日本画家・名倉弘雄の作品集





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アートの話を中心にその時々の思いを綴る




< How to live ? > is my subject matter.
And I will show you my identity.
As an artist and as a human being.





画家の眼 ①


 21世紀を迎えてほぼ10年が過ぎようとしている現在、巷には様々な情報が氾濫し、無意識のうちにその渦に巻き込まれている自分にハッとすることがある。情報化時代の今、その情報をいかにコントロールして生きていくかが求められる時代(俗に言うメディアリテラシー)でもある。絵画においてもさまざまなジャンルの作品に溢れ、画家をめざしている若者にとって指針をどこに持っていったらよいか迷う難しい時代に入っている。とは言いながらいつの時代においても大なり小なりこのような問題は存在するものである。芸術活動は前の時代にそのまま戻ることはあり得ないので、時の流れをよく理解をして先へ々と取り組む必要がある。時代の最先端で活動しているのが現代美術(Contemporary art)である。一般的には理解薄のところがあるが、世界規模で考えてみるといろんな都市で・・・ビエンナーレとか・・・トリエンナーレといった大規模の現代美術展が開かれている。町や都市おこしの一環として開催されている美術展のことである。これらの活動は今の世相を反映したグローバルなものが多く美術家をめざす者にとっては大変参考になるものである。オーソドックスな日本画をやっている私にとっても関心の高いイベントでもある。自分の作画に対するヒントをこの現代美術から得ることが多い。これと同じように参考にしたり、注目をしているものにメディアアーチストの作品やアウトサイダーアーチストの作品がある。自分には表現できない力強いものをもっているからである。 話は変わるが、最近気掛かりな事柄に触れてみようと思う。私は現在日本画の公募団体の代表を務めているが、ここ数年若い作家の出品がめだって少ない現象が生じている。公募展無用論が叫ばれるようになった時世の影響かなと思ったりしているが、よくは分からない。美術系の大学は繁盛しているのにもかかわらず、何処に彼らが流れていくのか不思議でたまらない。 私の知る限りでは他の団体でも同じような現象が見られるようである。洋画、日本画を問わず公募展出品者が減少している。団体展に所属せずに【手っ取り早く結果を求める】個展主義に走る傾向があるのかも知れない。             
                                         2009.09.21


 国や県サイドの文化芸術に対する施政に変化が伺える。一般社会の行き過ぎた競争・市場原理を文化芸術においても求めようとする観が強く感じられるからだ。政府が先行きの分からない芸術文化に大きな予算を計上したくない気持ちは分からなくもないが、目先だけの狭い考えで文化芸術を捉えるとしたら日本の将来にとって大きなマイナスになると思われる。
 戦後、国による展覧会(官展)は廃止されたが、まだまだ今までの既得権が存在しており、不公平な現状が続いている。芸術院賞や芸術院会員の問題など一部の作家を国が擁護し、終生褒賞金を与えるシステムはどう見てもおかしい。・・・新政権はこの分野においてももっとメスを入れてもいいのではないだろうか。         

                                         2009.10.18


 公募団体展の運営に携わっていて一番頭を悩ますのが運営資金の問題である。公募展を開催するということは、会の大小関わらず必要経費はほとんど同じくらいかかるものである。特に小さな団体ではこの問題が維持管理の上で大きなネックになる。公共の文化事業に対する補助金を頼みにしているのが現状である。2009年公共事業の財政が大幅に落ち込んでいる現在、それを期待する方が無理なのかも知れないが、本年度公共事業が提案した補助金申請の審査基準で気になることがある。基準は【 ①先駆性、実験性 ②国際性、発信性 ③将来性 ④貢献度】 と示されているが、これらの内容は明らかに現代美術を意識した内容のものであり、従来からある我々のようなオーソドックスな活動は度外視されている観が免れない。2009年の緊迫した財政の中、文化芸術の補助においても競争原理を持ち込む気持ちは分からなくもないが審査基準があまりにも偏っているのは不公平な対応である。
 現代美術は公共が支援するというのがグローバルになってきてはいるが、既存の活動も支援していくというバランスが施政にはほしい。日本の伝統美術を軽んじた対策は日本文化のアイデンティティーを失うことになる。

