first page          
  
  

    
          聖書各巻の解説
  
  旧約聖書
  

創世紀
 神による天地創造のいきさつ。人を造られたが、サタンの暗躍により、言いつけに背いて知恵の木の実をたべてエデンから追放された。その後も息子が嫉妬から弟を殺し、また天使達が人間と性交を行い、相次ぐ醜悪事に神の失望と嘆きは増すばかりであった。神はノアに箱舟を造らせ、全地に洪水を起こし一旦人を聖絶された。その後神は空の虹を指して、自らが人を愛し通す覚悟であるという胸中を告白なさるのであった。しかししかしバベルで人々は塔を造って神への挑戦の意志を示したため、またまた、神は悩まれ言葉をみだして人を民族に区分けし居住地を散らして反乱を予防された。
 一方神はアブラハムに自らを打ち明け、彼におそらくはシュメール人達の帝国からパレスチナへの移住をめいじそののちはもっぱら彼とその子孫とのみ対話なされた。イサク、ヤコブやその妻達といった子孫の人生が描かれ、兄弟の陰謀からエジプトへ連行されそこで出世したヨセフは逆に父を救出する。ヨセフの死をもってこの驚くべき一大叙事詩は完結されている。その文章の美しさは圧倒的であり世に比肩するものがない。 

出エジプト記
  さて神をせんど失望させたイスラエル人達は結局エジプトで奴隷となっていたが、神はモーセを召し出され民族をかつてアブラハムのすんだ地へ戻すよう命じられた。イスラエル人達は四十年アラビア半島をさ迷ったあげくついに乳と密の流れる地、カナンへと帰還した。出エジプト記からヨシュア記まではその話を軸に様々の神と人とのドラマを描いている。


レビ記
 神はモーセとアロンを通じてレビすなわち選ばれた祭司達にイスラエル人達に守らせるべき律法を告げられた。たくさんある。安息日とか。 

民数記
  

申命記
  


ヨシュア記


士師記


ルツ記


サムエル記
1
2


列王記
1
2


歴代誌
1

2


エズラ記


ネヘミヤ記

エステル記

ヨブ記
サタンが直接神と対話する内容は、ここだけにしかなくその文書としての価値は計り知れない。ヨブの信仰は自己利益のためであって、本当の神への愛でないとして、つめよりヨブを攻撃し神を呪わせる。しかし神はそうと知りつつなおヨブを赦し、励まし、祝福された。
詩編

しん言
  人生の訓戒である。浮気の禁止など。でも私には言わ
れなくてもしそうもない事ばかりだ。

伝道者の書
 昔からわたしのように人からはなれ、朝から晩まで人生を思索する変人はいた。これは昔いた私のような人がおそらくは人生の秋に語ったじんせいろんである。全体が詩のように歌われており内容は般若心経に似ている。ブラームスの交響曲四番を聞きながらしみじみこの枯淡の境地を味わうべきである。多く学べば体が疲れるとかいてある。私も最近は無茶はしない。


雅歌
  男女の恋の歌である。
イザヤ書
  ここからは預言書である。イザヤ書は最大最重要かつ最も説明しにくい。

エレミヤ書

哀歌
  エレミヤの嘆きの歌である。
エゼキエル書


ダニエル書


ホセア書

ヨエル書

アモス書

オパデヤ書

ヨナ書
  ニネベに預言に行けと言われにげだしたヨナは鯨に飲まれ吐き出され、で結局ニネベ行って人々を改心せしめたが、多少変わった人らしく最後もむくれていた。
ミカ書

ナホム書

ハバクク書

ゼパニヤ書

ハガイ書

ゼカリヤ書

マラキ書

 

  新約聖書


マタイ福音書
 福音書とはイエスの伝記である。前の三つは共観福音書と呼ばれ、ヨハネ伝は第四福音書とよばれる。マタイ伝は旧約の預言の成就に言及が多い。伝統的にカトリック教会ではマタイ福音書に特別の地位があたえられてきたが、
今では著者が使徒マタイであったと考える学者は少ない。

