頬が濡れていた。
朝の心地よい日差しを受けるその顔が涙に濡れていた。
そのことに気づいたティーダは瞬間顔を朱に染め、慌てて涙の後を袖口でぐいっと拭い去った。
そして恐る恐る周囲を見回し、自分以外の誰もこの場所にいないことを確認し、安堵のため息をついた。
悲しい夢を見たのを覚えている。
幼い自分が悲嘆に暮れる母の傍らで何もできずにいた。
その時のことを夢に見ていた。
そしてその夢はそのまま、あの悲しい時間までをも引き寄せてしまった。
母が目の前からいなくなってしまう、そんな悲しい夢。
いや、それは夢ではなく現実にあったことだった。
ティーダが大人の助けをまだ必要としていた幼い頃にあった本当のこと。
帰らぬ父に思い焦がれるあまり、ティーダの許から姿を消してしまった母。
自分という存在は母にとってその程度だったのだと思い知らされたあの出来事。
父がいなくなってしまったあの日から母の視線からは一切の熱量が失せていた。
この時から、自分という存在は母の中からは抹消されていたのだろう。
父の面影を引き継がなかった自分は、母にとって無用の存在だった。
それほど、母は父を想っていた。
その想いの証であるはずの自分という存在を忘れ去るくらい、母は自分が大切だったのだ。
母には父が総てだったのだ。
狂気と紙一重のその想いを、幼い自分には理解できるはずもなく、ただ静かに狂気に飲み込まれていく母を見ているしかできなかった。
自分を認めることのない虚ろな瞳を一生懸命見つめて、少しでもその眼差しが自分に注がれるのを待ちこがれていた。
そんな悲しい夢。
最近では全然見なくなっていて安心していたのに、今朝は不意打ちをくらってしまい、情けなくも涙を流してしまった。
ティーダは再度袖口で乱暴に拭った。
大切な試合がある日だというのに落ち込んでなんかいられないだろうと、ティーダはベットから飛び出した。
そう、今日は大切な試合が控えている。
ティーダの所属している『ザナルカンド・エイブス』の大切な大切な試合。
自分が自分として認めてもらうためにも必要な、大事なこの一戦。
そのために今日まで苦しい自己鍛錬にも耐えてきたのだ。
試合までまだまだ時間はあるが、それまでに抜かりなくウォーミングアップしておかなくてはいけない。
まだ少し眠かったが、ティーダはそれを吹き飛ばすように着ていた服を想いきり脱ぎ捨て、服を着替える。
いつまでも悲しみから立ち直れないほど、自分はすでに幼くはない。
試合前の最後の自主練をするべく、ティーダは自室を後にした。
居間に人の気配がする。
それを知った瞬間、ティーダの顔が笑みに綻んだ。
足取りが急に軽やかなものになっている。
あの人が来ているんだ。
あの人が自分の顔を見に来たんだ。
父の知り合いだというあの人。
幼い自分が施設送りにならないよう後見人に立ってくれた恩人。
あまり多くを語ってはくれないけれど、その存在に何度も助けられてきた。
「おはよう、アーロン!」
朝の光の中に佇む男に、ティーダは明るくそう挨拶した。
END