                                         2009.10.25


 2009年 第15回 秋の創日展を 11/01(日) に終了することができた。中日新聞に掲載されたこともあり、予想を上回る来観者があった。これはこれでよい成果として捉えていいものであるが、展覧会を運営する側としては少し気掛かりな反省点が残る。出品作品の質の問題である。小綺麗にはできているが、作者の心情が希薄な作品が多く、習作的なものが多かったことである。公募展としての主義主張が余り期待できなかったことが反省として残る。うまい絵とか売れるような絵が良い絵と勘違いしている向きもあるので出品者の意識改革をしていかないといけない。この反省点を来年度の本展に向けて生かしていきたい。

                                          2009.11.02                                        


 絵の見方、とらえ方は様々な観点があるので一言では言い尽くせないものである 。こちらを強調すれば、あちらが立たずで、結局は抽象論になってしまう。現代美術家の元永定正氏が言っているように 【 絵は上手・下手ではなく、良い・悪いで評価するべき 】 なのかも知れない。しかしながら、作家と鑑賞者の認識のズレは歴然たるものがあるので難しいところだ。

                                          2009.11.11                                        


 【 アートを身近に・・・不況で冷え込む美術界の起爆剤になるか 】・・・の中日新聞の記事に目が止まった。美術鑑賞を身近にする試みとしていろいろな分野からの支援活動の紹介が記されていた。今まで見られなかった新しい傾向である。日本人も生活に余裕ができてきた証拠かなとうれしく思う。
 反面、一片の危惧も感じとれる。アートが身近になりすぎると今度は商業美術化することが懸念されるからだ。作家が精根こめて作り上げたひとつ一つの作品が次から次へと消費されてしまうことだ。新しいものをどん゛とん作っていかないと追いつかなくなる。芸術活動が商業化することの怖さである。

                                          2009.11.17                                      


 最近の紙面は現代美術オンパレードの様相を呈している。美術館や画廊のような狭い空間ではなく、大きな公園や町を取り込んで大規模に活動を展開し、【 何十万人の市民が参加をしてアートを楽しんだ 】 というような記事をよく目にする。 art というよりも entertainment の意味合いのものが多いのが気になるところである。 art を身近にといううたい文句はよいのだが、あまりにも art からかけ離れたものが多いからだ。かっての1960年代アメリカで流行したハプニングの域を脱しきれていないきらいがある。

                                          2009.11.22                                        


 芸術作品で分かりやすいというのは重厚さを欠く意味があって考えものである。多少分かりにくい、しかも意味不明な方が深みが増すものである。職人わざの絵はうまく描かれているが、絵としてはよい絵とは言わない。アーチストとアルチザンの違いである。

                                          2009.11.29                                        


 【よい作品とはどんな作品をさすのであろうか】 と言った問いがあるとすると・・・、きっと多くの作家は自分にはない不思議な魅力を持った作品だと言うに違いない。作家は自分にはないものを新鮮な驚きでもって自分の作品と見比べるであろうから・・・ピカソはアフリカの彫刻に感動して『アビニヨンの娘たち』 を制作している。亜欧堂田善は蘭学の書物の絵に感動して独自の絵を描いている。これらは共に新鮮な驚きが作画の発端になっている。

                                          2009.12.15                                        



 日本においてインターネットを毎日利用してい人々の数が以外に少ない現状がある。利用する年齢層もかなり偏りがあり、日本人の多くはテレビ・ラジオと新聞・雑誌等による情報しか見聞きしていない。即時性の高い情報を得ていないためにそれらのニュース記事を鵜呑みにしている場合が多い。良い悪いは別としてこれからの社会は確実にインターネット人口が増えていくと思われるから、今以上に多様性のある社会になるのではなかろうかと思われる。情報を統制することができなくなることが予想される。ひとり一人が自己責任でその情報をキャッチして社会参加をしていかなければならない。