マルコ福音書
  一番最初に出来たとされている。簡素で力強い。

ルカ福音書
  聖母と親交があったとされる医者ルカによるものとされている。イエスの幼少年期の記述に独自のものが多い。ギリシア語の文章がきれいである。

ヨハネ福音書
  ロゴスの受肉の話からはじまり最初から神としてのイエス像を語っている点から、もっとも後に成立したとされる。ラザロの復活などここだけに出る大事な話もある。
 
使徒行伝
  イエスの死後、聖霊の下った弟子達は人がかわったように猛烈に布教しだす。パウロがいよいよ登場。改心とその後の異邦人伝道。パウロもそうとうの変人であるから簡単にはその思想はつかめない。


ローマ人への手紙
  ここから十四通の手紙はパウロによるとされてきたものである。ただしいくつかの文書はそうではない。ローマ人への手紙はローマに暮らすキリスト教徒への手紙であり、かつて律法が重視されたが、それよりもよりいっそう今、信仰を重視すべきこと、割礼について、生活の方針についてキリスト者としてのモラルについて福音にそって具体的なアドバイスを行っている。それにとどまらず、例えば自分が良いと認めている事によってさばかれない人は幸いです。といった言葉にはパウロがその後の時代によりいっそう進行することになる霊魂と人格の乖離まで見て取っていたような調子があり、今世紀のR.D.Raingの人間関係論やのJ.P.Sarterの思想まで想起させるものがある。

コリント人への手紙
1 信仰によらない哲学や思想の空しさ、質問のあった結婚と男女問題についての解答、13章の有名な愛についての教えなど。
2


ガラテヤ人への手紙
ユダヤ教徒時代の自分、改宗、ペテロとの交友と確執、信仰義認論、など。

エペソ人への人紙


ピリピ人への手紙


コロサイ人への手紙

テサロニケ人への手紙
1
2

テモテへの手紙
1
2

テトスへの手紙

ピレモン人への手紙

ヘブル人への手紙

ヤコブの手紙
弟子ヤコブによるものとされてきた。人は行いによって義とされるのであって信仰だけによるものでもない。世を愛せば神に敵対する。誓うなー神を自己主張の証人とするなという意味で、普通の意味と違うー。信仰による祈りは病気を治す、など。

ペテロの手紙
1
2

ヨハネの手紙
三通ある。使徒ヨハネによるものだと今でも言う人もいる。
1 兄弟のためには命も捨てる覚悟を持つべき事。人が愛しあう所に神は有る事。
2 婦人と子供へ。愛しあうべき事。
3 ガイオへ。教会で出世したがる人への弾劾。


ユダの手紙
イスカリオテでない方のユダによるものとされてきた手紙、サタンにたいするミカエルのレスポンスの記述など偽典外典にもないものであるが。それを見習えと彼は言う。そんな天使のやるようにやれいうてもなぁ。

ヨハネ黙示録
60年頃成立したとされる。著者は使徒ヨハネといわれてきたことはきた。ヨハネはエーゲ海の小島に流刑されそこで世の終わりについての神託の幻を見たという。最初は小アジアの七地方の教会への訓戒から始まり、六章以下が問題の読解不可能の終末についての記述である。通常はローマ圧政のメタファーとされる。これを文字通りにとれば余りにも危険であるのでそう指導するのだが、勿論学者がいうだけの話で真相は分からない。四頭の馬、様々の大災害、ふたりの証人、神の子を生む女、大いんぷの裁き、千年王国、最後の審判
とまともに読んだら腰が抜けそうなど迫力の話が延々とつづいていく。
 ゼカリヤ書等からの引用が多いとされる。似たとこは多い。モンタナス運動から最近のフレンチダビディアンの集団自殺に至るまで、歴史的に本書を文字通りとって、勝手に狂ったり死んだ人は数知れない。最初マルキオンが聖典性を否定し、ルターは本書を注解から外し、ブルトマンにいたっては、ナショナリズムを見たのかわずかにキリスト教化されたユダヤ教と断ずる始末である。教会や大学者、聖人でさえとても手に負えないのだ。命の書など聖書のみを研究するだけの学者にはとても扱えない難解な超ヒューマニズムの思想も頻発する。だが人は誠意をもって本書に接するべきであり、自分らのセクトや時代に都合の良いテキトーな解釈を妄信すべきでない。