目を開けると、視界いっぱいに翡翠の緑が広がる。
いつの間にか眠りの淵に落ちてしまっていたらしい。
今は何時くらいなのだろう。
ついついそう思ってしまい、ザックスは苦笑を浮かべた。
今の状況に置かれてから、時間の観念なんてないに等しい。
とうの昔にザックスの時間に対する感覚は摩耗していた。
此処に入れられてからどれくらいの時間が経ってしまっているのか。
自分にはそれを知る術はない。
判っているのは、今の自分はやつらにとって格好の研究材料なのだということだけだ。
そう、研究材料。
やつらの前では自分という一個人としての人権など存在しない。
あるのは実験動物としての存在意義のみなのだ。
来る日も来る日もありとあらゆる非合法な実験が行われている。
この、自分の身体に、だ。
ちょっとした遊び心で思いついたことを試すように。
やつらは平然と自分の身体を切り刻んでいく。
いっそ狂ってしまえたら・・・。
今まで何度そう思ったかしれない。
それほどにここに満ち溢れている空気は陰惨すぎる。
でも、それは最も避けなければならないこと。
そうなってしまったら。
自分で自分に課した約束を守れなくなってしまう。
自分が正気を手放してしまったら、誰があいつのことを助けてやれる?
誰があいつをこの窮地から救い出してやれる?
それをよすがにして、ザックスはひたすら正気を保ち続けていた。
視線を左に流せば、自分が入れられているポッドと同型のそれが視界に入る。
そしてその中央に漂っている人の姿も見える。
人影はぐったりと力なく、ただポッドの中に浮いていた。
まるで等身大の人形のように、意志の感じられないその姿。
ザックスは何とも言えない顔つきになっていた。
あいつには、もうあまり余裕が残されていない。
そう予感させるのに十分なくらい、その姿は無惨だった。
拷問とまるで変わらない非道な人体実験による肉体的消耗。
長い間こうして魔晄漬けにされていることによる精神的弊害。
自分と比べて肉体的にも精神的にも脆い部分があるのに。
あいつがここまでもったのが、奇跡的なことなのだろう。
どうにかしなければ。
どにかしてここから脱出しなければ。
あいつも自分も何時かはダメになってしまう。
ザックスはぎりっと唇を噛みしめた。
ふと、視線を感じて顔を上げてみる。
隣のポッドの中で、あいつがこちらをじっと見つめている。
その眼差しは限りなく澄んでいて、正気でいることが一目で判った。
実に久しぶりに見るその色に、ザックスは興奮を隠しきれなかった。
このチャンスを逃せば、それこそ一巻の終わりだと感じた。
わざと大きく口を開けて、ゆっくり言葉を形作る。
少しでも相手にその唇の動きが読み取りやすいよう、わざと大げさに唇を突き出してみる。
意味が伝わりやすいように身振り手振りも勿論忘れない。
突然奇妙なゼスチャーを始めたザックスに、相手は戸惑うような顔つきになる。
それでも直ぐにザックスの意図を理解したようで、ポッドの中で大きく頭を振った。
そしてその唇が大きく言葉を紡ぎ出す。
『全部あんたに任せる』
正気と狂気の狭間で揺れるクラウドを抱えて、ザックスの短くて長い逃避行の旅が始まる。
END