復活の主イエスとの出会い

司祭 パウロ 鈴木伸明

 カルバリの丘で十字架につけられた主イエスは、三時間の苦しみの後、死に渡され、その日のうちに墓へ葬られました。翌日の土曜日は安息日で外出が厳しく制限されていたからです。人々は失意の底に沈みながらも、主イエスへの思いから離れることなく、日曜日を待っていたのです。

 マルコによる福音書は、安息日が終わると、マグダラのマリア、ヤコブの母マリア、サロメが、イエスに油を塗りに行くために香料を買い、朝ごく早く、日が出るとすぐ墓に行ったと記しています。ユダヤの国のお墓は横穴式のもので、その入口は大きな石でふさがれることになっていましたので、彼女たちが「だれが墓の入り口からあの石を転がしてくれるでしょうか」と話し合っていたのは当然のことでした。

 ところが石は既にわきへ転がしてあり、墓の中に入ると、白い長い衣を着た若者が右手に座っているのが見えました。若者は、「驚くことはない。あなたがたは十字架につけられたナザレのイエスを捜しているが、あの方は復活なさって、ここにはおられない。御覧なさい。お納めした場所である。さあ、行って、弟子たちとペトロに告げなさい。『あの方は、あなたがたより先にガリラヤへ行かれる。かねて言われたとおり、そこでお目にかかれる』」と、復活の真実が伝えられることになるのです。

 マルコによる福音書は、この後起こったガリラヤでの出来事について触れておりませんが、ヨハネによる福音書によりますと、弟子の中で最年長者であったペトロはガリラヤへ行き、主イエスと出会う前と同じ漁師に戻っていました。いつものようにまだ暗いうちに漁に出かけましたが、その夜は何もとれませんでした。そこへ主イエスが現れ、「舟の右側に網を打ちなさい。そうすればとれるはずだ」と漁場を教えます。そこで、網を打ってみると、魚があまり多くて、もはや網を引き上げることができなかったと書かれています。ペトロは思い出しました。初めて主イエスと出会った日のことです。その時も夜通し働いたにもかかわらず何の収穫もありませんでした。そこへ主イエスが来て、「沖に漕ぎ出して網を降ろし、漁をしなさい」と言ったのでした。ペトロは「先生、わたしたちは、夜通し苦労しましたが、何もとれませんでした。しかし、お言葉ですから、網を降ろしてみましょう」と謙遜な態度を見せ、そして網が破れそうな大漁を前にして、主イエスの弟子となる決心をしたのでした。ペトロの心に、主イエスと共にいたときと同じ勇気と希望が再びわきあがって来たのでした。

 このような体験をしたのはペトロだけではありませんでした。私は復活の主イエスに出会ったと言う人が次々に現れました。皆主イエスの十字架に失望し、悲しみの底に沈んだ人たちでしたが、僅かのうちにそれが希望と喜びに変えられて、再び集まってきたのでした。これが復活の主イエスとの出会いなのだ、これが真実として実際に起こったのだ、私たちはその証人なのだと語っているのです。

 復活の主イエスは悲しみの底に沈んだ人々を起き上がらせました。私たちが悲しみに遭う時、人間の力ではどうにもならない時、主イエスは私たちに希望と勇気を与えてくれます。主イエスの復活によって、罪の結果である死もまた滅ぼされること、神はどのような悲しみも必ず喜びに変える力を持っていることを私たちにはっきりと示してくださったのです。ハレルヤ


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