                                          2009.12.21                                        



 紙を使わない電子書籍なるものが流行の兆しを見せている。少し前には電子手帳や電子辞書などが流行しているが、その発展として出てきたものと思われる。新聞業界をはじめ各出版業界などは死活問題にも発展しそうな出来事である。その傾向はすでに現れている。新聞や書物等が電子書籍になれば省エネにも関係してくることでもあり、よい面も備えているが予期しない不安材料も多く残る。絵の分野においても紙や麻布を使わない電子画面(ディスプレー)だけの絵画が出現してくる可能性も大きい。すでにその方法で制作している作家もいる。これが一般化してくると生き残れない分野も出てくる。まさに一寸先は闇のような様相である。

                                          2009.12.27                                        



 一芸に秀でた人は一芸に終わらず他の分野にも秀でた人が多い。岡本太郎氏のピアノも然り、池田満寿夫氏の小説や映画なども然り、南方熊楠氏の語学の才能も然り、・・・頭脳の働きが連鎖反応的に開花するのだろう。ここまで行かないとほんものと言わないのかも知れない。

                                          2010.01.01                                        



 芸術活動も商業主義の波にのみ込まれると芸術的価値が半減するような気がする。すばらしい作品も金銭感覚で評価されている現在、何か純粋性を失っているきらいがある。芸術活動は職業化をしてはいけないのではないだろうか。

                                          2010.01.09



 大自然の一部を布で覆い被してしまう 『梱包作家 』 として知られるアメリカのクリスト(妻のジャンヌ=クロードとの協同で)は制作の為の巨額の資金を外部から一切支援を受けずに行っていたようだ。もし本当だとしたらすごいの一語だ。芸術に賭ける気力と情熱は学ぶべきものがある。

                                          2010.01.16



 政治と芸術は一見すると関係なさそうで、どっこい密接な関係がある。我が国においては第二次大戦中、戦争絵画なるものが国民の意識高揚に利用されてきた事実がある。ピカソのゲルニカも然りである。制作のテーマは時代の政治色をよく反映するものである。

                                          2010.02.01


 暗澹たる時代には暗い絵が多いと思いきや、かえって明るい絵が多いものである。作家は紋切り型のとらえ方をしない逆説的な発想で展望を開くからであろう。

                                          2010.02.09


 絵空事という言葉があるが、今の政治はまさにこの言葉にぴったしの状況だ。芸術活動は現実と理想のギャップが大きいほど効果があるが、政治の世界は考えものだ。


                                          2010.02.22



 最近の日本は何かに付けもて自信を失っている状況だ。ハングリー精神が欠如している所以かも知れない。しっかり努力をすれば報われる社会になることと夢がもてる社会になることが先決だ。


                                          2010.03.11



 完成度が高いということはよいことではあるが、いつも同じ完成度を求めているとアルチザンの技になってしまう。新しいものを創っては壊し、壊しては創るような更なる発展を創造することが芸術活動では大切ではないかと思う。常に新しい表現を追求したピカソや5年周期で大転換をした加山又造の取り組みに共感を持つ。


                                          2010.03.25




 今の日本では英国の哲学者ベンサムの唱えた《 最大多数の最大幸福 》の概念が通らなくなってきた感じがある。多数派(マジョリティー)と少数派(マイノリティー)の力関係がほぼ対等になり、多数決による採択が難しくなってきた。今の政治を見るとそのことが如実に現れている。お互いに折れ合うことをしないと共に不幸になる。


                                          2010.03.28




 日本の現状が全ての分野においてこれだけ落ち込んでくると、流石に我々の芸術活動にも大きな影響が見られる。余裕のない状態では絵どころではないといった社会状況が公募団体展を運営しているとよく分かる。先日の審査会の結果から思うことであるが、出品を控えたりする者や制作に十分な取り組めができないために作品の質が低下している者など顕著な変化が見られる。


