愛を、二人で協力し、一人でも多くの方々に伝えたいと願う毎日です。