                                          2010.04.07




 ブログやホームページが簡単に出来てしまうこともあり素人の美術愛好家が公募団体展に専門家紛いの取材をし、その記事を写真入りで公表してしまう違法行為が目立つ。主催者に無許可で写真を載せ、美術評を書くことは著作権侵害にあたる行為である。それに気づきもしないで、しかも、親切行為と解釈している一部のマニアに注意を促したい。(取材の自由は認めるが展示作品については所属団体に帰属するものであり、また出品者の了解なしには公表することはできない。著作権侵害にあたるものである。)


                                          2010.04.25




 早世の詩人画家 [槐多の素描90年ぶり公開]・・・・のタイトルで中日新聞の一面にトップ記事として掲載されているのを読んで・・・・・
 三河地方(岡崎)にゆかりのある画家として前々から興味関心をもっていた画家ではあるが、個人的には評価はまわりが騒ぐほどのものを期待していない。90年ぶりの素描は確かに19才にしてはよくできてはいるが、おどろくほどのできばえとは思えない。このくらいのものを描ける作家はその当時においてももっと沢山いたはずである。それなのにこれだけ騒がれる画家になったのは彼のもっている他の才能に関係があったように思えてならない。特に彼の生存中に取り巻いていた環境が従兄弟の山本鼎をはじめ、詩人で彫刻家である高村光太郎ありきでその当時の著名な芸術家の交流による関わりがこれほどの寵児に祭り上げた結果ではないだろうか。作品数が少ないだけに美術関係者や美術投資家の絶好の対象となっている。夭折の画家村山槐多が長生きをしていたら果たしてどんな評価を受けただろうか興味津々たるものがある。



                                          2010.05.09





 5月15日の中日新聞の夕刊に愛知県にゆかりのある現代美術家の桑山忠明氏の帰国回顧展の記事が載っているのを見て、同じく同県にゆかりのある荒川修作氏の近況に思いを寄せていた。その数日後にはその荒川修作氏の訃報をインターネットで知ることになるとは・・・。彼らを生んだ愛知県では今年、愛知トリエンナーレの開催年でもあり、偶然の一致としか思えないような衝撃を受けた。愛知県出身の現代美術家が世界に向けて発信をし、それが世界規模で通用することを実証した両氏である。荒川修作氏には心より哀悼の意を表したい。また桑山忠明氏には今後の躍進をお祈りしたい。同県民として、また同じ芸術活動に携わる者として。


                                          2010.05.20




 またもや訃報の記事に接することになった。 5月27日の中日新聞朝刊に記載された美術評論家針生一郎氏の死亡記事に目が留まった。私が大学で美術を学んでいた頃、美術専門誌や美術雑誌等でいつも名前の出てくる評論家で否応なしに彼の美術評論は目に入った。反権威的な思想は若き頃の美術家をめざした我々には大きな共感を持ったものである。私は一時期前衛美術の思想に大変興味をもった時期があり、兵庫県で吉原治良氏を中心に結成した具体美術には注目していた。この活動の評論も確か、針生一郎氏が書いていたように記憶している。アメリカの抽象表現主義の影響を強く感じとるこの具体美術の活動は私にとってもよい勉強の場にもなった。アクション・ペインティング、ハプニング、ランド・アートなどといった先端的な活動は、私が美術教師をしていた教育現場でも実際に生徒達と共に行っていた。校舎建て替えの教室を使ってアクション・ペインティングやハプニングの学習を体験させていた。また砂の芸術として河川の河原を使ってランド・アートを体験させていた。その当時の教育現場ではこのような活動の理解は全くなく異端視された苦い思い出がある。しかしながら、その実践した活動の中で今現在でもこの活動を受け継いで続けている貴重な学校がある。その学校は私が命名した●●●●校アースワーク展としてその後、40年以上も途絶えることなく学校行事として続けている。愛知県岡崎市内にある学校のことである。これらの活動の根本思想は当時の美術専門誌『美術手帳』に書かれていた針生一郎氏らの唱えた前衛美術の論評に影響するものが大であった。その当時は、針生一郎氏の他、東野芳明氏や瀧口修造氏などの論客がいて私達に影響を与えた前衛美術評論家がいたことも特記したい。



                                          2010.05.27




画家の眼 ②


 6月14日のニュース記事 【 パリでクリスティーズのオークションに掛けられるモディリアニの作品。 約48億4000万円で落札された。落札価格は事前予想の約4億5000万~6億7000万円を大幅に上回った 】 を読んで思うこと。
 モディリアニ独特の表現である細長い顔の頭像で、そんなには大きくない、どちらかと言うと小品の作品である。これ程の高額で取引されているのを見て猜疑心を感じると共に、一美術品がこれだけの経済効果を生んでいることに驚いた。芸術と商業化は相容れないものと持論を持っているだけに、この記事を見てこれが現実なのかと目を覚まされたような感じがした。


                                         2010.06.15



 今流行のアップル社製の iPad を購入して、インターネットや メールの送信、音楽などを楽しんでいる。新しい形のパソコンの1つと捉えている。パソコン好きで有線ランで4台のパソコンを各部屋で利用している。 iPad は今出版業界で問題になっている紙を使わない書籍として今後利用価値が期待できるということで、早速購入したものである。有線ランから無線ランに切り替えて設定する必要があり、大変かなと思っていたが割と簡単に設定出来た。一昔前と比較して今は、ランの設定も簡単にできるようになった。時代の進歩の早さにびっくりした。まだ紙を使わない書籍としては機能していないが近いうちには日本でも活発化してくるものと期待している。


                                         2010.06.24




 世の中の変化はいつの時代でも起きているが、ただ違うのはテンポの速さが急激なのが今の時代の特徴なのかも知れない。職種を見ても時代とともに消えていくものや新しい職種が生まれてきたりで、うかうかしていると生き残れない厳しい時代である。いつも先を読んだ生き方をしていかないと取り残される。調子がいいと言って、それをいつまでも同じ調子で繰り返していると必ず転落の道が待っている。常に新しい変化を追求していかないと時代の波に乗れない。これは企業人だけの話ではない。我々の行っている日本画の創作活動にも言えることだ。伝統を大切にすることは言わずもがなであるが、それに固執し過ぎると古い絵画になってしまう。たとえ日本画であっても今の時代の絵を追求しなければならない。古い主題や題材を扱っても今の時代の絵を描かなくてはならない。明治時代の絵と今生きている時代の絵は当然違うものでなくてはならない。そこに作家の思想が大きく作品に反映してくるものだ。ただの上手な絵にはそれがないことに大きな問題点がある。


                                         2010.07.01




 今日は参議院の選挙日である。現政権の初めての審判を仰ぐ選挙でもある。政治と芸術は関係なさそうに見えるが、実は深い関係があることを前の稿でも述べているので詳細については割愛したい。
現政権の民主党はどちらかと言うと社会主義的な考えが随所に見られるのに対して、自民党はアメリカ追随の市場主義の考えが基盤になっている。
 この2大政党のどちらに国民の審判がくだるのか大変気になるところである。明るい日本の未来を託せるのはどの政党であるのか判断に迷うところだ。私自身の支持政党を述べずにこの記事を書くのは大変失礼な事とは思うが、立場上省かせて頂く。ただ言えるのは、夢の持てる社会、努力をすれば報われる社会の実現に向けた取り組みが着実にできる政党は、どれかを選ぶ視点にしたいと考えていることである。


                                         2010.07.11




 参議院選挙の結果ほぼ予想していたような結果であった。民主党の敗北は選挙前に消費税の問題を取り上げたからだと言った風評が大半をしめるが、私は必ずしもそれが原因だとは思っていない。国益を損ねるような政策の推進や政治と金の問題、議論をろくにしないで数で押し切る今の政治に嫌気がさしてきたのが大きな原因だと私は見ている。将来に借金を残すようなバラマキ政治では国民の大半は納得しない。言っていることとやっていることのブレがあまりにも大きすぎることが反感をかった原因ではないかと見ている。どの政党にもよい点、悪い点の両方を持っているものだ。それも許容範囲がそれぞれあって国民はその中から支持政党を選んでいるものだと解釈している。


                                         2010.07.19






 久しぶりに他の会の公募展を観に県美術館へ足を運んだ。県美術館のメイン会場での発表であったので実に堂々としていた。大作も多く、バラエティーに富んだ作品群で好感をもったのだが、反面気になる点もあった。展覧会を鑑賞する時は、まず軽く会場を一巡して最初の印象をつかみ、二巡、三巡して個々の作品に触れるようにしている。何度見ても気にとめる作品が私にとってはよい作品であると捉えている。一回目の感動と二巡、三巡の感動はずいぶんと違うものである。ただきれいな作品とか、うまく描けた作品は二巡、三巡すると不思議とスルーしている。私にとって心に残る作品は外面的にも内面的にも共にしっかりしたものを持っている作品に惹かれる。次の作品に期待がもてるかどうかを大切な基準にしている。そのような観点からすると最後に心に残る作品が意外と少なかったのがが気になるところである。


                                         2010.07.25





 愛知トリエンナーレがこの夏8/21に、開催されようとしている。 世界最先端の現代美術の祭典ということで期待と不安の入り交じった雰囲気である。 領域は違うが、同じ芸術活動に関わる者として関心は高い。名古屋は芸所と言われているが、果たして最先端のアートを受け入れるような余裕があるかどうかは疑問である。かっては現代美術を扱う画廊も多く活気が見られた時期もあったが、今としてはどうかなと言った状況である。高度成長時期のような活気が見られない現在では、理解を得て発展していくような状況下ではない。一発勝負で終わるような心配もある。この愛知トリエンナーレが成功すれば我々のようなオーソドックスな活動も伸びていく相乗効果が期待される。愛知県民として、芸術活動に携わる者として手に汗を握るような思いである。



                                         2010.08.19





 8月21日、愛用していた自作パソコンが突如としてハングアップしてしまった。メイン機種であったのでショックは言葉にできないほど大きいものであった。猛暑のせいでマザーボードがオーバーヒートしたようである。データのバックアップをこの1ヶ月ほど怠っていたので被害が甚大であった。このホームページも最近はバックアップしていなかったので、修復が大変であった。自作して8年目を迎えるので、ある意味で寿命であったかも知れない。
 さっそく新しいパソコンを作るために専門店に足を運んだ。余計なものは付けない最小限必要とするパーッを吟味しながら選んだ。マザーボードは最新もので、USB3付きの動作の早いものを選択した。CPUも最新の早いものを懐具合を見ながら選び、特にこだわったのはグラフィックボードである。電源も大切なパートで高級品を選んだ。ハードデスクはアプリケーション用とデータ用に分けて500ギガを2つ総計1テラを決めた。BOXは前のものをそのまま使うことにした。メモリーは4ギガバイトで、OSはWINDOWS 7 プロフェッショナルを選んだ。必要なものは全部そろったので後は組み立てるだけであるが、今回は組み立ててもらうことにした。パーツの相性問題や細かい調整をするには相当な時間をとることになるのでしかたなく依頼した。今まで3台を自分で組み立てているが、使えるようにするにはずいぶんと根気をつめないと完成しないことを身をもって経験しているからだ。今回のパソコンは自作とは言えないが既製品とはひと味違うものになる。


                                         2010.09.02





 5月27日の記事の内容の中で一部誤りがあったので訂正したい。針生一郎氏の現代美術批評は、アメリカの抽象表現主義を扱っていなかったということをある専門誌から知った。針生一郎氏は抽象表現主義の出現をよく思っていなかったようである。そのためか評論は一切していなかった。明らかに私の思い違いであった。それではいったい誰が当時の具体美術評を書いていたのかが疑問として残る。針生一郎氏は一時期、ばりばりの共産党員であったことからアメリカの抽象表現主義の台頭は許せなかったのかも知れない。



                                         2010.09.03





 ホームページを公開しているがその効果は、果たしてあるのか自分でも分からない。自己満足でやっているに過ぎないと自分に言い聞かせながら続けているわけであるが、時々くる読者のメールで励まされることがある。じっくり見ていて下さる方があるんだなあと感激を新たにする。わざわざ感想をメールしてくださる方々に感謝を申し上げたい。自分の生き方に自信があるわけではないが、私と同じような道を選んだ方々の一つの指針になればと思っている。また、絵を諦めずにトライしている方々の参考にして戴ければ幸いである。



                                         2010.09.10





 絵を描いている時に思うことであるが、あまり完璧さをねらわないで完璧の少し手前で仕事を終えたほうが次の進展につながることを経験で知った。発想もよし、構想もよし、構図もよし、配色もよし、制作の取り組みもよし、全体の完成度もよしなどと自分一人ですべてを判断をし、完成に向けて区切りをつけるわけであるが、その時に注意したいことがある。はじめの発想や構想段階の考えを最後までそのまま続けていける場合は少なく、途中で修正を余儀なくさせられることが多いものだ。完成に近づくと少しの修正が全体を狂わせることが多いので特に気をつかう。完成間際は筆を動かすことよりも、じっと眺めて修正すべき箇所を見つけることに時間をかけることが多い。その時に前述した完璧さをねらわないほうがよいということを身をもって知ることができた。完璧はスキのない完全な状態であるから、つっこみができないことを意味する。どこかスキがあったほうが次の仕事につなげることができるからである。完成度が高いことも必要ではあるが、完璧にしてはいけないということだ。次の発展の余地を残しておかないとそれで終わってしまうからである。



                                         2010.09.28





 『根岸英一氏、鈴木章氏の二人がノーベル化学賞を受賞 』・・・・うれしいニュースが飛び込んできた。日本人としてこの上もないうれしいニュースであるとともに、この上もない快挙である。最近の日本は何かにつけても自信のない状態が続いていただけに、このニュースは日本にとってよき活性剤になるものと思われる。他の分野においても日本はもっと自信を持ってもよいのではないだろうか。
 今の日本の政治を見ると目先のことばかりの政策が多いが、もっと長期的な展望をもった政治が望まれる。根岸英一氏、鈴木章氏の二人の業績は一朝一夕でできたものではない。そのことを考えると長期的な見通しをもった国の支援が絶対に必要だ。また、この偉業を受け継いでいく若い研究者の育成と支援が特に望まれる。今の政局はこの点が特に欠乏しているような気がしてならない。



                                         2010.10.07





 私の所属する日本画の公募団体展 『秋の創日展』を、10月31日(日)に無事終了することができたが不覚にも終了直後体調をこわしてしまい、事後処理が大幅に遅れてしまった。体を病むと気力も衰えるようである。共催をお願いした新聞社やテレビ局、ラジオ局等の事業報告書を作成し、お礼状を添えて発送しなければならないところ、気力の消失でのびのびになってしまった。共催を頂いた事業所には大変申し訳なく思っている。年のせいにはしたくないと常々思っていたが、この状態に落ち込むと、受け入れるしかないのかも知れない。無理をするとてきめんに体に響いてくるので、今後気を付けて物事にあたっていきたいと気を引き締めているところである。また、展覧会にご来場いただいた方々にもお礼状も書けない状態で大変申し訳なく思っている。この場をお借りしてお礼申し上げます。




                                         2010.11.17





 高度成長期でできた公共の、美術館などの展示施設が同時期の改修にあたり、どこもかしこもてんてこ舞いの状態である。めったにあることではないので、対策を講じていないこともあり、対応に苦心しているところである。展覧会は恒例の行事になっているので止めるわけにもいかず、頭を悩ましている。どの会も同じような状態ではないかと思われる。一度途切れると同じ状態に戻すことが難しくなってくるので、無理をしてでも続けなければならない。新しい会場の確保と作品の保管の問題、運搬費の問題などの新たな経費の上積みが生じてくる。好きな道だからこそ何としてでも貫徹をしなければいけないと、自分自身に言い聞かせているこの頃である。



                                         2010.12.23




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